「第2次トランプ政権と米国メキシコカナダ協定(USMCA)の命運」
2025年1月15日
中央学院大学 教授
中川 淳司
1.対メキシコ25%追加関税の衝撃
「米国第一」、「米国を再び偉大に」をスローガンに掲げて第2次トランプ政権が1月20日に発足する。発足に先立って、「Tariff man」を自任するトランプ氏は、麻薬問題と不法移民問題の放置を理由に、カナダとメキシコに対して25%の関税をかけると宣言した。トランプ氏はその他にも、対世界一律10%の追加関税、対中国60%の追加関税、グリーンランドの領有権譲渡を渋るデンマークやパナマ運河の管轄権譲渡を渋るパナマに対する追加関税など、関税措置を乱発することを公言している。「関税を脅しとするディール」を得意とするトランプ氏が、大統領就任後に実際にこれらの関税措置を実行するかどうかは、現時点では明らかではないが、第1次トランプ政権が対中国追加関税(1974年通商法301条に基づく「制裁関税」)を発動し、中国との間で関税の撃ち合い(米中貿易戦争)を繰り広げたことを想起すれば、これらの関税措置が発動される可能性は十分にあり、対象となる国々はこれに対する対応策を真剣に検討しておく必要があるだろう。
一連の関税措置の中で、日本にとって最も影響が大きいのは、対世界一律10%の追加関税ではなく、対カナダ・メキシコの25%追加関税である。それは、北米3国の自由貿易(関税撤廃)を約束した米国メキシコカナダ協定(USMCA、旧北米自由貿易協定(NAFTA))に基づく対米国ゼロ関税を前提として、きわめて多くの日本の製造業事業者(2021年10月現在で1,272社)がメキシコに生産拠点を移管して、対米国輸出を旺盛に進めているためである。これらの企業の対米国の部品・完成品の輸出に25%の追加関税が課せられれば、多くの企業の輸出採算が悪化し、メキシコに製造拠点を設けたメリットが吹き飛んでしまうだろう。
2.米国向け製造拠点としてのメキシコの重要性
日本企業のメキシコ進出は、1994年に北米自由貿易協定が発効して以来、30年の歴史を持つ。これをメキシコから見れば、メキシコは1994年以降、米国向けの低コスト製造拠点として発展を遂げてきた。近年の動きとして、(1)コロナ禍によりサプライチェーンが分断されたことを契機に、ニアショアリングの流れが加速したこと、(2)米中間で貿易摩擦が激化した結果を受けて、代替製造拠点としての活用が進んだこと、も後押しになった。米国向け工業製品供給国としてのメキシコの重要性はさらに高まった。
同時にメキシコは、米国からの輸入が多いという特徴もある。米国にとってメキシコは、カナダに次ぐ第2位の輸出先である。その輸出額は中国の2倍以上に及ぶ。輸出入を合わせてみると、米国、メキシコ、カナダは北米経済圏として相互に依存してきたといえる。特に、コロナ禍以降、ニアショアリングの流れが顕在化し、その傾向が顕著になっている。その傾向が顕著なのは自動車産業である。自動車に関連する品目の二国間貿易をみると、米国の貿易赤字は2023年に1,247億ドルを超えた。最大の要因は、完成車の輸入超過だ。米国の完成車輸出全体に占めるメキシコのシェアは7.0%(金額ベース)に過ぎないのに対して、輸入では32.8%を占める。他方、自動車部品では完成車ほどの開きはない。米国の自動車部品輸入に占めるメキシコのシェアは46.6%に及ぶと同時に、輸出先でも47.0%を占める。米国にとって圧倒的に大きな輸出先になっている。つまり、メキシコは、米国に対して完成車と部品を多く輸出するとともに、国内での完成車組み立てに必要な自動車部品を多く米国から輸入している。米国がメキシコから輸入している完成車にはかなりの米国製部品が組み込まれていることになる。カナダの役割も合わせると、北米3国が国境を越えた自動車のサプライチェーンを構築している姿が浮かび上がってくる。メキシコ経済省によれば、北米で生産される自動車は、原材料の段階から完成車として輸出されるまでに、平均すると合計で8回国境を越えるという。
3.トランプ追加関税の実現可能性
トランプ氏は、大統領選挙直前の2024年11月4日、不法移民やフェンタニルなどの合成麻薬がメキシコを経由して米国に流入していることを問題視し、「メキシコのシェインバウム新政権が流入を止められない場合、全てのメキシコ製品に25%の関税を課す」と発言した。大統領就任の初日に署名予定の複数の大統領令の1つとして、メキシコとカナダからの全輸入品に25%の関税を課すとした。フェンタニルなどの合成麻薬と不法入国者の流入が止まるまで続けるという。
米国法の下では、議会の承認を得ず大統領の権限でそのような追加関税を課すことも可能という見方が一般的である。1962年通商拡大法232条(国家安全保障を理由とする貿易制限措置)、1974年通商法301条(外国の不当な慣行に対する制裁関税)、国際緊急経済権限法(IEEPA)(国家安全保障、外交政策や経済に対する異例かつ重大な脅威)、1974年通商法122条(巨額かつ重大な国際収支赤字への対応)、1930年関税法338条(米国に不利益をもたらす差別待遇への対抗)の5つのいずれかまたは複数に依拠することが可能との見方である。
つまり、トランプ氏は大統領就任直後に対メキシコ25%追加関税を発動する可能性があり、それは米国国内法上は合法的に行われるのである。
4.トランプ追加関税の国際法上の合法性
いうまでもなく、トランプ追加関税は国際法上は正当化されない。WTO(世界貿易機関)は加盟国が関税譲許(関税を課すことができる上限税率の約束)を超えて追加関税を課することを禁じており、全てのメキシコからの輸入品に対して25%の追加関税を課することはこれに違反する。また、メキシコ(とカナダ)だけを対象としての追加関税はWTOの根幹をなす最恵国待遇原則(すべての国に一律の関税待遇を義務付ける)にも違反する。それだけではない。米国とメキシコ、カナダは先に触れた米国メキシコカナダ協定(USMCA)という自由貿易協定(FTA)を結んでおり、3国間の貿易には原則として関税が課せられない。対メキシコ追加関税はこの協定の明白な違反である。
追加関税が発動された場合、メキシコは、USMCAまたはWTOの紛争解決手続に申し立てて関税の撤回を求める権利がある。紛争解決手続を付託されたUSMCAまたはWTOの紛争解決小委員会(パネル)が米国の違反を認定すれば、米国は追加関税措置の撤回を求められることになる。しかし、トランプ氏はこのような事態を意に介していない。それどころか、そのような不利な判断を下すWTOからの撤退やUSMCAの破棄を言い出しかねない。「トランプならやりかねない」、そのように思わせられる現状に事態の真の深刻さが認められる。世界最大の経済大国の横紙破りを法的に止める手段が見当たらないのである。
5.日本はどうすれば良いのか?
第2次トランプ政権の対メキシコ追加関税は、少なくとも米国法上は合法的に実行される可能性があり、国際法上は違法であることは明白であるにもかかわらず、トランプ大統領はおそらくそんなことは意に介しないとすれば、一体日本に打つ手は残されているのだろうか? それとも、泣き寝入りをするしかないのだろうか?
日本を含む第三国が泣き寝入りすれば、少なくとも米国との関係に波風は立たない。トランプ政権は政権公約を実行したということで、米国民の支持を維持できる。しかし、これは負け犬の発想であり、「無理が通れば道理が引っ込む」ことになる。そのことが意味する政治的・経済的な悪影響は計り知れない。トランプ政権はこの「成功」に味を占めて、何かにつけて追加関税を繰り出してくるだろう。中国を始めとして、これに対抗する関税措置をとる国が出てくる可能性がある。メキシコのシェインバウム大統領は、トランプ政権の25%追加関税に対して報復関税を発動すると発言している。この結果、グローバルな関税引上げ戦争がエスカレートする可能性がある。その先には何が起こるだろうか。ここで私たちは、大恐慌後の保護主義のエスカレートが第2次世界大戦の引き金となったことを想起すべきである。
追加関税に端を発した対立が第3次世界大戦に発展する可能性はごく小さいと信じたいが、その可能性はゼロとは言えないだろう。だとすれば、そのような悪夢の到来を避けるためにも、日本としては、トランプ政権による対メキシコ追加関税の発動の阻止または発動後の速やかな撤廃を求めて、打つべき手を打ってゆくことが必要である。3つの方策が挙げられる。
第1に、追加関税が米国経済にとっても深刻なマイナスの影響をもたらすことを指摘して、その阻止ないし撤回を求める幅広いロビイングを展開することである。2で、北米で自動車生産の国境を越えたサプライチェーンが形成されていることを指摘した。対メキシコ追加関税はこのサプライチェーンを直撃する。それにより損失を被るのは、メキシコに製造拠点を移したすべての企業であり、これには米国の3大自動車メーカーも含まれる。実際、米国の3大自動車メーカーは、追加関税の発動を思い留まるよう、様々なルートを通じてトランプ政権とその政策担当者に働きかけていると聞く。日本の製造業者及び日本政府は、米国の製造業者と連携して、追加関税が米国自身にも不利益をもたらすことを説き、その実行を思い留まるよう、または早期に撤回するよう、様々なルートを通じて働きかけるべきである。このルートには、トランプ政権関係者だけでなく、米国議会、特に、3大自動車メーカーや自動車部品メーカーなどの製造業者が立地する州の選出議員や州知事への働きかけ、製造業者の労働組合関係者への働きかけなどが含まれる。
第2に、トランプ大統領自身への働きかけである。第1次トランプ政権では、当時の安倍総理大臣が果敢なトップ外交を展開し、トランプ大統領との間に強い信頼関係を築いた。特に、安倍総理がトランプ大統領と面会する度に、日本の企業が米国の各州に行っている投資の額と、それによって生み出された新たな雇用者の数を説明し続けたことはよく知られている。石破総理も、2月上旬に予定されているトランプ大統領就任後初となる日米首脳会談を皮切りとして、安倍元総理に倣って、日本の製造業者がいかに多くの米国投資を行い、多くの新たな雇用を生み出しているかを説明することが大切である。また、日本の製造業者の対メキシコ投資と、そこからもたらされる対米輸出がいかに北米全体を潤し、米国の雇用と経済成長に貢献しているかを説くことも忘れてはならない。トップ同士のディールによる問題解決に長けていると自認するトランプ大統領を満足させるメッセージを見出し、それを繰り返し伝えることが大切である。
第3に、以上の手は手として打っていく一方で、あくまでも正論を曲げず、正攻法でトランプ政権に攻め続けることも必要である。それは、関税譲許と最恵国待遇原則に違反することを理由とするWTO紛争解決手続への申立てであり、USMCA違反を理由とするUSMCAの紛争解決手続への申立てである。後者を日本政府が自ら実行することは条約解釈上難しいが、その場合、日本政府がそのような申し立てを行うメキシコ(やカナダ)への支持を公式に表明することは可能である。中国やEUを含めた対トランプ包囲網を構築し、追加関税反対の国際世論を盛り上げていくことは、直ちにトランプ大統領の関税政策を変更する効果は期待できないとしても、ボディブローのようにトランプ政権にダメージを与える効果が期待できる。
日本政府は、以上の対策をあれかこれかという選択肢としてではなく、あれもこれも繰り出すことで、トランプ政権に関税政策の変更を余儀なくさせることを目指すべきである。第2次「トランプ劇場」がいよいよ幕を開ける。打つ手がないと途方に暮れている余裕は日本政府にはないはずだ。石破総理の果敢で入念な経済外交がいよいよ正念場を迎えることになる。
執筆者プロフィール
中川 淳司 (なかがわ・じゅんじ)
中央学院大学 現代教養学部 教授
東京大学名誉教授
弁護士
東京大学法学博士。専門は国際経済法。主な研究テーマ・業績として、ビジネスと人権(「ビジネスと人権をめぐる実務上の留意点(前篇)『二弁フロンティア』2025年1・2月号)、持続可能性を基軸とする国際経済法システムの再構築(Junji Nakagawa, "Resurgence of Social Clause?: Critical Analysis of Labor Provisions in RTAs in the Asia Pacicif Region", Asian Journal of WTO and International Health Law & Policy, Vol.19, No.2, 2024.)、グローカルデザイン(中川淳司「グローカルプロファイリング報告書:花巻市」『中央学院大学社会システム研究所紀要』第24巻1・2号、2024年)、グローバル化と多国間主義・地域主義(Junji Nakagawa ed., Multilateralism and Regionalism in Global Economic Governance, Routledge, 2011)、経済規制の国際的調和(Junji Nakagawa, International Harmonization of Economic Regulation, Oxford University Press, 2011)などがある。
中央学院大学 教授
中川 淳司
1.対メキシコ25%追加関税の衝撃
「米国第一」、「米国を再び偉大に」をスローガンに掲げて第2次トランプ政権が1月20日に発足する。発足に先立って、「Tariff man」を自任するトランプ氏は、麻薬問題と不法移民問題の放置を理由に、カナダとメキシコに対して25%の関税をかけると宣言した。トランプ氏はその他にも、対世界一律10%の追加関税、対中国60%の追加関税、グリーンランドの領有権譲渡を渋るデンマークやパナマ運河の管轄権譲渡を渋るパナマに対する追加関税など、関税措置を乱発することを公言している。「関税を脅しとするディール」を得意とするトランプ氏が、大統領就任後に実際にこれらの関税措置を実行するかどうかは、現時点では明らかではないが、第1次トランプ政権が対中国追加関税(1974年通商法301条に基づく「制裁関税」)を発動し、中国との間で関税の撃ち合い(米中貿易戦争)を繰り広げたことを想起すれば、これらの関税措置が発動される可能性は十分にあり、対象となる国々はこれに対する対応策を真剣に検討しておく必要があるだろう。
一連の関税措置の中で、日本にとって最も影響が大きいのは、対世界一律10%の追加関税ではなく、対カナダ・メキシコの25%追加関税である。それは、北米3国の自由貿易(関税撤廃)を約束した米国メキシコカナダ協定(USMCA、旧北米自由貿易協定(NAFTA))に基づく対米国ゼロ関税を前提として、きわめて多くの日本の製造業事業者(2021年10月現在で1,272社)がメキシコに生産拠点を移管して、対米国輸出を旺盛に進めているためである。これらの企業の対米国の部品・完成品の輸出に25%の追加関税が課せられれば、多くの企業の輸出採算が悪化し、メキシコに製造拠点を設けたメリットが吹き飛んでしまうだろう。
2.米国向け製造拠点としてのメキシコの重要性
日本企業のメキシコ進出は、1994年に北米自由貿易協定が発効して以来、30年の歴史を持つ。これをメキシコから見れば、メキシコは1994年以降、米国向けの低コスト製造拠点として発展を遂げてきた。近年の動きとして、(1)コロナ禍によりサプライチェーンが分断されたことを契機に、ニアショアリングの流れが加速したこと、(2)米中間で貿易摩擦が激化した結果を受けて、代替製造拠点としての活用が進んだこと、も後押しになった。米国向け工業製品供給国としてのメキシコの重要性はさらに高まった。
同時にメキシコは、米国からの輸入が多いという特徴もある。米国にとってメキシコは、カナダに次ぐ第2位の輸出先である。その輸出額は中国の2倍以上に及ぶ。輸出入を合わせてみると、米国、メキシコ、カナダは北米経済圏として相互に依存してきたといえる。特に、コロナ禍以降、ニアショアリングの流れが顕在化し、その傾向が顕著になっている。その傾向が顕著なのは自動車産業である。自動車に関連する品目の二国間貿易をみると、米国の貿易赤字は2023年に1,247億ドルを超えた。最大の要因は、完成車の輸入超過だ。米国の完成車輸出全体に占めるメキシコのシェアは7.0%(金額ベース)に過ぎないのに対して、輸入では32.8%を占める。他方、自動車部品では完成車ほどの開きはない。米国の自動車部品輸入に占めるメキシコのシェアは46.6%に及ぶと同時に、輸出先でも47.0%を占める。米国にとって圧倒的に大きな輸出先になっている。つまり、メキシコは、米国に対して完成車と部品を多く輸出するとともに、国内での完成車組み立てに必要な自動車部品を多く米国から輸入している。米国がメキシコから輸入している完成車にはかなりの米国製部品が組み込まれていることになる。カナダの役割も合わせると、北米3国が国境を越えた自動車のサプライチェーンを構築している姿が浮かび上がってくる。メキシコ経済省によれば、北米で生産される自動車は、原材料の段階から完成車として輸出されるまでに、平均すると合計で8回国境を越えるという。
3.トランプ追加関税の実現可能性
トランプ氏は、大統領選挙直前の2024年11月4日、不法移民やフェンタニルなどの合成麻薬がメキシコを経由して米国に流入していることを問題視し、「メキシコのシェインバウム新政権が流入を止められない場合、全てのメキシコ製品に25%の関税を課す」と発言した。大統領就任の初日に署名予定の複数の大統領令の1つとして、メキシコとカナダからの全輸入品に25%の関税を課すとした。フェンタニルなどの合成麻薬と不法入国者の流入が止まるまで続けるという。
米国法の下では、議会の承認を得ず大統領の権限でそのような追加関税を課すことも可能という見方が一般的である。1962年通商拡大法232条(国家安全保障を理由とする貿易制限措置)、1974年通商法301条(外国の不当な慣行に対する制裁関税)、国際緊急経済権限法(IEEPA)(国家安全保障、外交政策や経済に対する異例かつ重大な脅威)、1974年通商法122条(巨額かつ重大な国際収支赤字への対応)、1930年関税法338条(米国に不利益をもたらす差別待遇への対抗)の5つのいずれかまたは複数に依拠することが可能との見方である。
つまり、トランプ氏は大統領就任直後に対メキシコ25%追加関税を発動する可能性があり、それは米国国内法上は合法的に行われるのである。
4.トランプ追加関税の国際法上の合法性
いうまでもなく、トランプ追加関税は国際法上は正当化されない。WTO(世界貿易機関)は加盟国が関税譲許(関税を課すことができる上限税率の約束)を超えて追加関税を課することを禁じており、全てのメキシコからの輸入品に対して25%の追加関税を課することはこれに違反する。また、メキシコ(とカナダ)だけを対象としての追加関税はWTOの根幹をなす最恵国待遇原則(すべての国に一律の関税待遇を義務付ける)にも違反する。それだけではない。米国とメキシコ、カナダは先に触れた米国メキシコカナダ協定(USMCA)という自由貿易協定(FTA)を結んでおり、3国間の貿易には原則として関税が課せられない。対メキシコ追加関税はこの協定の明白な違反である。
追加関税が発動された場合、メキシコは、USMCAまたはWTOの紛争解決手続に申し立てて関税の撤回を求める権利がある。紛争解決手続を付託されたUSMCAまたはWTOの紛争解決小委員会(パネル)が米国の違反を認定すれば、米国は追加関税措置の撤回を求められることになる。しかし、トランプ氏はこのような事態を意に介していない。それどころか、そのような不利な判断を下すWTOからの撤退やUSMCAの破棄を言い出しかねない。「トランプならやりかねない」、そのように思わせられる現状に事態の真の深刻さが認められる。世界最大の経済大国の横紙破りを法的に止める手段が見当たらないのである。
5.日本はどうすれば良いのか?
第2次トランプ政権の対メキシコ追加関税は、少なくとも米国法上は合法的に実行される可能性があり、国際法上は違法であることは明白であるにもかかわらず、トランプ大統領はおそらくそんなことは意に介しないとすれば、一体日本に打つ手は残されているのだろうか? それとも、泣き寝入りをするしかないのだろうか?
日本を含む第三国が泣き寝入りすれば、少なくとも米国との関係に波風は立たない。トランプ政権は政権公約を実行したということで、米国民の支持を維持できる。しかし、これは負け犬の発想であり、「無理が通れば道理が引っ込む」ことになる。そのことが意味する政治的・経済的な悪影響は計り知れない。トランプ政権はこの「成功」に味を占めて、何かにつけて追加関税を繰り出してくるだろう。中国を始めとして、これに対抗する関税措置をとる国が出てくる可能性がある。メキシコのシェインバウム大統領は、トランプ政権の25%追加関税に対して報復関税を発動すると発言している。この結果、グローバルな関税引上げ戦争がエスカレートする可能性がある。その先には何が起こるだろうか。ここで私たちは、大恐慌後の保護主義のエスカレートが第2次世界大戦の引き金となったことを想起すべきである。
追加関税に端を発した対立が第3次世界大戦に発展する可能性はごく小さいと信じたいが、その可能性はゼロとは言えないだろう。だとすれば、そのような悪夢の到来を避けるためにも、日本としては、トランプ政権による対メキシコ追加関税の発動の阻止または発動後の速やかな撤廃を求めて、打つべき手を打ってゆくことが必要である。3つの方策が挙げられる。
第1に、追加関税が米国経済にとっても深刻なマイナスの影響をもたらすことを指摘して、その阻止ないし撤回を求める幅広いロビイングを展開することである。2で、北米で自動車生産の国境を越えたサプライチェーンが形成されていることを指摘した。対メキシコ追加関税はこのサプライチェーンを直撃する。それにより損失を被るのは、メキシコに製造拠点を移したすべての企業であり、これには米国の3大自動車メーカーも含まれる。実際、米国の3大自動車メーカーは、追加関税の発動を思い留まるよう、様々なルートを通じてトランプ政権とその政策担当者に働きかけていると聞く。日本の製造業者及び日本政府は、米国の製造業者と連携して、追加関税が米国自身にも不利益をもたらすことを説き、その実行を思い留まるよう、または早期に撤回するよう、様々なルートを通じて働きかけるべきである。このルートには、トランプ政権関係者だけでなく、米国議会、特に、3大自動車メーカーや自動車部品メーカーなどの製造業者が立地する州の選出議員や州知事への働きかけ、製造業者の労働組合関係者への働きかけなどが含まれる。
第2に、トランプ大統領自身への働きかけである。第1次トランプ政権では、当時の安倍総理大臣が果敢なトップ外交を展開し、トランプ大統領との間に強い信頼関係を築いた。特に、安倍総理がトランプ大統領と面会する度に、日本の企業が米国の各州に行っている投資の額と、それによって生み出された新たな雇用者の数を説明し続けたことはよく知られている。石破総理も、2月上旬に予定されているトランプ大統領就任後初となる日米首脳会談を皮切りとして、安倍元総理に倣って、日本の製造業者がいかに多くの米国投資を行い、多くの新たな雇用を生み出しているかを説明することが大切である。また、日本の製造業者の対メキシコ投資と、そこからもたらされる対米輸出がいかに北米全体を潤し、米国の雇用と経済成長に貢献しているかを説くことも忘れてはならない。トップ同士のディールによる問題解決に長けていると自認するトランプ大統領を満足させるメッセージを見出し、それを繰り返し伝えることが大切である。
第3に、以上の手は手として打っていく一方で、あくまでも正論を曲げず、正攻法でトランプ政権に攻め続けることも必要である。それは、関税譲許と最恵国待遇原則に違反することを理由とするWTO紛争解決手続への申立てであり、USMCA違反を理由とするUSMCAの紛争解決手続への申立てである。後者を日本政府が自ら実行することは条約解釈上難しいが、その場合、日本政府がそのような申し立てを行うメキシコ(やカナダ)への支持を公式に表明することは可能である。中国やEUを含めた対トランプ包囲網を構築し、追加関税反対の国際世論を盛り上げていくことは、直ちにトランプ大統領の関税政策を変更する効果は期待できないとしても、ボディブローのようにトランプ政権にダメージを与える効果が期待できる。
日本政府は、以上の対策をあれかこれかという選択肢としてではなく、あれもこれも繰り出すことで、トランプ政権に関税政策の変更を余儀なくさせることを目指すべきである。第2次「トランプ劇場」がいよいよ幕を開ける。打つ手がないと途方に暮れている余裕は日本政府にはないはずだ。石破総理の果敢で入念な経済外交がいよいよ正念場を迎えることになる。
執筆者プロフィール
中川 淳司 (なかがわ・じゅんじ)
中央学院大学 現代教養学部 教授
東京大学名誉教授
弁護士
東京大学法学博士。専門は国際経済法。主な研究テーマ・業績として、ビジネスと人権(「ビジネスと人権をめぐる実務上の留意点(前篇)『二弁フロンティア』2025年1・2月号)、持続可能性を基軸とする国際経済法システムの再構築(Junji Nakagawa, "Resurgence of Social Clause?: Critical Analysis of Labor Provisions in RTAs in the Asia Pacicif Region", Asian Journal of WTO and International Health Law & Policy, Vol.19, No.2, 2024.)、グローカルデザイン(中川淳司「グローカルプロファイリング報告書:花巻市」『中央学院大学社会システム研究所紀要』第24巻1・2号、2024年)、グローバル化と多国間主義・地域主義(Junji Nakagawa ed., Multilateralism and Regionalism in Global Economic Governance, Routledge, 2011)、経済規制の国際的調和(Junji Nakagawa, International Harmonization of Economic Regulation, Oxford University Press, 2011)などがある。