経済安全保障概念の各国比較
掲載日:2024年7月12日
東京大学公共政策大学院 教授
鈴木 一人
現代世界において、「経済安全保障」は一種のバズワードになっている。新型コロナによるサプライチェーンの混乱や断絶によって、国際的な分業が進んだ世界においては、国家間の相互依存が深まっており、その相互依存を支える物流や貿易の途絶は国家経済に大きな打撃を与えることが実感されるようになった。それがワクチンやマスク、医療防護具(PPE)など、人命にかかわるものにも及ぶ、ということも認識されるようになってきた。
これまで「グローバル化」の名の下に自由貿易を推進し、政治体制の異なる国々、国家間の対立の可能性がある国々とも、経済の分野では積極的に自由貿易の枠組みに取り込み、今や世界の市場は一つにつながるようになった。しかし、そうしたグローバル化が生み出す国際的相互依存がリスクとなって認識されるようになることで、自国の経済、特に国家安全保障にかかわる重要な物資や、人々の命にかかわる製品やサービスが入手できなくなるというリスクをいかに回避していくか、ということが「経済安全保障」をめぐる議論を際立たせることとなった。
ただ、これまで自由貿易が国家間の経済的つながりを強化し、比較優位の原則が働いて経済の効率化と富のプラスサム(みんなが利益を得る状態)を達成するだけでなく、戦争のコストを高めることで、相互依存は平和な世界をもたらす、という理念がなくなったわけではない。第二次大戦以降、少なくとも西側諸国においては自由貿易の仕組みが定着し、日本を含む多くの国が、一国ですべての財を賄うということが不可能になっている以上、自由貿易がもたらす利得は、これからも続いていくことになる。
しかし、こうした相互依存が前提としていた、政治と経済の分離、つまり国家間対立はあっても、自由貿易はそれらの国家に恩恵をもたらすため、経済的な相互依存は続くという考え方は、中国や米国が積極的に経済を「武器化」し、輸出規制や関税障壁を設けることで経済的な威圧を行うことで終焉を迎えた。現代は政治と経済が融合し、政治的な目的のために経済が武器として使われる時代と認識されるようになったことで、他国からの経済的威圧をいかに回避するか、ということが、より大きな戦略的問題となった。
さらに、そうした経済の武器化は、戦略的に重要な技術――例えば、半導体――においてどちらが優位性を持つのか、という点にも展開している。半導体の能力は「ムーアの法則」と呼ばれる、時間とともにその能力が倍増していく法則に則って、日進月歩の進歩をしているだけでなく、高度な半導体を使うことで、人工知能(AI)や高度なデータ処理を必要とするサービスを実現するようになっている。また、そうした高度な半導体は兵器の能力向上や、軍事的な戦術能力の向上などにも貢献する、いわゆる軍民両用技術である。半導体のような戦略的技術を独占し、相手に使わせないようにすることで技術的な優位性を維持するということが、国家安全保障にかかわるようになることで、技術流出の防止や、他国産業の抑圧も経済的な武器として考えられるようになり、経済安全保障の枠組みに組み込まれるようになってきた。
米中の対立が激しくなる中で、経済が武器として使われるということになると、「経済安全保障」は、単なるリスク回避の問題ではなく、米中対立を展開する戦略的手段となっていく。そして世界経済の中心である米中が経済を戦略的手段として使うことは、両国との貿易に依存している多くの国に影響が及ぶことになる。また、中国と対立するのは米国に限られているわけではない。日本も、欧州も、中国との戦略的な競争関係にあり、中国による経済的威圧の影響を受ける国として、経済安全保障を積極的に進めなければならない立場にある。しかし、日米欧のそれぞれが感じる中国の経済的威圧の脅威は異なっており、また中国に対する依存度も異なっている。さらには、それぞれが持つ天然資源や食料生産といった経済的自律性の度合いも異なっている。となれば、必然的に経済安全保障の概念も異なってこよう。
ここでは、日米欧における経済安全保障の概念がどのように異なっているのかを検討し、同じ「経済安全保障」という言葉を使っていても、その内実は大きく異なっていることを示したい。また、経済安全保障が概念として、まだ流動的であり、今後も大きく変化していく可能性があるという前提に立ち、その変化がどのような方向性を持っているのかを示したい。
米国における経済安全保障概念の特徴
すでに述べたような国際環境の変化は、各国において経済安全保障概念を発達させることとなった。その端緒となったのは、2022年に日本が経済安全保障推進法を策定し、経済安全保障担当大臣を設置したことであったが、それを機に各国で経済安全保障の議論が展開され、日本を一つのベンチマークとしながら、それぞれの国の事情に合わせて議論が発展している。
中でも米国の経済安全保障概念は独特なものがある。元々、米国には国際緊急経済権限法(IEEPA)と呼ばれる、安全保障を目的とした経済的措置を大統領が実施することが出来るという、広範な権限を大統領に与える法律がある。これまでは経済制裁や輸出管理などが、このIEEPA の下で実施されており、また、米国通商拡大法232条のように、安全保障を目的とした関税の引き上げや、国内に対する投資規制を行うスムート・ホーレイ法といった法律などもIEEPAとの関連で実施されている。
このように、国家安全保障の一環として経済を手段として使ってきた米国ではあるが、地経学的なパワーとして経済安全保障を議論するようになったのは最近のことである。とりわけ新型コロナのパンデミックの期間に半導体をはじめとする、米国の産業にとって重要な物資が入手困難となり、サプライチェーンが脆弱であるということが自覚されるようになったことが大きな背景にある。このサプライチェーンを強靭化するにあたって、米国が取った手段は、政府主導の産業政策であった。1980年代の日米貿易摩擦の時期に、日本が経産省(当時は通産省)主導の経済政策を実施していたことに対して厳しく批判していた米国が、30年後に産業政策を積極的に推進しているのは日本から見ればやや違和感はあるが、現代の経済安全保障においては、自国の経済秩序を維持するためには政府が介入する必要があるという判断があったものと思われる。ただし、米国における産業政策は、自国産業を保護するという意味よりも、どの国の企業であっても、米国の国内で生産を行うということを優先しており、その点で1980年代の日米貿易摩擦とは異なる。
米国がこうした経済安全保障の措置を取るようになったのは、米国が「戦略的競争相手」とみている中国が、国家主導型の産業政策を行い、特定の産業において政府の補助金を投下して国際競争力をつけている限り、米国もそれを進めていく必要があるという認識を持っていることがある。また、サプライチェーンを強靭化させるためには、他国に依存している状態を減らさなければならず、米国で生産されていない先端半導体や電気自動車を米国国内で生産する必要があるという認識も強い。さらには、グローバル化によって米国の製造業が疲弊した状態にあり、市場の原理に任せていては、米国の製造業は衰退の一途をたどるだけでなく、2016年の大統領選挙において「ラストベルト」と言われる、産業衰退地域において、民主党支持者が共和党候補であるトランプ氏を支持したことが衝撃となり、米国の製造業を復活させなければ米国の政治や社会も不安定化するという認識があるものと思われる。
こうした観点から、米国における経済安全保障は、サプライチェーンの安全保障であり、雇用の安全保障でもある、という認識があるものと思われる。しかし、それ以上に国家安全保障としての経済安全保障というニュアンスも強い。それが中国に対する半導体の輸出規制であり、また、中国の半導体産業やAI、量子コンピュータを開発、製造している企業に対する対外投資規制である。これまで自由な経済活動を優先してきた米国も、中国の技術開発が進むことで、米国の国家安全保障が脅かされることを懸念し、軍事転用可能な技術の開発につながるような投資や取引を制限することで、経済的手段を通じて国家安全保障を実現することを目指している。
EUにおける経済安全保障概念の特徴
EU は欧州各国が市場統合を進め、自由な経済的取引を国境を越えて可能にするというプロジェクトである。そのため、EU(正確には欧州委員会)が市場に介入することを前提としていない。さらに、国家安全保障の問題に関しては、EUではなくフランスやドイツといった加盟国に権限があり、安全保障を目的として市場に介入するような措置をとることが難しい。
しかしながら、日本が経済安全保障政策を始めたことと、ロシアのウクライナ侵攻によってEUが対ロ経済制裁を始めたことで、EUが安全保障と経済を結び付けた政策を展開するようになってきた。また、EUは長らく米国の経済政策からの影響を受けないよう、「戦略的自律性」を強化し、米国に振り回されない経済政策を行うことを強く意識した経済政策を行ってきたこともあり、米国が米中対立の文脈から、国家安全保障の問題を経済分野に持ち込むことに関して警戒を強めていた。また、中国がEU加盟国であるリトアニアを対象として経済的な威圧措置を取ることによって、EUも経済安全保障を真剣に考えなければいけなくなった。
その結果、EUにおいても徐々に経済安全保障戦略がまとまりつつある。2024年3月には、EUは経済安全保障の5つのイニシアチブを発表し、サプライチェーンの強靭化や重要鉱物の安定供給といった分野に特化した経済安全保障戦略を出している。しかしながら、日本や米国とは異なり、EUは中国の安全保障上の脅威や、中国による経済的威圧のリスクを認識しつつも、産業界は中国を有望な市場と考えており、中国に対する厳しい経済安全保障措置に対して反対の立場をとっている。そのため、EUの経済安全保障は中国からの報復を受けない範囲で政策をとることが基本路線となっている。
また、複数の加盟国の集合体でもあるEU は、加盟国ごとに中国との経済関係や安全保障のリスクに対する認識が異なっており、足並みをそろえることが難しい。そうしたことから、EUの経済安全保障政策は、政策として表明されていることとは裏腹に、その実施が難しいといった状況があることも留意しておくべきであろう。
日本における経済安全保障概念の特徴
日本における経済安全保障の概念の特徴は次の5点にまとめられるだろう。第一に、第二次大戦後の国際秩序(冷戦期には主として西側諸国の秩序)の基礎となってきた政治と経済の分離の時代が終わり、国家の戦略的目標のために経済が手段として使われるようになったことで、経済の「武器化」ないし経済的威圧によって国家間関係に影響を与えようとする行為が増えてきた。そのため、そうした経済的威圧を回避するために「戦略的自律性」を強化することが重視されている。
第二に、日本においては他国の影響を回避することが目的となっているため、経済安全保障上の措置は主として防御的なものであり、「守り」に徹したものである。これは他国に対する「攻め」の手段を含む米国の経済安全保障概念とは異なるものである。
第三に、経済安全保障は、他国との相互依存が前提となるが、相互依存が成立するのはそこに経済的合理性があるからである。しかし、他国の経済的威圧を回避するためにサプライチェーンを多元化するといった措置は経済合理性に反して、コストの高い選択をしなければならない。どこまでのコストを負担するのかが経済安保を進めるうえで重要な政策的判断となる。また、そうした政策を実現するうえで、日本は政府とビジネス界の戦略的対話を実施し、ビジネスにとって必ずしも合理的でない政策であっても円滑に実施することに配慮してきた。
第四に、経済安全保障上の措置をとることは、しばしば自由貿易の原則と対立する。特定の国家との貿易を制限し、特定の品目に関して制限をかけることは、無差別・内国民待遇といったWTOの基本的な原則に反する可能性がある。WTOには安全保障例外はあるが、その解釈は限定的である。そのため「Small yard, High fence」がスローガンとなり、管理されるべき対象は限りなく小さくすべきであることが規範とされた。
第五に、戦略的自律性を高める一方、サプライチェーンにおける不可欠性を高め、他国を依存させることで経済的威圧を実施しにくくする「戦略的不可欠性」を獲得することが必要である。
日本の経済安全保障概念の方向性
これまで戦略的自律性に重点を置き、サプライチェーンの強靭化や基幹インフラの防護など「守り」を重視した経済安全保障であったが、それが次第に「攻め」の姿勢に移行しつつある。これは米国におけるCHIPS 法やインフレ抑制法にみられる補助金や優遇税制を駆使した産業政策に重点を置いた経済安全保障の考え方に近い。これまでは国内での生産はコストが高すぎるため、オンショアリング(自国への産業誘致)よりはフレンドショアリング(友好的な国にサプライチェーンをシフトする)が有効だと考えられてきた。しかし、半導体や防衛といった、戦略的重要産業は国内で生産を完結できるようにすべきとの意識が高まり、これまででは想定できなかった巨額の予算が計上され、国内産業の強化が進められている。
半導体に関しては、台湾のTSMCの工場を熊本県に誘致するにあたり、合計で1兆2千億円の補助金を提供するほか、北海道に建設されるRapidusへの補助金も合計で1兆円に達するものになっている。また、防衛費の増額によって防衛産業への発注増加と、防衛装備移転三原則の改定などを通じた輸出奨励策がとられている。
こうした産業政策に重点を置いたサプライチェーンの強靭化は、単に部品や材料の供給を安定化させるというだけでなく、次世代の経済を担う産業を強化し、国際競争力をつけるという点で、戦略的産業の国際競争力の強化を目指した産業政策となっている。1980-90年代の日米貿易摩擦を経て、日本においては政府主導の産業政策は時代遅れとなり、規制緩和を中心とする新自由主義的な政策が優先されるようになったが、こうした政策が可能であったのは、自由貿易が世界経済の基調となり、グローバル化が進んだからである。しかし、こうした政治と経済が分離した時代は終わり、自由貿易の促進よりは、国家の産業競争力を高め、他国からの威圧に備えるために経済が「武器化」されるようになると、かつて日本の経済成長を支えた産業政策が復活するという結果をもたらすことになった。
こうした日本の経済安全保障の概念は、これまでの「守り」の経済安全保障から、「攻め」の経済安全保障へと転換しているように見える。しかし、アメリカのように重要産業をすべてオンショアリング(自国の国内で生産)するというだけの財政的資源と、自律的な生産能力は持ちえないであろう。半導体に関しては、台湾有事を想定したサプライチェーンの多元化の一環として日本にTSMCの工場を誘致し、Rapidusを創設するということに合理性はあると思えるが、アメリカが進める電気自動車や蓄電池などを全て国内で生産するというようなオンショアリング戦略は、サプライチェーンの多元化というよりは、対中戦略の一環としての側面が強いように思える。日本はそうした攻撃的な「攻め」の経済安全保障を目指すのではなく、あくまでもサプライチェーンの多元化を進め、経済的威圧のリスクを回避するという「守り」の経済安全保障を進めつつ、自由貿易の原則を守ることで、ルールに基づく国際秩序の形成に関与し続けることが重要である。すなわち、日本がとるべき経済安全保障戦略はオンショアリング戦略ではなく、自由貿易を守りつつ、信頼できるサプライヤーへのシフトを進めていくというフレンドショアリング戦略であるべきである。
執筆者プロフィール
鈴木 一人(すずき かずと)
東京大学公共政策大学院 教授
1970年生まれ。2000年英国サセックス大学ヨ-ロッパ研究所現代ヨーロッパ研究専攻博士課程修了。2000年から2008年まで筑波大学国際総合学類准教授として勤務。その間、立命館大学、北九州大学などで非常勤講師を兼任。2008年から北海道大学公共政策大学院准教授、2011年から教授。2012年から2013年にはプリンストン大学国際地域研究所客員研究員。2013年から2015年までは国連安保理イラン制裁専門家パネル委員。2020年から東京大学公共政策大学院教授。国際文化会館地経学研究所長、東京財団研究主幹、国際問題研究所客員研究員なども兼任。専門は国際政治、国際政治経済学、科学技術と安全保障、安全保障貿易管理、国連制裁など。主著として『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2011年。サントリー学芸賞受賞)“UN sanctions on Iran and their financial elements” in Sachiko Yoshimura (eds.) United Nations Financial Sanctions (Routledge, 2021) など。
東京大学公共政策大学院 教授
鈴木 一人
現代世界において、「経済安全保障」は一種のバズワードになっている。新型コロナによるサプライチェーンの混乱や断絶によって、国際的な分業が進んだ世界においては、国家間の相互依存が深まっており、その相互依存を支える物流や貿易の途絶は国家経済に大きな打撃を与えることが実感されるようになった。それがワクチンやマスク、医療防護具(PPE)など、人命にかかわるものにも及ぶ、ということも認識されるようになってきた。
これまで「グローバル化」の名の下に自由貿易を推進し、政治体制の異なる国々、国家間の対立の可能性がある国々とも、経済の分野では積極的に自由貿易の枠組みに取り込み、今や世界の市場は一つにつながるようになった。しかし、そうしたグローバル化が生み出す国際的相互依存がリスクとなって認識されるようになることで、自国の経済、特に国家安全保障にかかわる重要な物資や、人々の命にかかわる製品やサービスが入手できなくなるというリスクをいかに回避していくか、ということが「経済安全保障」をめぐる議論を際立たせることとなった。
ただ、これまで自由貿易が国家間の経済的つながりを強化し、比較優位の原則が働いて経済の効率化と富のプラスサム(みんなが利益を得る状態)を達成するだけでなく、戦争のコストを高めることで、相互依存は平和な世界をもたらす、という理念がなくなったわけではない。第二次大戦以降、少なくとも西側諸国においては自由貿易の仕組みが定着し、日本を含む多くの国が、一国ですべての財を賄うということが不可能になっている以上、自由貿易がもたらす利得は、これからも続いていくことになる。
しかし、こうした相互依存が前提としていた、政治と経済の分離、つまり国家間対立はあっても、自由貿易はそれらの国家に恩恵をもたらすため、経済的な相互依存は続くという考え方は、中国や米国が積極的に経済を「武器化」し、輸出規制や関税障壁を設けることで経済的な威圧を行うことで終焉を迎えた。現代は政治と経済が融合し、政治的な目的のために経済が武器として使われる時代と認識されるようになったことで、他国からの経済的威圧をいかに回避するか、ということが、より大きな戦略的問題となった。
さらに、そうした経済の武器化は、戦略的に重要な技術――例えば、半導体――においてどちらが優位性を持つのか、という点にも展開している。半導体の能力は「ムーアの法則」と呼ばれる、時間とともにその能力が倍増していく法則に則って、日進月歩の進歩をしているだけでなく、高度な半導体を使うことで、人工知能(AI)や高度なデータ処理を必要とするサービスを実現するようになっている。また、そうした高度な半導体は兵器の能力向上や、軍事的な戦術能力の向上などにも貢献する、いわゆる軍民両用技術である。半導体のような戦略的技術を独占し、相手に使わせないようにすることで技術的な優位性を維持するということが、国家安全保障にかかわるようになることで、技術流出の防止や、他国産業の抑圧も経済的な武器として考えられるようになり、経済安全保障の枠組みに組み込まれるようになってきた。
米中の対立が激しくなる中で、経済が武器として使われるということになると、「経済安全保障」は、単なるリスク回避の問題ではなく、米中対立を展開する戦略的手段となっていく。そして世界経済の中心である米中が経済を戦略的手段として使うことは、両国との貿易に依存している多くの国に影響が及ぶことになる。また、中国と対立するのは米国に限られているわけではない。日本も、欧州も、中国との戦略的な競争関係にあり、中国による経済的威圧の影響を受ける国として、経済安全保障を積極的に進めなければならない立場にある。しかし、日米欧のそれぞれが感じる中国の経済的威圧の脅威は異なっており、また中国に対する依存度も異なっている。さらには、それぞれが持つ天然資源や食料生産といった経済的自律性の度合いも異なっている。となれば、必然的に経済安全保障の概念も異なってこよう。
ここでは、日米欧における経済安全保障の概念がどのように異なっているのかを検討し、同じ「経済安全保障」という言葉を使っていても、その内実は大きく異なっていることを示したい。また、経済安全保障が概念として、まだ流動的であり、今後も大きく変化していく可能性があるという前提に立ち、その変化がどのような方向性を持っているのかを示したい。
米国における経済安全保障概念の特徴
すでに述べたような国際環境の変化は、各国において経済安全保障概念を発達させることとなった。その端緒となったのは、2022年に日本が経済安全保障推進法を策定し、経済安全保障担当大臣を設置したことであったが、それを機に各国で経済安全保障の議論が展開され、日本を一つのベンチマークとしながら、それぞれの国の事情に合わせて議論が発展している。
中でも米国の経済安全保障概念は独特なものがある。元々、米国には国際緊急経済権限法(IEEPA)と呼ばれる、安全保障を目的とした経済的措置を大統領が実施することが出来るという、広範な権限を大統領に与える法律がある。これまでは経済制裁や輸出管理などが、このIEEPA の下で実施されており、また、米国通商拡大法232条のように、安全保障を目的とした関税の引き上げや、国内に対する投資規制を行うスムート・ホーレイ法といった法律などもIEEPAとの関連で実施されている。
このように、国家安全保障の一環として経済を手段として使ってきた米国ではあるが、地経学的なパワーとして経済安全保障を議論するようになったのは最近のことである。とりわけ新型コロナのパンデミックの期間に半導体をはじめとする、米国の産業にとって重要な物資が入手困難となり、サプライチェーンが脆弱であるということが自覚されるようになったことが大きな背景にある。このサプライチェーンを強靭化するにあたって、米国が取った手段は、政府主導の産業政策であった。1980年代の日米貿易摩擦の時期に、日本が経産省(当時は通産省)主導の経済政策を実施していたことに対して厳しく批判していた米国が、30年後に産業政策を積極的に推進しているのは日本から見ればやや違和感はあるが、現代の経済安全保障においては、自国の経済秩序を維持するためには政府が介入する必要があるという判断があったものと思われる。ただし、米国における産業政策は、自国産業を保護するという意味よりも、どの国の企業であっても、米国の国内で生産を行うということを優先しており、その点で1980年代の日米貿易摩擦とは異なる。
米国がこうした経済安全保障の措置を取るようになったのは、米国が「戦略的競争相手」とみている中国が、国家主導型の産業政策を行い、特定の産業において政府の補助金を投下して国際競争力をつけている限り、米国もそれを進めていく必要があるという認識を持っていることがある。また、サプライチェーンを強靭化させるためには、他国に依存している状態を減らさなければならず、米国で生産されていない先端半導体や電気自動車を米国国内で生産する必要があるという認識も強い。さらには、グローバル化によって米国の製造業が疲弊した状態にあり、市場の原理に任せていては、米国の製造業は衰退の一途をたどるだけでなく、2016年の大統領選挙において「ラストベルト」と言われる、産業衰退地域において、民主党支持者が共和党候補であるトランプ氏を支持したことが衝撃となり、米国の製造業を復活させなければ米国の政治や社会も不安定化するという認識があるものと思われる。
こうした観点から、米国における経済安全保障は、サプライチェーンの安全保障であり、雇用の安全保障でもある、という認識があるものと思われる。しかし、それ以上に国家安全保障としての経済安全保障というニュアンスも強い。それが中国に対する半導体の輸出規制であり、また、中国の半導体産業やAI、量子コンピュータを開発、製造している企業に対する対外投資規制である。これまで自由な経済活動を優先してきた米国も、中国の技術開発が進むことで、米国の国家安全保障が脅かされることを懸念し、軍事転用可能な技術の開発につながるような投資や取引を制限することで、経済的手段を通じて国家安全保障を実現することを目指している。
EUにおける経済安全保障概念の特徴
EU は欧州各国が市場統合を進め、自由な経済的取引を国境を越えて可能にするというプロジェクトである。そのため、EU(正確には欧州委員会)が市場に介入することを前提としていない。さらに、国家安全保障の問題に関しては、EUではなくフランスやドイツといった加盟国に権限があり、安全保障を目的として市場に介入するような措置をとることが難しい。
しかしながら、日本が経済安全保障政策を始めたことと、ロシアのウクライナ侵攻によってEUが対ロ経済制裁を始めたことで、EUが安全保障と経済を結び付けた政策を展開するようになってきた。また、EUは長らく米国の経済政策からの影響を受けないよう、「戦略的自律性」を強化し、米国に振り回されない経済政策を行うことを強く意識した経済政策を行ってきたこともあり、米国が米中対立の文脈から、国家安全保障の問題を経済分野に持ち込むことに関して警戒を強めていた。また、中国がEU加盟国であるリトアニアを対象として経済的な威圧措置を取ることによって、EUも経済安全保障を真剣に考えなければいけなくなった。
その結果、EUにおいても徐々に経済安全保障戦略がまとまりつつある。2024年3月には、EUは経済安全保障の5つのイニシアチブを発表し、サプライチェーンの強靭化や重要鉱物の安定供給といった分野に特化した経済安全保障戦略を出している。しかしながら、日本や米国とは異なり、EUは中国の安全保障上の脅威や、中国による経済的威圧のリスクを認識しつつも、産業界は中国を有望な市場と考えており、中国に対する厳しい経済安全保障措置に対して反対の立場をとっている。そのため、EUの経済安全保障は中国からの報復を受けない範囲で政策をとることが基本路線となっている。
また、複数の加盟国の集合体でもあるEU は、加盟国ごとに中国との経済関係や安全保障のリスクに対する認識が異なっており、足並みをそろえることが難しい。そうしたことから、EUの経済安全保障政策は、政策として表明されていることとは裏腹に、その実施が難しいといった状況があることも留意しておくべきであろう。
日本における経済安全保障概念の特徴
日本における経済安全保障の概念の特徴は次の5点にまとめられるだろう。第一に、第二次大戦後の国際秩序(冷戦期には主として西側諸国の秩序)の基礎となってきた政治と経済の分離の時代が終わり、国家の戦略的目標のために経済が手段として使われるようになったことで、経済の「武器化」ないし経済的威圧によって国家間関係に影響を与えようとする行為が増えてきた。そのため、そうした経済的威圧を回避するために「戦略的自律性」を強化することが重視されている。
第二に、日本においては他国の影響を回避することが目的となっているため、経済安全保障上の措置は主として防御的なものであり、「守り」に徹したものである。これは他国に対する「攻め」の手段を含む米国の経済安全保障概念とは異なるものである。
第三に、経済安全保障は、他国との相互依存が前提となるが、相互依存が成立するのはそこに経済的合理性があるからである。しかし、他国の経済的威圧を回避するためにサプライチェーンを多元化するといった措置は経済合理性に反して、コストの高い選択をしなければならない。どこまでのコストを負担するのかが経済安保を進めるうえで重要な政策的判断となる。また、そうした政策を実現するうえで、日本は政府とビジネス界の戦略的対話を実施し、ビジネスにとって必ずしも合理的でない政策であっても円滑に実施することに配慮してきた。
第四に、経済安全保障上の措置をとることは、しばしば自由貿易の原則と対立する。特定の国家との貿易を制限し、特定の品目に関して制限をかけることは、無差別・内国民待遇といったWTOの基本的な原則に反する可能性がある。WTOには安全保障例外はあるが、その解釈は限定的である。そのため「Small yard, High fence」がスローガンとなり、管理されるべき対象は限りなく小さくすべきであることが規範とされた。
第五に、戦略的自律性を高める一方、サプライチェーンにおける不可欠性を高め、他国を依存させることで経済的威圧を実施しにくくする「戦略的不可欠性」を獲得することが必要である。
日本の経済安全保障概念の方向性
これまで戦略的自律性に重点を置き、サプライチェーンの強靭化や基幹インフラの防護など「守り」を重視した経済安全保障であったが、それが次第に「攻め」の姿勢に移行しつつある。これは米国におけるCHIPS 法やインフレ抑制法にみられる補助金や優遇税制を駆使した産業政策に重点を置いた経済安全保障の考え方に近い。これまでは国内での生産はコストが高すぎるため、オンショアリング(自国への産業誘致)よりはフレンドショアリング(友好的な国にサプライチェーンをシフトする)が有効だと考えられてきた。しかし、半導体や防衛といった、戦略的重要産業は国内で生産を完結できるようにすべきとの意識が高まり、これまででは想定できなかった巨額の予算が計上され、国内産業の強化が進められている。
半導体に関しては、台湾のTSMCの工場を熊本県に誘致するにあたり、合計で1兆2千億円の補助金を提供するほか、北海道に建設されるRapidusへの補助金も合計で1兆円に達するものになっている。また、防衛費の増額によって防衛産業への発注増加と、防衛装備移転三原則の改定などを通じた輸出奨励策がとられている。
こうした産業政策に重点を置いたサプライチェーンの強靭化は、単に部品や材料の供給を安定化させるというだけでなく、次世代の経済を担う産業を強化し、国際競争力をつけるという点で、戦略的産業の国際競争力の強化を目指した産業政策となっている。1980-90年代の日米貿易摩擦を経て、日本においては政府主導の産業政策は時代遅れとなり、規制緩和を中心とする新自由主義的な政策が優先されるようになったが、こうした政策が可能であったのは、自由貿易が世界経済の基調となり、グローバル化が進んだからである。しかし、こうした政治と経済が分離した時代は終わり、自由貿易の促進よりは、国家の産業競争力を高め、他国からの威圧に備えるために経済が「武器化」されるようになると、かつて日本の経済成長を支えた産業政策が復活するという結果をもたらすことになった。
こうした日本の経済安全保障の概念は、これまでの「守り」の経済安全保障から、「攻め」の経済安全保障へと転換しているように見える。しかし、アメリカのように重要産業をすべてオンショアリング(自国の国内で生産)するというだけの財政的資源と、自律的な生産能力は持ちえないであろう。半導体に関しては、台湾有事を想定したサプライチェーンの多元化の一環として日本にTSMCの工場を誘致し、Rapidusを創設するということに合理性はあると思えるが、アメリカが進める電気自動車や蓄電池などを全て国内で生産するというようなオンショアリング戦略は、サプライチェーンの多元化というよりは、対中戦略の一環としての側面が強いように思える。日本はそうした攻撃的な「攻め」の経済安全保障を目指すのではなく、あくまでもサプライチェーンの多元化を進め、経済的威圧のリスクを回避するという「守り」の経済安全保障を進めつつ、自由貿易の原則を守ることで、ルールに基づく国際秩序の形成に関与し続けることが重要である。すなわち、日本がとるべき経済安全保障戦略はオンショアリング戦略ではなく、自由貿易を守りつつ、信頼できるサプライヤーへのシフトを進めていくというフレンドショアリング戦略であるべきである。
執筆者プロフィール
鈴木 一人(すずき かずと)
東京大学公共政策大学院 教授
1970年生まれ。2000年英国サセックス大学ヨ-ロッパ研究所現代ヨーロッパ研究専攻博士課程修了。2000年から2008年まで筑波大学国際総合学類准教授として勤務。その間、立命館大学、北九州大学などで非常勤講師を兼任。2008年から北海道大学公共政策大学院准教授、2011年から教授。2012年から2013年にはプリンストン大学国際地域研究所客員研究員。2013年から2015年までは国連安保理イラン制裁専門家パネル委員。2020年から東京大学公共政策大学院教授。国際文化会館地経学研究所長、東京財団研究主幹、国際問題研究所客員研究員なども兼任。専門は国際政治、国際政治経済学、科学技術と安全保障、安全保障貿易管理、国連制裁など。主著として『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2011年。サントリー学芸賞受賞)“UN sanctions on Iran and their financial elements” in Sachiko Yoshimura (eds.) United Nations Financial Sanctions (Routledge, 2021) など。