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現下の中東情勢 ~イスラエルの視点から~

「世界各地域から見た現下の国際情勢」

現下の中東情勢
~イスラエルの視点から~

2025年2月28日

東洋英和女学院大学 名誉教授
池田 明史


 本年1月20日に船出した二期目のトランプ米政権は、すでに正式の発足以前からイスラエルとイスラム武装組織ハマスとの間のガザ戦争の停戦協議に影響力を発揮するなど、中東において存在感を増している。一期目(2017年~21年)には、イラン核合意(JCPOA)からの一方的離脱や米国大使館のエルサレムへの移転など、驚天動地ともいえる政策を次々に断行して、「トランプ大統領について唯一予見できることは、彼が全く予見できないことをやるという事実である」との評価を残した。しかもその予見不能な政策は、イスラエルが第三次中東戦争で取得したゴラン高原全域やヨルダン川西岸(以下、西岸)の部分的な自国領への併合など、歴代の米政権が躊躇して踏み込まなかったレベルのイスラエル支援と、同時にそのイスラエルが「実存的脅威」として対峙するイランへの敵視とを基調とするものであった。このため、ネタニヤフ首相率いるイスラエル政府、とりわけその主流を構成する極右派や宗教シオニスト(以下、極右国粋主義勢力)は、二期目のトランプ政権が一期目と同様あるいはそれ以上の親イスラエル・反イラン姿勢を突き進むものと大きな期待を寄せている。しかしながら、情勢がそのような単純明快な図式に収斂するか否かは必ずしも自明ではない。


イスラエル戦略環境の好転

 何よりも、一期目と二期目とでは、中東が置かれている戦略環境が大きく異なっている。トランプ政権一期目においては、イスラエルとイランとの対抗関係はほぼ拮抗しており、米国のJCPOAからの離脱やイスラエルの対外強硬策への肩入れも、そのような拮抗関係を少しでもイスラエル有利に傾かせるという動機に突き動かされていた。しかし二期目に入った現在、長期化したガザ戦争の展開の中で、イスラエルのイランに対する戦略的優位は動かない。イスラエルは、イランの称する「抵抗の枢軸」すなわちガザのハマス主力、西岸のハマス他のパレスチナ人武力集団、レバノンのヒズボラ(シーア派系民兵集団)、シリアに展開するイラン・イスラム革命防衛隊派出部隊、シリアおよびイラクのシーア派系武装集団、イエメンを実効支配するフーシ派、そしてこれら諸勢力をその背後から支援し兵站を供給してきたイラン・イスラム共和国という敵を相手に、同時に7正面で戦闘を展開してきた。その結果、ハマスとヒズボラは組織的な抵抗能力をほぼ喪失し、西岸の武力集団も封じ込められ、フーシ派も軍事拠点の多くを破壊され機能不全に陥っている。また、昨年12月にバシャール・アサド政権が突如崩壊したことによって、「抵抗の枢軸」のハブ的機能を果たしていたシリアが消失し、ここにイラン=イラク=シリア=レバノンを結んでいた枢軸回廊は空中分解することとなった。昨年4月および10月の二度にわたって、イランは1979年の革命体制樹立後初めて、敵視するイスラエルに対して数百発のミサイルなど飛翔体を直接撃ち込む攻撃を断行したが、いずれもそのほとんどを迎撃されている。イスラエルの反撃は数発単位だったが、ピンポイントでイランの防空システムを麻痺させるなどの成果を上げ、両者間の隔絶した軍事力の相違を見せつけるものとなった。

 軍事力の懸隔と同様に、情報戦や諜報戦においてもイスラエルの卓越した能力が示された。イランが直接子飼いとして育成してきたヒズボラがごく短期間で戦力を摩耗したのは、過去30年来その指導者として君臨してきたハサン・ナスララらの最高幹部が次から次にイスラエルの空爆などによって暗殺され、組織の指揮系統が寸断された結果にほかならない。ハマスの最高幹部であるイスマイル・ハニヤ政治局長もまたイスラエルによって暗殺されたが、それはイランの新大統領就任式に招かれて首都テヘランを訪問中の出来事であった。要するに、ヒズボラにせよ、ハマスにせよ、あるいはイラン本体についても、イスラエルの諜報網が深く入り込み、情報の漏出は日常化していたと考えざるを得ないのである。


ガザ戦争の目的:抑止力の再建

 このような卓越した情報・諜報能力を備えていたはずのイスラエルが、なにゆえに2023年10月7日のハマスの奇襲(以下10.7)に晒されることとなったのか。イスラエル自身の分析ではそれは、情報評価の失態であり、軍事的準備の失態であり、そして何よりも抑止力に対する過剰な自信に由来する政治的失態にほかならない。情報は収集され、分析され、評価されて初めて政策決定の材料として意味を持つ。10.7の兆候は情報として把握され、それなりに分析されてもいたが、現実に実施されるとは評価されていなかった。したがってハマスの来襲を察知した前線からの警報に対して応戦の即応準備もなされなかった。それらの前提に、ハマスその他の「テロ集団」がイスラエルとの戦力差や大量報復戦略によって、攻撃があるとしてもその規模はイスラエル側の受忍限度内に抑えられるだろうと期待されたのである。数年に一度、「ガス抜き」程度の攻撃が繰り返されるにしても、それを「織り込み済み」として対処すればよいとの認識が共有されていた。ある軍幹部はこれを「芝生の手入れ」になぞらえていた。ハマスやヒズボラは、イスラエルの抑止力の前に、そのようにして「飼い慣らす」ことが可能だと信じられていた。10.7の失態は、何よりもイスラエルの抑止力が機能しなかったという事実を物語るものであった。

 イスラエルにとってガザ戦争の目的は、ハマスの壊滅と拉致された人質の奪回にあると喧伝された。しかしそれらは、どこまでも戦術的な目標でしかない。最終的な戦略目的は、失われた抑止力の回復もしくは再建のほかあり得ない。しかもそこでは、ハマスやヒズボラといった個別の組織や集団に対する抑止力ではなく、その背後に控える策源地すなわちイランに対する抑止力でなければならない。通常であれば、主たる戦闘正面をひとつに絞って敵を各個に撃破していくのが合理的な戦理であるところ、イスラエルは積極的に多正面で同時に作戦を展開してきている。これは、抑止の対象がイラン本体であり、可能な限り四方八方から圧力をかけていくという戦略にほかならない。


イランの選択肢とイスラエル=米国間の温度差

 いずれにせよ、ハマスやヒズボラ、あるいはシリアのアサド政権といった自らの前方展開拠点を失い、イスラエルとの間の戦力差や情報・諜報能力の格差を見せつけられる格好となったイランは、現時点で二者択一を迫られつつある。すなわち、イスラエルとの「力の均衡」を達成ないし回復するために、一挙に核武装に踏み込むか否かという選択である。その場合、イランには二つの戦略が考えられる。ひとつは、北朝鮮がそうであったように核武装を明言し、それによって自国の核抑止力を既成事実としてしまう戦略であり、もうひとつは、いわゆる「核敷居国家」、すなわちその気になれば容易に核武装できる状態を創り出しておいて、実際には核の保有に関して曖昧な姿勢を取り続けるという戦略である。

 イスラエルにとってみれば、いずれの選択をするにせよイランが核武装能力を手にすることには変わりなく、これを阻止するために軍事力の直接行使を含むあらゆる手段をとるとの姿勢を崩していない。問題は米国の出方である。イランに対して「最大限の圧力をかけ続ける」との方針に立っていた一期目と、どのような相手であっても「取引」の可能性をちらつかせる二期目のトランプ大統領の言動とでは、ニュアンスの相違があるように思われるからである。イランが核武力の保有を明言する場合(顕在化戦略)に対しては、これまでの経緯からおそらく米国に選択の余地はなく、イスラエルや他の西側諸国、サウジアラビア(以下サウジ)など湾岸アラブ諸国などと連携してイランへの武力行使の恫喝を実行に移す可能性が高い。しかしイランがそうした明言を避けて(曖昧化戦略)「核敷居国家」にとどまろうとするのであれば、二期目のトランプ政権はそのイランとの間に政治的外交的な「取引」を持ちかけるとしても不思議はない。米国はウクライナ戦争の停戦を求める本年2月の国連総会決議に際して、西側同盟諸国が求めるロシア非難に反対して、初めてロシア、北朝鮮、イランなどと同じ立場をとることとなった。こうした米国の路線変化は、対イラン政策においても従来の強硬姿勢一辺倒からの離脱ないし修正があり得るとのメッセージとなって、イランの政治指導層に伝わり、とりわけ彼ら内部での核政策をめぐる大きな論争の焦点になっている。


ガザのザ・デイ・アフターとトランプ構想

 ところで、就任早々の2月初めにトランプ大統領は、外国要人として最初にホワイトハウスに招いたネタニヤフ首相との会談において、「ガザのパレスチナ人をエジプトやヨルダンなどに移住させ、米国がガザを領有して再建する」という方針を表明した。このトランプ発言に対しては、当事者であるパレスチナ人をはじめ、アラブ諸国は挙って激しい反発を示し、パレスチナ問題の解決は「(ヨルダン川西岸とガザとに跨る)パレスチナ国家の建設」とイスラエル国家との平和共存、すなわち「二国家解決構想」以外にないとする従来の立場を改めて確認することとなった。ハマスに実行統治されていたガザのパレスチナ人を受け入れることによって、自国の治安が脅かされるとの脅威認識はアラブ諸国に共有されており、とりわけヨルダンはただでさえパレスチナ系の国民が人口の半数以上に上る。これにハマス的な過激思想に染まったガザからの移民が多数加われば、ハーシム王政の転覆運動に直結しかねない。事実、1970年には当時のパレスチナ解放機構(PLO)とヨルダン政府との内戦が勃発し、PLOが武力追放される事態となった(「黒い9月」事件)。エジプトにしても、現在のシシ軍政は、ムスリム同胞団系のムルシ政権をクーデターで打倒した末に誕生した政権であり、ハマスはそのムスリム同胞団のガザ支部にほかならない。ガザ移民の受け入れは、シシ政権にとって辛うじて押さえつけている同胞団勢力が息を吹き返す事態につながりかねない。いずれにせよ、トランプが構想するガザ住民の「移住」は、現実にはパレスチナ人の「棄民」にほかならず、形骸化して久しいにも関わらずなお建前としては「パレスチナの大義」を掲げるアラブ諸国にとって受忍できる限度を超えている。

 米国がガザを領有し、これを「中東のリビエラ」に変貌させるべくその復興や再建を担うという発言にしても、具体的に推進する主体がどこにあるのかは全く不明である。ガザを実効統治していたハマスは組織として壊滅状態にあり、そもそもその排除がガザ戦争の主たる目的であった以上、戦後すなわちザ・デイ・アフターにハマスが果たす役割はない。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)その他の国際機関については、イスラエルも米国も強い不信感を抱いており、トランプ政権に至っては自国の国際援助組織である国際開発庁(USAID)の実質的な閉鎖を宣言している。ガザ領有や住民移住といったトランプ提案への対案として、アラブ諸国首脳会議は復興のために2百億ドル規模の財政支援を提案しつつあるようだが、これもどこまで現実味があるのか疑わしい。たとえ一定の資金が供給されるとしても、やはり作業の主体やこれに対する安全の保障をどうするのかといった問題は一向に明らかではない。


イスラエルの逡巡

 このように考えると、ガザの米国領有と人口棄民という「トランプ構想」は、その実現を裏付ける具体的手段を決定的に欠いている。現実的妥当性が希薄だという意味では、デンマークからグリーンランドを割譲させるとか、パナマ運河を返還させるとかいったレトリックと同様に、鬼面人を驚かす彼一流のアドバルーンとして聞き流す以外にない。もとより、こうした机上のトランプ構想は、ガザのパレスチナ人を「厄介払い」したい願望を隠さないイスラエル政府にとって歓迎すべき提案ではあった。ネタニヤフ首相はこれに「卓越したアイデア」とのリップサービスを行いながらも、具体的な実現に向けての協議については慎重な姿勢を示している。イスラエルはガザ戦争で国連総会から度重なる非難決議を受け、国際司法裁判所(ICJ)からはジェノサイド(集団虐殺)の容疑を指摘され、また国際刑事裁判所(ICC)からは戦争犯罪容疑で首相らに逮捕状が発行されている。国連総会決議には拘束力はなく、ICJ判決にも強制力はなく、ICCの逮捕状が実際に行使される可能性もほぼないが、イスラエルの国際的孤立は明らかである。このうえ、トランプ構想に積極的に同調するとなれば、ますますその孤立を深めることになる。他方で、イスラエルにとって唯一の後ろ盾である米国の不興を買うわけにもいかない。また、実際にヨルダンやエジプトにガザの棄民が殺到すれば、それは長期的にイスラエルと安定的な関係を築いてきた両国の内政を不安定化させ、イスラエル自体の安全も脅かされることになる。ネタニヤフ政権がトランプ構想に対して、必ずしも歯切れのいい対応が取れない背景である。

 冒頭に述べたように、JCPOA離脱や大使館移転など、トランプ政権の第一期目において米国は極端な親イスラエル・反イラン姿勢を貫いた。イスラエルによるゴラン高原併合を承認し、あるいは西岸を部分的にイスラエルに編入することをさえ容認する姿勢を示した。このため、イスラエルのネタニヤフ政権を支える極右国粋主義勢力の二期目トランプ政権に対する期待は大きく膨らんでいる。彼らほど過激なイデオロギーに染まっていなくとも、10.7が惹起したイスラエル社会のパレスチナ人に対するトラウマは深刻で、パレスチナ問題の二国家解決案を支持する世論はほぼ消えている。これまで国際社会が掲げてきたパレスチナ国家の樹立という「幻想」にトランプ大統領が終止符を打ってくれるのではないかといった希望的観測がイスラエル社会には流布しつつある。

 しかしながら、そうした倨傲なイスラエルとトランプ政権との間には明らかな疎隔があるように見える。トランプ大統領自身が中東政策で自任する一期目最大の成果は、アラブ首長国連邦(UAE)やバーレーンなどのアラブ諸国とイスラエルとの国交正常化につながったいわゆる「アブラハム合意」にほかならない。トランプ政権二期目においても、おそらくはこの合意の拡幅を最も緊要な課題としていよう。その際、カギとなるのはこのアブラハム合意にサウジを取り込めるか否かである。そのサウジの事実上の支配者であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS)は、パレスチナ国家の樹立がない限り、イスラエルとの国交正常化はあり得ないと公言している。そこでのパレスチナ国家の内実が如何なるものになるにせよ、その成立をあからさまに妨げるようなイスラエルの動向に対しては、トランプ政権もこれを掣肘するに憚らないだろうと考えられる。対イラン政策やガザ戦争のザ・デイ・アフターと並んで、ここにもイスラエルと米国との間の撞着が見え隠れしているのである。



執筆者プロフィール

池田 明史 (いけだ・あきふみ)
東洋英和女学院大学 名誉教授

東北大学法学部卒。アジア経済研究所研究員、イスラエル・トルーマン研究所客員研究員、英オクスフォード大学客員研究員などを経て1997年東洋英和女学院大学社会科学部助教授、で着任。2001年同大学国際社会学部教授。2014年から学長(2022年まで)。アジア経済研究所名誉研究員。専門は国際政治学、中東現代政治。
主要著作に「イスラエル国家の諸問題」(編著、アジア経済研究所、1994年)、「途上国における軍・政治権力・市民社会」(共著、晃洋書房、2016年)等



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