防衛大学校 校長
久保 文明
はじめに
現在、第二次世界大戦後の国際政治秩序は大きく動揺しつつある。ここで言う国際秩序とは、すべての国家は、たとえ国境や領土について不満を抱いたとしても、一方的な力の行使ないしその威嚇によって現状変更を行ってはならないという原則に立脚した国際秩序のことであり、法の支配に基づいた国際秩序(あるいはリベラルな国際秩序)と呼ばれることも多い。冷戦期のソ連がこの秩序をどの程度正面から支えていたかどうかは疑わしいが、それでもいわゆる西側諸国の間ではかなりの程度受容されていた。冷戦終結後この原則はさらに広く受け入れられ、1990年代には格段に安定性を増したように思われた。しかし、現在それは深刻な挑戦を受けている。
1.「法の支配」に基づいた国際秩序への挑戦
第一に、ロシアが2022年2月にウクライナに開戦し、力ずくで現状を変更しようとしている。核大国による、核兵器使用の威嚇すら伴った、これほど大規模かつ露骨な隣国への侵略が持つ衝撃は筆舌に尽くしがたい。
第二に、中国の変化が重要である。今世紀初頭まで、多くの識者は中国の体質と進路に懸念と不安を抱きながらも、基本的には中国が経済的に成長するとともに国内体制・対外政策双方が穏健化していき、国際秩序に従う国になることを期待していた。2001年の中国の世界貿易機関(WTO)加盟も、そのような期待に後押しされていた。しかし、その期待は、WTO加盟後の中国の行動に限らず、大きく裏切られたといってよかろう。こんにち、中国は獲得した経済力・軍事力・技術力等を梃子にして、かなり一方的に国際秩序を掘り崩そうとしている。それはとくに南シナ海と東シナ海での行動において顕著である。中国は中長期的に見るとロシアよりはるかに大きな国力を持つがゆえに、こちらの方が法の支配に基づく国際秩序にとってはるかに深刻な脅威といえる。
第三に、北朝鮮が最近夥しい数のミサイル発射を実行した。
第四に、これら三国、すなわちロシア・中国・北朝鮮の間の協力関係が深まっていることも深刻である。ロシアのウクライナ侵略を中国は正面から批判していない。両国が一定の共同戦線を形成しながら、米国、NATO、そして既存の国際秩序に挑戦していることは否定し難い。ロシアの中国と北朝鮮への依存度は、ますます深まっているように思われる。今や北朝鮮は、自らの国連決議違反の行動に対してロシアからの支持を期待できるようになった。すでにロシアから核ミサイル開発に関する高度技術を入手している可能性も小さくない。これは北朝鮮に誤った状況認識を抱かせかねない。
そして、第五に、そして潜在的にはもっとも深刻な点として、法の支配による国際秩序を第二次世界大戦終結以後、主導権をとって支えてきた米国の意欲が近年萎えつつあり、あるいは十分でないように見えることである。
2.「基軸国」アメリカの重要性とその国内世論の動向
一般的に、国際秩序は、一極・二極・多極等の相違を問わず、それを支える有力な国家ないし国家群からの支持がないと長く存続しえない。とくに民主化が進展した現代において、「法の支配」に基づいた国際秩序が存続するためには、権威主義国家がそれを掘り崩そうとする傾向を持つ以上、民主主義国家がそれを支える必要があり、そのためには当該国家において広範かつ堅固な国内政治的支持が必要となる。支える側の国家は、軍事力、軍の海外派遣・駐留等、さらには自由貿易秩序を支える場合には国内市場開放による痛みなど、様々な形の政治的・経済的負担を負う必要があり、政権担当者がこうしたコストを受け入れるよう国民を説得することは必ずしも容易ではない。
1945年以降長らく、アメリカは基本的にはこうした役割を率先して果たしてきたが、近年それは揺らぎつつある。以下の図に見られるように、今世紀に入ってから、「世界におけるアメリカ合衆国の立場に満足しているかどうか」という問いに対する「満足」との回答は、急に少なくなっている。
図1 アメリカの国際的地位についての満足度
以下、図の出典: Bruce Stokes German Marshall Fund, “Public Opinion: What Does It Mean for U.S. Engagement with the World,” October 25, 2023
2016年に「アメリカ・ファースト」をスローガンに掲げるドナルド・トランプが大統領に当選したことは、このような文脈で衝撃であった。トランプは選挙戦中からNATOを「時代遅れ」と一蹴し、日本と韓国に対して核武装してもよいから自分で守れと発言した。彼はさらに、以前ならいざ知らず、アメリカには現在日韓を守る余裕はないと述べた。大統領就任後の2019年にもトランプは、日本は米国防衛義務が課せられておらず、不公平であるから日米安保条約を廃棄すべきではないかと側近に語っていた(Trump Muses Privately About Ending Postwar Japan Defense Pact - Bloomberg)。
むろん、トランプの外交安全保障政策のすべてが、国際秩序擁護に否定的あるいは消極的というわけではない。日米の同盟協力は彼の在任中むしろ強化されたし、米国の国防費は増額された。また対中政策に関しては、同政権期にその基調が顕著に硬化したことは否定しがたく、これを肯定的に評価することも十分可能である。ただし、トランプ自身の外交政策については、後述するような無原則性・不透明性・予測不可能性が付きまとっていた。
2024年春時点において、ウクライナはロシアの攻勢を前にして苦戦を強いられており、ロシアの一方的行動は成功とまでいえないにせよ、一定の成果をあげている。ウクライナを支援しようとする米国の意欲は萎えつつある。ハマスの攻撃に端を発したイスラエルによるガザ侵攻問題が、ウクライナ支援の勢いを鈍らせている面もある。それだけに、法の支配に基づく国際秩序が直面する危機は一層深刻である。
3.ウクライナ支援をめぐる議会審議
図1で示された傾向は実は党派性を覆い隠していた。図2に見られるように、回答者は自分の支持政党が与党の時には、アメリカの国際的地位について高い満足感を抱く傾向がある。ある意味で、国際的地位の感覚にまで党派性が及んでいるのである。
図2 アメリカの国際的地位についての満足度(支持政党別)
(青:民主党支持者、緑:無党派、赤:共和党支持者)
1970年代に、それまで「冷戦の闘士」としてタカ派的な国際主義を推進していた民主党は内向きに転じ、いわば軍備管理・軍縮の政党と化した。逆にレーガン大統領を輩出した共和党がタカ派的な外交・安全保障政策を支持するようになった。ところが、今世紀に入り民主党は支持者の高学歴化等の理由によってグローバリズムならびに国際主義を支持するようになり、共和党は2010年代半ば以降、トランプの登場によって一挙に孤立主義・保護貿易主義に変貌した。民主党が国際主義的になった様相は、図3で示されている。また、共和党がトランプのもとで孤立主義的に変化していく様子は、次の図4において、かなり鮮明に見て取れる。こうした変化を背景にして、以下、とくにウクライナ支援政策の動きについて簡単に触れたい。
図3 アメリカは国際社会で指導的役割を果たすべき(支持政党別)
①「アメリカは国際問題で指導的役割を果たすべき」、②「指導的ではないが大きな役割を果たすべき」、
③「小さな役割を果たすべき」、④「全く役割を果たすべきでない」の設問に対して、①と②の回答者の合計。
(赤:共和党支持者、緑:無党派、青:民主党支持者)
図4 「アメリカは海外の問題の解決のための関与を減らすべき」
と回答する者の割合
(赤:共和党支持者、青:民主党支持者)
4.アメリカ世論におけるロシアと中国
アメリカの世論がロシアを見る目は、ウクライナに対する侵略も踏まえ、ソ連崩壊以来もっとも厳しくなっており、図5に見られるように、89%が好ましくないとの印象を抱いている。ウクライナ支援に関しては、2023年2月の世論調査では「ウクライナ勝利までいくら時間がかかっても支援する」と回答した者は50%存在していたが、同年10月には45%まで減少した(図6)。世論のレベルでも、ウクライナ支援に対する熱が冷めている様子が伺える。支持政党別では、軍事支援・経済支援とも、共和党支持者の落ち込みの方が民主党支持者のそれよりも顕著である(図7)。
図5 ロシアに対して好意的か否か
ロシアについての全般的な意見は、
①「非常に好意的」、②「だいたい好意的」、
③「だいたい非好意的」、 ④「非常に非好意的」
緑:①と②の合計、青:③と④の合計
図6 ウクライナ支援は「時限的に」、あるいは「最後まで」
ロシアに対抗するウクライナへの支援
(上段:時限的に、下段:勝つまで)
図7 ウクライナへの軍事支援及び経済支援に対する支持(支持政党別)
グラフ(上):ウクライナへの軍事支援
グラフ(下):ウクライナへの経済支援
(グレー:全体、青:民主党支持者、赤:共和党支持者、黄色:無党派)
アメリカ世論が中国を見る目も同様に厳しい。図8で示されているように、84%が中国について好ましからざる印象を抱いている。興味深いことに、民主党支持者は中国を「競争相手」、共和党支持者は「敵」と定義する傾向があり、後者の方が厳しいレトリックを使う(図9)。例えば、2023年3月の数値で比較すると、民主党支持者(民主党寄りも含む)では、中国を競争相手と見る者が64%で、敵とする者は27%であったが、共和党支持者(同様に共和党寄りも含む)では、競争相手とする者が41%を占め、敵と見る者が53%となっていた。しかしながら、万が一中国が台湾を侵略した際にアメリカが台湾を支援すべきかどうかについては、支援すると回答した者は民主党支持者では54%、共和党支持者で44%となり、民主党支持者の方が高いスコアを示している(図10)。
図8 中国に対して好意的か否か
中国についての全般的な意見は、
①「非常に好意的」、②「だいたい好意的」、
③「だいたい非好意的」、④「非常に非好意的」
(●緑:①と②の合計、●青:③と④の合計)
図9 中国に対する見方(支持政党別)
共和党支持者の約半数は中国を「敵」とみなしている
グラフ(左):全体
グラフ(中):共和党支持者および共和党寄り回答者
グラフ(右):民主党支持者および民主党寄り回答者
(青:敵、白:競争相手、緑:パートナー)
図10 台湾支援に対する態度(支持政党別)
以下の3つのシナリオにおける対応策としてどれを共有するか
グラフ(上):共和党支持者および共和党寄り回答者
グラフ(下):民主党支持者および民主党寄り回答者
シナリオ(上):中国が台湾を侵略
シナリオ(中):中国と台湾の紛争
シナリオ(下):台湾が独立宣言して中国が侵略
(青:台湾を支持、白:中立、緑:中国を支持)
5.バイデン政権の外交・安全保障政策とウクライナ
これまで世論の動向について触れてきたが、言うまでもなく、アメリカ政府の政策、とりわけウクライナ支援策は世論が決定するわけではなく、議会の決定による。むろん、大統領も一定の影響力と権限を持つが、予算に関しては議会の決定が何よりも優越する。2022年に議会はバイデン政権に協力的であったが、同年11月の中間選挙において共和党が下院で多数党になり、世論がウクライナ支援に冷ややかになり、またトランプが政局絡みでウクライナ支援に批判的言動を展開し始めると、多くの共和党下院議員はウクライナ支援に消極的な態度を示すようになった。
2021年に発足したジョー・バイデン政権は、発足早々の同年2月にロシアと新戦略兵器削減条約(START)を合意し、また同年8月にアフガニスタンから撤退するなど、世界への関与からの撤退傾向を示した。バイデン政権が示した「ミドルクラスのための外交政策」とのスローガンも、2016年大統領選挙で大挙してトランプに投票した白人労働者階級の反外交安保エスタブリッシュメント感情を踏まえて、自由貿易協定や安易な海外介入に慎重な姿勢を示唆している。
しかしながら、バイデンは中国に関する限り、かなりの程度トランプ政権の強硬な政策をそのまま受け継いだ。トランプ政権期による制裁関税はそのまま残し、むしろ民主主義対独裁といったよりイデオロギー的な対立軸で中国を位置づけた。またNATO加盟国、日本・韓国・オーストラリア・フィリピンなどの同盟国を巻き込み、多国間的結束を固めながら中国に対峙しようとしており、その手法はトランプ政権の対中政策よりかなり体系的であるともいえる。
2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵略に関して、21年12月バイデンは米国がウクライナ防衛のために米軍を派遣することはないと発言しており、それはおそらく不必要にプーチン大統領に、米国不介入についての安心感を与えるものであった。しかし、侵略開始後は多数のNATO構成国などと共同してロシアに対する制裁を課し、ウクライナに対する武器提供を含むさまざまの支援も提供した。その意味で、バイデン政権は一貫性に欠ける面も存在するが、また武器供与において躊躇しながら小出ししている印象も与えるが、基本的には法の支配に基づいた国際秩序擁護の立場に立っている。
6.ウクライナとアメリカ議会の対応
ウクライナに対するバイデン政権の立場は、2022年中は議会にも共有されていた。2022年5月、下院は368票対57票、上院は86票対11票で、400億ドル規模のウクライナ支援法案を可決した。バイデン政権が要求したのは330億ドルであったが、議会がそれを増額したうえで圧倒的多数で可決した。議会はすでに3月に136億ドルの支援を可決していて、5月の決定は追加支援となった。2022年中バイデン政権と議会は、米国政治には稀な超・超党派主義(super bipartisanship)を実践してウクライナ支援を実施したのである。
風向きが変わったのは、2023年に入ってからであった。契機は22年11月に実施された中間選挙であった。上院で与党民主党は辛うじて多数党の座を維持したものの、下院で共和党が逆転して多数党の座を奪還した。それは外交政策にも重要な含意をもった。トランプに近いフリーダム・コーカス所属の下院議員を中心に、ウクライナ支援に否定的な議員が共和党内で増えていたからである。
バイデン政権は追加支援として、ウクライナ援助予算400億ドルを提案していたが、それは可決されなかった。それに代えてバイデン政権は23年末より約615億ドルのウクライナ支援を、全体で約1060億ドルのパッケージ(イスラエルと台湾への支援、およびメキシコ国境の警備資金などを含む)の一部として要請したが、審議は下院において遅延した。トランプ系の共和党議員がウクライナ支援に反対したためである(上院では可決された)。
結局、マイク・ジョンソン下院議長がウクライナ支援反対から賛成に立場を変え、支援の一部を融資としてトランプの主張に配慮し、さらにはパッケージを分解して支援案件ごとの採決とすることで、下院はようやく採決に漕ぎつけた。共和党下院議員からはジョンソンの議長解任の脅しも出されたが、民主党側が異例にも議長支持の姿勢を見せたため、ジョンソン議長は持ちこたえることができた。結果的に、ウクライナ支援法案の採決において共和党は過半数が反対したが、民主党議員の圧倒的多数が賛成したため、同法案は可決された。その後上院でも大差で可決された。こうして、ようやくウクライナに対する約608億ドルの支援がアメリカ議会によって可決されたのである。
7.ウクライナと2024年大統領選挙
議会の動向以上に、法の支配に基づく世界秩序の帰趨にとって重要な意味を持つのが、2024年大統領選挙である。トランプはすでに共和党内で指名獲得を事実上確実とし、本選に関しても多数の世論調査は彼がバイデンとほぼ拮抗しているか、むしろ僅かであっても優位に立っている状況を示している。
共和党内でトランプに最後まで食い下がったのは元国連大使のニッキー・ヘイリーであったが、代議員票獲得争いではトランプに圧倒され、選挙戦を停止した。ヘイリーは共和党保守強硬派に近い外交政策、すなわち中国・ロシアに対してともに厳しい政策を支持している。
民主党内においてもバイデンの独走状態であるが、今回の大統領選挙の特徴としてロバート・F. ケネディ・ジュニアという知名度のある人物が無所属で立候補していることを指摘できる(他にジル・スタイン、コーネル・ウエストらが立候補)。多数の接戦州が存在する中で、これら無所属候補の得票は、結果に大きな影響を及ぼす可能性が高い。
トランプが当選した場合、ウクライナに対してバイデンより厳しい態度を打ち出すことが予想される。トランプは大統領在任中から、そもそもウラジミール・プーチン大統領に対して一定の親近感を抱いていることを示唆する発言を少なからずしてきた。それに対して、プーチン政権の反民主主義的性格について批判的発言はほとんどないと言えよう。ロシアとウクライナの戦争に関しては、自分が大統領になれば一日で止めさせると述べたが、それはかなり一方的にウクライナに譲歩を迫る停戦を意味する可能性が高い。昨年秋より議会、とくに下院で懸案となっていたウクライナ支援緊急予算案についても、トランプは支援提供に消極的あるいは融資への切り替えを示唆する発信を繰り返してきた。
2024年4月に議会が可決したウクライナ支援の一部が融資となっているのも、まさにトランプと彼を支持する共和党下院議員の意向を受けたものである。トランプ政権が復活すると、ウクライナ支援は大幅に融資に切り替わり、場合によるとその金額も劇的に減少するかもしれない。
8.トランプ外交と日本―楽観論と悲観論
楽観論に立てば、トランプが再登場しても、安倍首相との間で見られたような個人的関係に立脚した良好な日米関係が実現するかもしれない。第一期トランプ政権の対中政策は中国に強硬であって、これは対中政策の転換という意味で評価でき、その再現を期待できるかもしれない。日本はオバマ政権時、アメリカに対してより強硬な対中外交を採用するように求めていた経緯があり、その意味ではトランプ政権とより波長が合っていたと言える。事実トランプ支持者、あるいはトランプ政権復活時には政権入りすると見られる共和党専門家からは、日本への高い評価と中国について批判的な発言が頻繁に発せられている。トランプによる日本に対する発言は、ときに日本政府を慌てさせるものであったが、大統領として実際に着手したわけではなかった。北朝鮮の金正恩国家主席との交渉も、妥結寸前まで行ったものの、またトランプ自身は妥結に前向きであったものの、側近の助言を入れて決裂となった。トランプ支持者から見れば、トランプは側近や助言者の進言を受け入れることができる指導者であるということになる。
しかし、悲観的展開も想定しておく必要がある。第一に、個人的関係偏重の傾向は、トランプ=メルケル関係を思い起こせば想像できるように、あまりに予測不可能性が大きい。むろん、実際にトランプ大統領が復活すれば、全力を挙げて政府のすべてのレベルで良好な関係の構築を目指すべきである。しかし、それでも日米関係は、基本的には相互の国益と条約上の権利義務関係に立脚すべきである。
第二に、トランプには強硬なレトリックを使用しながらも、NATO批判や在韓米軍撤退提案に見られるように、内向き体質が濃厚である。既述したように、現在のロシア=ウクライナ戦争に関しても、ロシアに批判的な発言はほとんど存在しない。トランプが法の支配に基づく世界秩序維持にどの程度貢献する意欲をもつか、疑問を抱かざるを得ない。
第三に、トランプは中国に強硬なように見えつつ、その中身は貿易赤字への関心に偏っており、民主主義的価値観、人権問題、台湾を含む近隣諸地域への軍事的脅威についての関心は薄い。自称「タリッフマン(関税の男)」トランプにとって、まさに通商政策こそが外交政策である(トランプ氏、2期目の関税「目には目を」-WSJ)。第一期目のトランプ政権が課した鉄鋼・アルミニウムに対する制裁関税の対象は、中国のみならずEUと日本でもあった。習近平国家主席との会談では、自分の再選を手伝ってくれと要請したとのエピソードも伝えられている(John Bolton, The Room Where It Happened: A White House Memoir, Simon & Schuster, New York, 2020, p.301)。ウォルター・ラッセル・ミードは2023年10月、第二期トランプ政権下でトランプは習近平と何らかのグランドバーゲンを成立させて、アジアの同盟国を驚愕させるかもしれないと指摘した(A‘Trumpier’Second-Term Foreign Policy-WSJ)。原則のみで妥協・取引無しの外交も危ういが、原則無しの取引外交はさらに危険であろう。台湾に対しても民主主義国としての評価はほとんど発せられず、台湾に対する態度はむしろ冷ややかである。
第四に、トランプ外交には、短期的発想ないし場当たり的行動も顕著である。2019年2月、北朝鮮の金正恩とハノイにおいて詰めの甘い合意を性急に結ぼうとした。
第五に、国益軽視、私的利益のための政治という性格も強い。ロシアによる2016年米大統領選挙への介入について、トランプ政権自身ロシアの個人と企業に制裁を課しているにもかかわらず、プーチン大統領による関与否認の議論を信ずると述べた。ウクライナ政府に対しても、バイデンの次男ハンター・バイデンに関する調査を軍事援助提供の条件にしており、政敵のスキャンダル探しという個人的利益追求の側面が強い。
さらに第六点とし、民主主義的価値と手続きの軽視を指摘できるが、それは2020年選挙結果への対応を指摘すれば十分であろう。
実はトランプ外交に原則がないわけではない。貿易赤字と不法移民を問題視し、一方的行動によって国際的関与から離脱しようとする傾向が強い。法の支配に基づいた国際秩序維持の観点からは、とくに離脱志向の原則そのものが極めて深刻である。
さらに悲観論な見方をすれば、トランプは一期目より徹底したトランプ主義を実行する可能性が大きい。2017年と異なり現在は多数の忠実な支持者に支えられており、しかも次期政権の政策と人事について、ヘリテージ財団によるものを筆頭に事前調査に裏付けられている。司法省人事を筆頭に連邦政府職員を解雇しやすくする仕組みが、またロシア-ウクライナ戦争をウクライナへの支援を停止しながら早期停戦に持ち込むことなどが検討されている模様である。地球温暖化防止のためのパリ協定やIPEF(インド太平洋経済枠組み)協議からは早々に離脱するであろう。
むろん、バイデン版の内向き志向の存在とその危険も否定できず、バイデン再選であればバラ色というわけでもない。
終わりに
1972年の大統領選挙は共和党のリチャード・ニクソン大統領と民主党のジョージ・マクガヴァン上院議員によって争われ、ニクソンが大勝した。この時、ニクソンは南ベトナムからのアメリカ軍撤退を進め、また北ベトナムとの和平を追求しつつ、北ベトナムへの激しい爆撃も継続した。マクガヴァンは“Come home, America!”のスローガンを掲げ、全面的撤退を提案した。大統領候補者によってアメリカ外交の方向性がこれほど異なったことは、アメリカ史でそれほど例がない(ちなみに、1900年の大統領選挙はフィリピン領有の是非など、アメリカの「帝国主義的」政策をめぐって激しく争われた)。
2024年の大統領選挙は、既存の国際秩序を揺るがす大きな戦争が継続している中で実施される。二大政党の候補者の国際政治観が大きく異なることは否定しがたく、まさに歴史の分水嶺となりうる選挙である。このような中でヨーロッパ諸国が自ら法の支配に立脚した国際秩序を支えようとする新たな兆候が見られ、それは大いに歓迎すべきことである。にもかかわらず、アメリカの国内政治の動向が法の支配に基づく国際秩序の長期的安定性に深刻な形で影響を与えることは明白であろう。アメリカの2024年大統領選挙がまさに歴史の岐路と見られるゆえんである。
(注: 本稿は『外交』第83号(2024年1-2月号)に掲載された拙稿「トランプの影と国際秩序」をもとに、その後の展開を補充するとともに資料を補い、大幅に修正したものである。)
執筆者プロフィール
久保 文明(くぼ ふみあき)
防衛大学校 校長 / 東京大学 名誉教授
1979年3月東京大学法学部卒業。1989年12月法学博士(東京大学)。
コーネル大学・ジョンズホプキンズ大学・ジョージタウン大学・メリーランド大学客員研究員、2003年東京大学大学院法学政治学研究科教授、2009年パリ政治学院招聘教授、2014 年ウッドローウィルソン国際学術研究センター研究員、2021年4月より現職。 専門は現代アメリカ政治。主な著書に『アメリカ政治史講義』(共著、東大出版会、2022年)、『アメリカ政治の地殻変動-分極化の行方』(編著、東大出版会、2021年)、『アメリカ大統領選』(共著、岩波新書、2020年)、『アメリカ政治史』(有斐閣、2018年)、『アメリカ大統領の権限とその限界-トランプ大統領はどこまでできるか』(編著、日本評論社、2018年)など。