ガザ情勢と中東地域の動揺
掲載日:2024年2月5日
東京大学大学院 特任准教授
鈴木 啓之
2023年10月から続くガザ地区での戦闘は、イスラエル近隣地域に限らず中東情勢を動揺させている。ガザ情勢は、今後どれほど中東地域の情勢に影響を与えていくのだろうか。本稿では、ガザ情勢によって動揺する中東各国の世論と、これが中長期的に地域情勢に与える影響について考えてみたい。
ガザ情勢の推移
2023年10月7日にハマースなどに属するパレスチナの武装戦闘員が3000人規模でガザ地区からイスラエルに越境した。ガザ地区周辺のイスラエルの市街地やキブツでは、イスラエル軍や警察とパレスチナ人武装戦闘員のあいだで戦闘が展開され、イスラエルの発表では民間人800人以上を含むおよそ1200人が殺害された。特にナハル・オズやクファル・アザなどは、壊滅的な破壊を受けた。
イスラエル軍によるガザ地区への攻撃は、10月7日の当日から開始され、翌8日には大規模空爆へと至った。また、10月9日からガザ地区に対する電力や水道の供給を停止する完全封鎖をイスラエルが宣言した。11月24日から30日にかけてはガザ地区に連れ去られた240人ほどと見積もられている人質のうち、100人近くが解放されることで一時休戦が実現されたが、12月1日に休戦は破棄され、戦闘が続いた。ガザ地区での死者は1月31日時点で少なくとも2万6000人を超え、負傷者も7万人に迫っている。
アラブ世論の動揺
アラブ世論は大きく動揺した。特に2023年10月17日未明にガザ地区のアハリー病院で爆発があり多くの死傷者が出ているとの報道は、イスラエルによる攻撃が原因であるとの前提のもと、アラブ世論の沸騰を招いた。おりしもアメリカのジョー・バイデン大統領がイスラエル訪問の途上にあったことも手伝い、イスラエル支持の立場を頑なに崩さないアメリカへの批判も高まった。ヨルダンで予定されていたエジプト、ヨルダン、パレスチナとの首脳会談がアラブ世論の反発を鑑みて中止され、バイデン大統領はイスラエルに訪問するだけで帰国せざるを得なかった。バイデン大統領に続いてイギリスのリシ・スナク首相、フランスのエマニュエル・マクロン大統領などもイスラエルを訪問したが、やはり大きな外交的成果を挙げることはなかった。
アハリー病院での爆発の真偽について、国際人権NGOの「ヒューマンライツウォッチ」は、「さらなる調査が必要」と留保を付しつつパレスチナ側の武装勢力によるロケット弾の誤射が原因であったとの暫定レポートを11月26日に発表している【1】。ただし、そうした真相の究明が、アラブ世論の沈静化に貢献することにはならなかった。10月28日前後からイスラエル軍は地上部隊をガザ地区内に本格的に投入し、地上戦に突入したからである。戦闘が苛烈な形で進展することで、ガザ情勢への関心はひたすら高まっていった。
アラブ世論を大規模に調査してきた「アラブ・バロメーター」は、10月7日をはさんでチュニジアで実施した世論調査(サンプル数2406)の結果を速報した【2】。これによると、10月7日の戦闘開始から、イスラエルの同盟国に対する支持が急落し、特にアメリカへの反発が広がっていることが示された。また、カタルに拠点を置く「アラブ調査・政策研究所」は、2024年1月10日にアラブ諸国16ヶ国で実施した世論調査(サンプル数8000)の結果を公表した【3】。これによると、ガザ情勢を「毎日確認する」との回答が6割、「週に数回」との回答が2割を占め、関心が続いていることが示された。特に、パレスチナ(ヨルダン川西岸地区)や周辺国のヨルダンやレバノンに次いで、イエメンでの関心が高い点は注目に値するだろう。もちろん、これがフーシ派の大胆な行動を支える国民世論のあらわれであるのか、またはフーシ派による行動が国内世論の注目を高めているのかは判然としない。しかし、周辺国にくわえてイエメンでガザ報道への関心が高まっていることは、少なくともガザ情勢の波及力を示して余りあることだろう。ただし、この調査でより着目すべきことは、アラブ各国において、パレスチナ問題への当事者意識が軒並み高まっている点である。
パレスチナ問題は、ながらくアラブの大義(解決すべき課題)として位置づけられてきた。これはひとえに、脱植民地化が進むことでアラブ諸国が独立を達成していく一方で、パレスチナではイスラエルの存在によって植民地支配が続き、この地域の解放がアラブ民族の解放の達成を意味すると位置づけられたからである。関与の実態はさておくとしても、特に共和制を敷くアラブ諸国(エジプトやシリア、イラクなど)では、パレスチナ問題の解決を訴えることで、体制の正統性を獲得しようとした。イスラエルに対するアラブボイコット(イスラエルに対する経済ボイコットだけではなく、イスラエルと商取引を行う第三国の企業に対するボイコットも含む)などは、アラブ諸国による当時の取り組みの一例である。しかし、1980年代頃にはアラブ諸国の中での足並みが乱れ、1990年代の和平交渉開始によって、なし崩し的にイスラエル包囲網が機能しなくなっていった。さらに、近年では2020年のアブラハム合意に代表されるアラブ諸国とイスラエルの関係正常化が進み、パレスチナ問題への当事者意識はますます薄まっていると理解されてきた。
「アラブ調査・政策研究所」の世論調査は、こうした前提を崩すような結果を示している。つまり、「パレスチナ問題はすべてのアラブ人にとっての問題である」との回答が、各国で軒並み9割を越えたのだ。皮肉なことに、「パレスチナ問題はパレスチナ人だけにとっての問題である」との回答が最も多かった(とは言え、26%に過ぎない)のは、パレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区だった。アラブ諸国の世論は、ガザ地区での戦闘を経て明確にパレスチナ問題への注目を増したことが示されている。いわばアラブ世論がガザ地区での戦闘によって喚起され、かつての「アラブの大義」としてのパレスチナ問題を呼び戻したとさえ言えるだろう。各国で呼び覚まされたパレスチナ問題への当事者意識は、中長期的に中東情勢に影響を与える可能性を多分に帯びていると言えるだろう。
中東各国の対応と他地域への広がり
アラブ諸国の対応は、こうした世論の高まりを背景に、パレスチナ人への連帯を示し、即時停戦のための外交的アピールを強化した。アハリー病院で爆発が発生した後のヨルダンとエジプトの動きは、その一例である。アラブ諸国による対応のなかでも特に注目されたのは、サウジアラビアの動向であった。サウジアラビアはイスラエルとの関係正常化を間近に控えているとの憶測が2023年初頭から高まり、2023年9月20日にはアメリカのFox Newsによるインタビューにムハンマド・ビン・サルマーン皇太子自らが応じ、イスラエルとの関係正常化に関して「日増しに近づいている」(Every day we get closer)と英語で応じる一幕もあった。しかし、ガザ地区での戦闘が厳しさを増すなかで、10月半ばには関係正常化を凍結したと報じられている。11月11日にサウジアラビアは、アラブ連盟とイスラーム協力機構の合同首脳会議を首都のリヤードで主催し、ガザ地区での戦闘を主題として取り上げた。この会合ではイスラエルによる「自衛権の行使」という言説を退け、ガザ地区で実施されている軍事行動の即時停止が訴えられた。イランやトルコといった中東の地域大国も参加する形で声明が発表された点は、特筆に値すると言えるだろう。
実力行使においては、レバノンを拠点とするヒズブッラー、イエメンの「アンサールッラー」(フーシ派)の行動が際立っている。ヒズブッラーは10月8日には早くもゴラン高原にあるイスラエル軍施設に迫撃砲を発射し、イスラエルとの対決姿勢を国内外にアピールした。11月3日にはハサン・ナスルッラー書記長の演説があり、本格的な攻勢が開始されるのではないかと緊張が高まったが、2024年1月末までの段階ではヒズブッラーとイスラエル軍の交戦は限定的なものに留まっている。一方で、10月19日には、イエメンからイスラエルに向けて4発の巡航ミサイルと15機のドローンが発射され、米軍艦船が迎撃する事態に陥った。日本郵船が運行する貨物船Galaxy Leaderが、イエメン沖で同国を拠点とするフーシ派の襲撃を受け、占拠されたのは11月20日のことである。12月9日にはイスラエルを行き先とするあらゆる船舶の航行を認めないとする声明が発表され、実際に15日には2隻の船に対してミサイルが発射されたと報じられた。結果的に欧米の運航会社は紅海を通過するルートを避け、喜望峰を迂回するルートでの運航を行わざるを得なくなった。2024年1月11日の深夜には、英米の合同作戦としてフーシ派に対する軍事攻撃がはじめて実施されている。
イランやトルコといった非アラブ諸国も、緊迫するガザ情勢に関して積極的な意思表示を行った。イランはあくまでハマース自身が10月7日の作戦開始を決定したのだと慎重に指摘しつつ、ハマースを支持し、イスラエルによるガザ地区での軍事行動に警告を繰り返した。10月22日にはアミールアブドゥッラーヒヤーン外相がハマース政治局長のイスマーイール・ハニーヤおよびイスラーム聖戦書記長のズィヤード・ナッハーラと電話会談を行ったことが公にされた。また、10月31日にはカタルで同外相がハニーヤ政治局長と会談を行い、事態の打開について協議した。他にも、共和国建国100周年を迎えていたトルコでは、さながら建国集会がガザ住民への連帯集会へと変わり、レジェップ・タイップ・エルドアン大統領はガザ地区での「ジェノサイド」をやめるようにと訴えた。
中東諸国がガザ情勢への注目を高めていくなかで、ラテンアメリカ諸国やアフリカ諸国による対応も、特筆すべきものが見られた。ボリビアがイスラエルとの国交断絶に至り(10月31日)、11月にはチリ、コロンビア、ホンジュラスが相次いで駐イスラエル大使を本国に召還した。また、南アフリカがイスラエルを国際司法裁判所(ICJ)に提訴したことも、大きな動きであった。南アフリカは、イスラエルの軍事行動がジェノサイド条約に違反していると訴えた。1月26日にはICJが暫定措置命令を発出し、イスラエルに対してジェノサイドを扇動する行為の停止と人道支援の提供などの措置を講じるよう求めた。
今後の見通し
ガザ情勢は、戦闘開始から100日を経て、さらに混迷の兆しを見せている。1月26日にアメリカ政府が発表したパレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への拠出金一時停止の動きは、日本を含む複数国に広がった。米国務省のマシュー・ミラー報道官は、12人のUNRWA職員が10月7日の攻撃に関与したとの疑惑を挙げ、「UNRWAは最低限の食料、医薬品、避難所など必要不可欠な人道的支援をはじめとする救済支援をパレスチナ人に提供する重要な役割を果たしている。その任務は人命を救うことにあり、UNRWAがこの〔12人の職員が襲撃に関与したとの〕疑惑に向きあい、これまでの政策や方法の見直しをはじめとするあらゆる適切な矯正措置を行うことが重要である」と述べた【4】。
過去に繰り返されてきたガザ地区での戦闘では、戦後の緊急人道支援と復興にUNRWAを中核とする国連による活動が大きな役割を果たしてきた。また、100日を超える戦闘のなかで、人道状況が悪化の一途を辿るガザ地区の人々の生活を支えてきたのもUNRWAである。UNRWAへの拠出金一時停止は、ガザ地区の戦後の見通しをさらに困難にしたと言わざるを得ない。
執筆者プロフィール
鈴木 啓之 (すずき ひろゆき)
東京大学大学院 総合文化研究科スルタン・カブース・グローバル中東研究寄付講座 特任准教授
博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD(日本女子大学)、日本学術振興会海外特別研究員(ヘブライ大学ハリー・S・トルーマン平和研究所)を経て、2019年9月より現職。著書に『蜂起〈インティファーダ〉:占領下のパレスチナ1967–1993』(東京大学出版会、2020年)、共編著に『パレスチナを知るための60章』(明石書店、2016年)。 主に中東の地域研究に従事し、パレスチナ問題を軸に中東の近現代史も研究している。近年はイスラエル、オマーンについても研究対象の幅を広げている。
東京大学大学院 特任准教授
鈴木 啓之
2023年10月から続くガザ地区での戦闘は、イスラエル近隣地域に限らず中東情勢を動揺させている。ガザ情勢は、今後どれほど中東地域の情勢に影響を与えていくのだろうか。本稿では、ガザ情勢によって動揺する中東各国の世論と、これが中長期的に地域情勢に与える影響について考えてみたい。
ガザ情勢の推移
2023年10月7日にハマースなどに属するパレスチナの武装戦闘員が3000人規模でガザ地区からイスラエルに越境した。ガザ地区周辺のイスラエルの市街地やキブツでは、イスラエル軍や警察とパレスチナ人武装戦闘員のあいだで戦闘が展開され、イスラエルの発表では民間人800人以上を含むおよそ1200人が殺害された。特にナハル・オズやクファル・アザなどは、壊滅的な破壊を受けた。
イスラエル軍によるガザ地区への攻撃は、10月7日の当日から開始され、翌8日には大規模空爆へと至った。また、10月9日からガザ地区に対する電力や水道の供給を停止する完全封鎖をイスラエルが宣言した。11月24日から30日にかけてはガザ地区に連れ去られた240人ほどと見積もられている人質のうち、100人近くが解放されることで一時休戦が実現されたが、12月1日に休戦は破棄され、戦闘が続いた。ガザ地区での死者は1月31日時点で少なくとも2万6000人を超え、負傷者も7万人に迫っている。
アラブ世論の動揺
アラブ世論は大きく動揺した。特に2023年10月17日未明にガザ地区のアハリー病院で爆発があり多くの死傷者が出ているとの報道は、イスラエルによる攻撃が原因であるとの前提のもと、アラブ世論の沸騰を招いた。おりしもアメリカのジョー・バイデン大統領がイスラエル訪問の途上にあったことも手伝い、イスラエル支持の立場を頑なに崩さないアメリカへの批判も高まった。ヨルダンで予定されていたエジプト、ヨルダン、パレスチナとの首脳会談がアラブ世論の反発を鑑みて中止され、バイデン大統領はイスラエルに訪問するだけで帰国せざるを得なかった。バイデン大統領に続いてイギリスのリシ・スナク首相、フランスのエマニュエル・マクロン大統領などもイスラエルを訪問したが、やはり大きな外交的成果を挙げることはなかった。
アハリー病院での爆発の真偽について、国際人権NGOの「ヒューマンライツウォッチ」は、「さらなる調査が必要」と留保を付しつつパレスチナ側の武装勢力によるロケット弾の誤射が原因であったとの暫定レポートを11月26日に発表している【1】。ただし、そうした真相の究明が、アラブ世論の沈静化に貢献することにはならなかった。10月28日前後からイスラエル軍は地上部隊をガザ地区内に本格的に投入し、地上戦に突入したからである。戦闘が苛烈な形で進展することで、ガザ情勢への関心はひたすら高まっていった。
アラブ世論を大規模に調査してきた「アラブ・バロメーター」は、10月7日をはさんでチュニジアで実施した世論調査(サンプル数2406)の結果を速報した【2】。これによると、10月7日の戦闘開始から、イスラエルの同盟国に対する支持が急落し、特にアメリカへの反発が広がっていることが示された。また、カタルに拠点を置く「アラブ調査・政策研究所」は、2024年1月10日にアラブ諸国16ヶ国で実施した世論調査(サンプル数8000)の結果を公表した【3】。これによると、ガザ情勢を「毎日確認する」との回答が6割、「週に数回」との回答が2割を占め、関心が続いていることが示された。特に、パレスチナ(ヨルダン川西岸地区)や周辺国のヨルダンやレバノンに次いで、イエメンでの関心が高い点は注目に値するだろう。もちろん、これがフーシ派の大胆な行動を支える国民世論のあらわれであるのか、またはフーシ派による行動が国内世論の注目を高めているのかは判然としない。しかし、周辺国にくわえてイエメンでガザ報道への関心が高まっていることは、少なくともガザ情勢の波及力を示して余りあることだろう。ただし、この調査でより着目すべきことは、アラブ各国において、パレスチナ問題への当事者意識が軒並み高まっている点である。
パレスチナ問題は、ながらくアラブの大義(解決すべき課題)として位置づけられてきた。これはひとえに、脱植民地化が進むことでアラブ諸国が独立を達成していく一方で、パレスチナではイスラエルの存在によって植民地支配が続き、この地域の解放がアラブ民族の解放の達成を意味すると位置づけられたからである。関与の実態はさておくとしても、特に共和制を敷くアラブ諸国(エジプトやシリア、イラクなど)では、パレスチナ問題の解決を訴えることで、体制の正統性を獲得しようとした。イスラエルに対するアラブボイコット(イスラエルに対する経済ボイコットだけではなく、イスラエルと商取引を行う第三国の企業に対するボイコットも含む)などは、アラブ諸国による当時の取り組みの一例である。しかし、1980年代頃にはアラブ諸国の中での足並みが乱れ、1990年代の和平交渉開始によって、なし崩し的にイスラエル包囲網が機能しなくなっていった。さらに、近年では2020年のアブラハム合意に代表されるアラブ諸国とイスラエルの関係正常化が進み、パレスチナ問題への当事者意識はますます薄まっていると理解されてきた。
「アラブ調査・政策研究所」の世論調査は、こうした前提を崩すような結果を示している。つまり、「パレスチナ問題はすべてのアラブ人にとっての問題である」との回答が、各国で軒並み9割を越えたのだ。皮肉なことに、「パレスチナ問題はパレスチナ人だけにとっての問題である」との回答が最も多かった(とは言え、26%に過ぎない)のは、パレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区だった。アラブ諸国の世論は、ガザ地区での戦闘を経て明確にパレスチナ問題への注目を増したことが示されている。いわばアラブ世論がガザ地区での戦闘によって喚起され、かつての「アラブの大義」としてのパレスチナ問題を呼び戻したとさえ言えるだろう。各国で呼び覚まされたパレスチナ問題への当事者意識は、中長期的に中東情勢に影響を与える可能性を多分に帯びていると言えるだろう。
中東各国の対応と他地域への広がり
アラブ諸国の対応は、こうした世論の高まりを背景に、パレスチナ人への連帯を示し、即時停戦のための外交的アピールを強化した。アハリー病院で爆発が発生した後のヨルダンとエジプトの動きは、その一例である。アラブ諸国による対応のなかでも特に注目されたのは、サウジアラビアの動向であった。サウジアラビアはイスラエルとの関係正常化を間近に控えているとの憶測が2023年初頭から高まり、2023年9月20日にはアメリカのFox Newsによるインタビューにムハンマド・ビン・サルマーン皇太子自らが応じ、イスラエルとの関係正常化に関して「日増しに近づいている」(Every day we get closer)と英語で応じる一幕もあった。しかし、ガザ地区での戦闘が厳しさを増すなかで、10月半ばには関係正常化を凍結したと報じられている。11月11日にサウジアラビアは、アラブ連盟とイスラーム協力機構の合同首脳会議を首都のリヤードで主催し、ガザ地区での戦闘を主題として取り上げた。この会合ではイスラエルによる「自衛権の行使」という言説を退け、ガザ地区で実施されている軍事行動の即時停止が訴えられた。イランやトルコといった中東の地域大国も参加する形で声明が発表された点は、特筆に値すると言えるだろう。
実力行使においては、レバノンを拠点とするヒズブッラー、イエメンの「アンサールッラー」(フーシ派)の行動が際立っている。ヒズブッラーは10月8日には早くもゴラン高原にあるイスラエル軍施設に迫撃砲を発射し、イスラエルとの対決姿勢を国内外にアピールした。11月3日にはハサン・ナスルッラー書記長の演説があり、本格的な攻勢が開始されるのではないかと緊張が高まったが、2024年1月末までの段階ではヒズブッラーとイスラエル軍の交戦は限定的なものに留まっている。一方で、10月19日には、イエメンからイスラエルに向けて4発の巡航ミサイルと15機のドローンが発射され、米軍艦船が迎撃する事態に陥った。日本郵船が運行する貨物船Galaxy Leaderが、イエメン沖で同国を拠点とするフーシ派の襲撃を受け、占拠されたのは11月20日のことである。12月9日にはイスラエルを行き先とするあらゆる船舶の航行を認めないとする声明が発表され、実際に15日には2隻の船に対してミサイルが発射されたと報じられた。結果的に欧米の運航会社は紅海を通過するルートを避け、喜望峰を迂回するルートでの運航を行わざるを得なくなった。2024年1月11日の深夜には、英米の合同作戦としてフーシ派に対する軍事攻撃がはじめて実施されている。
イランやトルコといった非アラブ諸国も、緊迫するガザ情勢に関して積極的な意思表示を行った。イランはあくまでハマース自身が10月7日の作戦開始を決定したのだと慎重に指摘しつつ、ハマースを支持し、イスラエルによるガザ地区での軍事行動に警告を繰り返した。10月22日にはアミールアブドゥッラーヒヤーン外相がハマース政治局長のイスマーイール・ハニーヤおよびイスラーム聖戦書記長のズィヤード・ナッハーラと電話会談を行ったことが公にされた。また、10月31日にはカタルで同外相がハニーヤ政治局長と会談を行い、事態の打開について協議した。他にも、共和国建国100周年を迎えていたトルコでは、さながら建国集会がガザ住民への連帯集会へと変わり、レジェップ・タイップ・エルドアン大統領はガザ地区での「ジェノサイド」をやめるようにと訴えた。
中東諸国がガザ情勢への注目を高めていくなかで、ラテンアメリカ諸国やアフリカ諸国による対応も、特筆すべきものが見られた。ボリビアがイスラエルとの国交断絶に至り(10月31日)、11月にはチリ、コロンビア、ホンジュラスが相次いで駐イスラエル大使を本国に召還した。また、南アフリカがイスラエルを国際司法裁判所(ICJ)に提訴したことも、大きな動きであった。南アフリカは、イスラエルの軍事行動がジェノサイド条約に違反していると訴えた。1月26日にはICJが暫定措置命令を発出し、イスラエルに対してジェノサイドを扇動する行為の停止と人道支援の提供などの措置を講じるよう求めた。
今後の見通し
ガザ情勢は、戦闘開始から100日を経て、さらに混迷の兆しを見せている。1月26日にアメリカ政府が発表したパレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への拠出金一時停止の動きは、日本を含む複数国に広がった。米国務省のマシュー・ミラー報道官は、12人のUNRWA職員が10月7日の攻撃に関与したとの疑惑を挙げ、「UNRWAは最低限の食料、医薬品、避難所など必要不可欠な人道的支援をはじめとする救済支援をパレスチナ人に提供する重要な役割を果たしている。その任務は人命を救うことにあり、UNRWAがこの〔12人の職員が襲撃に関与したとの〕疑惑に向きあい、これまでの政策や方法の見直しをはじめとするあらゆる適切な矯正措置を行うことが重要である」と述べた【4】。
過去に繰り返されてきたガザ地区での戦闘では、戦後の緊急人道支援と復興にUNRWAを中核とする国連による活動が大きな役割を果たしてきた。また、100日を超える戦闘のなかで、人道状況が悪化の一途を辿るガザ地区の人々の生活を支えてきたのもUNRWAである。UNRWAへの拠出金一時停止は、ガザ地区の戦後の見通しをさらに困難にしたと言わざるを得ない。
- (1)Human Rights Watch, “Gaza: Findings on October 17 al-Ahli Hospital Explosion,” 26 November 2023 (Accessed: 31 January 2024).
- (2)Michael Robbins, MaryClare Roche, Amaney Jamal, Salma Al-Shami, & Mark Tessler, “How the Israel-Hamas War in Gaza Is Changing Arab Views,” Arab Barometer, 14 December 2023 (Accessed: 31 January 2024).
- (3)The Arab Center for Research and Policy Studies, “Arab Public Opinion about the Israeli War on Gaza,” 10 January 2024 (Accessed: 31 January 2024).
- (4)U.S. Department of State, “Statement on UNRWA Allegations,” 26 January 2024 (Accessed: 31 January 2024).
執筆者プロフィール
鈴木 啓之 (すずき ひろゆき)
東京大学大学院 総合文化研究科スルタン・カブース・グローバル中東研究寄付講座 特任准教授
博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD(日本女子大学)、日本学術振興会海外特別研究員(ヘブライ大学ハリー・S・トルーマン平和研究所)を経て、2019年9月より現職。著書に『蜂起〈インティファーダ〉:占領下のパレスチナ1967–1993』(東京大学出版会、2020年)、共編著に『パレスチナを知るための60章』(明石書店、2016年)。 主に中東の地域研究に従事し、パレスチナ問題を軸に中東の近現代史も研究している。近年はイスラエル、オマーンについても研究対象の幅を広げている。