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中東の政治情勢とエネルギー地政学 〜「10月7日」以降のエスカレーション・リスク〜

「岐路に立つ世界と混迷の行方」

中東の政治情勢とエネルギー地政学
〜「10月7日」以降のエスカレーション・リスク〜

掲載日:2024年3月25日

日本エネルギー経済研究所 中東研究センター 主任研究員
小林 周

 2023年10月7日に行われたパレスチナの武装組織ハマースなどによるイスラエル攻撃と、それを発端としたイスラエル軍によるガザ地区への大規模侵攻は、中東地域情勢を大きく揺るがした1。本稿では、近年の中東における政治動向を整理した上で、「10月7日」以降の地域大国および非国家主体の動向と、今後のエスカレーション・リスクを分析する。その上で、紅海地域の不安定化に伴うエネルギー安全保障やサプライチェーンへの影響について展望する。

1.中東政治の緊張と緩和

 2010年代から米国の中東への関与低減が進む中で、中東域内諸国は独自の外交・防衛政策を展開するようになったが、各国が国益を追求することで、地域全体の安定が脅かされてきた。域内では、イスラエルとイランおよび親イラン勢力、イランと湾岸アラブ諸国、サウジアラビア・UAE・エジプトとカタール・トルコのように、多層的な対立・協力の構造が生まれた。その結果、地域協力枠組みである「湾岸協力会議(GCC)」やアラブ連盟は機能不全に陥った。

 2010年末からの「アラブの春」による長期政権の崩壊や内戦により、中東域内に「力の空白」が生じた。その中で、イランはイラク、シリア、レバノン、イエメンにおける政治的・軍事的な影響力を高め、「シーア派の三日月」と呼ばれる勢力圏を構築し、湾岸アラブ諸国への圧力を強めた。さらに、レバノンのヒズブッラー、パレスチナのハマース、イエメンのフーシー派、イラク・シリアのクルド武装勢力、シリアの反政府勢力、イラクのシーア派民兵組織など、強力な非国家主体が台頭し、地域の政治・安全保障に大きな影響を与えるようになった。

 他方で、2020年代に入ると域内での緊張緩和の動きが進んだ。2020年8月以降、米国の仲介によってUAE、バーレーン、スーダン、モロッコといったアラブ諸国が相次いでイスラエルとの国交正常化に合意した。この「アブラハム合意」以降、UAEが2023年4月にイスラエルとの包括的経済パートナーシップに合意するなど、アラブ諸国とイスラエルの経済・技術協力が拡大した。

 2021年1月には、サウジアラビア、UAE、バーレーン、エジプトがカタールと3年半ぶりに国交を回復した。これら4か国は、カタールがイランと接近し、また各国の体制が脅威とみなすイスラーム主義組織ムスリム同胞団を支援したとして、2017年6月に国交を断絶していた。断交の結果、カタールはトルコに接近し、アフリカ諸国を巻き込んだ地政学的競争が展開されてきた2

 極め付けは、中国の仲介による2023年3月のサウジアラビアとイランの国交回復3であろう。このような中東域内の緊張緩和の動きを受けて、米国のサリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)は2023年9月末に「今、中東は過去20年で最も平穏だ」と述べていた4。ただし、同補佐官の発言から10日も経たないうちにハマースがイスラエルを攻撃し、その後のイスラエルによるガザ地区への大規模侵攻によって情勢が大きく混乱したことを踏まえれば、バイデン政権は中東地域の不安定化リスクを軽視し過ぎていたと評価せざるを得ない。


2.エスカレーション・リスク:非国家主体という「ワイルドカード」

 イスラエルのガザ侵攻に対して、中東の地域大国(イラン、トルコ、サウジアラビア、エジプト)はイスラエルを強く非難しつつも直接介入は避け、軍事衝突の拡大やエスカレーションの防止に努めている。アラブ諸国はパレスチナ支持で結束力を高めるものの、イスラエルと断交する国は出ていない。イランですら、ハーメネイー最高指導者がハマースのハニーヤ政治局長に対して、イランとして戦闘に直接介入しない意志を明言したと報じられる5。なお、10月7日の事件の翌日にWall Street Journalはイランの革命防衛隊がハマースに作戦の指示を下したと報じた6が、その明白な証拠は現在でも見つかっていない。

 イスラエルの行動を変えられる地域大国は存在せず、停戦に向けてイスラエルに実質的な圧力をかけられるのは米国のみだと言える。しかし、イスラエル・パレスチナ紛争は既に2024年米大統領選挙の重要イシューになっており、米国内政と深く絡んでいる以上、バイデン政権としても容易に事態の沈静化を行える状況ではない。

 他方で、エスカレーションのリスクは決して低くない。特にイスラエルは10月7日の攻撃によって破られた抑止の回復を最優先させており、大規模な人道被害を顧みずにガザへの軍事侵攻を継続するほか、北部ではヒズブッラーと交戦、またシリアなどでイラン政府・軍関係者を殺害している。この背景には、イランおよび非国家主体による反撃を促し、米国を軍事的に引きずり込むことで、脅威を排除すると同時に抑止力を高める狙いがあると推測される。しかし、これらのイスラエルによる軍事行動は情勢の予測不可能性を高めており、今後のエスカレーション・リスクとなり得る。

 また、ガザ地区だけでなく東エルサレムおよびヨルダン川西岸ではイスラエルの軍や住民によるパレスチナ住民への攻撃が激化している。この様子は国際報道やSNSなどで広く共有されており、域内諸国におけるイスラエルへの反発を高め、問題解決に向けた歩み寄りを困難にしている。

 さらに、非国家主体が様々な軍事活動を行なっており、これがエスカレーションのリスクを高める「ワイルドカード」となっている。10月7日以降、イスラエル北部のレバノン国境地帯では、ヒズブッラーとイスラエルの衝突が続いている。3月12日、イスラエルは過去5か月間に4,300以上のヒズブッラーの標的を攻撃し、300人以上の戦闘員を殺害したと発表した。ヒズブッラーも、ロケット、対戦車砲、迫撃砲などによってイスラエル側を攻撃している。

 イエメンのフーシー派はイスラエル南部に弾道ミサイル攻撃を行ったほか、紅海を航行する船舶へのミサイル攻撃や拿捕を続けている。2023年10月19日にはイスラエルに向けて巡航ミサイルとドローンを発射したが、米駆逐艦によって紅海で撃墜された。同組織は既に50隻以上の船舶を攻撃したと報じられ、11月19日には日本郵船の運航する貨物船が拿捕された。フーシー派はイスラエルに関係する船舶が標的と主張するが、実態は無差別攻撃に近い。2024年1月11日には、米国と英国がイエメンの首都サナアやホデイダにおけるフーシー派関連施設への空爆を行った。米英はその後も共同でフーシー派への軍事作戦を行なっており、豪州、カナダ、デンマーク、オランダ、ニュージーランド、バーレーンが支援を提供したという。

 シリア・イラク周辺ではシーア派武装組織による米軍基地への攻撃が相次いでおり、2024年1月28日にはヨルダン北東部で、イランのものと思われる無人機攻撃により米軍の拠点が攻撃され、米兵3人が死亡、40人以上が負傷した。イランは関与を否定したものの、米軍は報復として、2月2日にイラクとシリアのイラン革命防衛隊および関連組織の拠点を空爆した。

 また、イスラエルはシリアのイラン関連施設や親イラン民兵組織への攻撃を繰り返しており、2月2日には首都ダマスカスへのミサイル攻撃によってイラン革命防衛隊幹部を殺害した。これらの攻撃に対して、イラン側は報復を明言している。

 イランはハマース、ヒズブッラー、フーシー派、シーア派民兵組織など周辺国の非国家主体を支援しているが、これらの組織は高い戦略的自律性を有しており、イランの完全な指揮統制下にはない。また、各組織が相互に連携・調整して活動しているわけでもない7。非国家主体がイランの意図や利害と一致しない軍事行動を取り、その結果イランが衝突に引きずり込まれる事態は生じ得る。


3.エネルギー供給への短期的影響

 奇しくも1973年10月の第4次中東戦争と、それをきっかけとした第1次石油危機から50年目となる2023年10月、イスラエル・パレスチナ情勢が深刻化した。2022年2月からのウクライナ・ロシア戦争が国際エネルギー情勢に大きな影響を与える中、中東情勢の不安定化が国際社会のエネルギー安全保障を脅かし得る状況が、改めて浮き彫りになった。

 上述の通り、10月7日以降のイスラエル・パレスチナ紛争や非国家主体による攻撃は中東情勢を流動化させているが、他方で現下の情勢が直接的にエネルギー(特に石油、天然ガス)の供給途絶を起こす可能性は限定的であると見られる。下記の原油価格の推移をみてもわかる通り、10月7日のハマースによるイスラエル攻撃直後には価格が上昇したものの、上昇の幅や期間は限定的であった(ハイライト部分)。イスラエル軍によるガザ地区への地上侵攻が開始されたとみられる10月27日以降も、中東産油・ガス国が直接戦闘に巻き込まれていないこと、また世界経済の減速に対する不安が主要因となって価格は下落している。
 中東の産油・ガス国も、パレスチナ支持とイスラエルへの批判を明示する一方で、1973年の第4次中東戦争の際に行われたような、イスラエルを支持する国への禁輸を行う動きは見られない。ただし、一部の国では議会や政治勢力が禁輸措置を主張するなど、各国の内政と連動した輸出制限への圧力が存在する点には注意が必要である。例えばリビアでは2023年10月下旬、議会が政府に対してイスラエル支援国(特に米・英・仏・独・伊)への石油・天然ガス輸出の停止を要求した。

原油価格の動き
(出所)各種資料をもとに筆者作成


4.紅海地域で高まる地政学リスク

 紅海はアラビア半島と「アフリカの角」およびエジプト、スーダンに挟まれ、スエズ運河を通じて地中海、またアラビア海、インド洋を結ぶ「戦略的動脈8」である。紅海沿岸地域はアジア・中東・ヨーロッパ・アフリカを結ぶ交通・物流の結節点にあたり、特にエリトリア、ジブチとイエメンの間に位置するバーブル・マンデブ海峡は、紅海の南端の出入口として重要なチョーク・ポイントである。だからこそ、同海峡に面するジブチには、米、中、仏、伊が自前の基地を設置するほか、独・西などNATO諸国の軍隊も駐留している。2011年には自衛隊もジブチに拠点を設置、同拠点は中東・アフリカの争乱時に現地の邦人が退避する際の経由地となるなど、実質的に自衛隊唯一の海外拠点として機能している。

 10月7日以降、前述の通りイエメンのフーシー派が紅海を航行する船舶へのミサイル攻撃や拿捕を続けている。このため、日本の海運大手を含む各企業が地政学リスクを懸念し、紅海航路を回避する動きが加速している。バーブル・マンデブ海峡やスエズ運河を通過する船舶数が大幅に減少し、代わりに南アフリカの喜望峰を通過する船舶の積載量数が増加していると報じられる。

 世界貿易の約12%は、紅海と地中海を結ぶスエズ運河に依存しているとされる。国連貿易開発会議(UNCTAD)は、2023年12月からの2か月間でスエズ運河を通航するコンテナ輸送が82%減少し、液化天然ガス(LNG)の減少幅はさらに大きかったと明らかにした。イスラエル・パレスチナ紛争を受けた紅海情勢の不安定化は、エネルギー安全保障やサプライチェーンにも大きなインパクトを与えている。

 現在、紅海地域の地政学リスクを高めている最大の要因はイエメンのフーシー派だが、対岸の「アフリカの角」地域やスーダンも、内戦、民族対立、テロリズム、クーデターなどが絶えず、政治・治安面で不安定である。中東諸国に加え、中国、インド、ロシアなども「戦略的動脈」である紅海周辺地域に強い関心を抱いており、重層的な地政学的駆け引きが激しく行われてきた。

 国際エネルギー機関(IEA)によると、2023年には海上輸送される石油の約1割、日量700万バレル強が紅海を経由した。また米エネルギー情報局(EIA)によると、2023年前半のLNG輸送の8%が紅海経由だという。2022年以降、欧州はロシア産石油・天然ガスの輸入を停止・削減し、代わりに中東からの輸入を増加させており、その多くが紅海経由で輸送されている。日本向けの原油やLNGの大部分は紅海経由で輸送されておらず、エネルギー供給への影響は限定的との見方もあるが、石油・ガス価格のボラティリティ(変動性)や輸送コストの上昇という形で、日本を含む世界経済に影響を与えていることを認識する必要がある。

 2023年12月以降、英石油大手BPは紅海を経由する全ての輸送を一時停止している。また2024年1月、世界最大級のLNG輸出企業であるカタール・エナジーは紅海経由の輸出を一時停止した。同月、IEAは紅海経由のエネルギー輸送の減少による、欧州での石油価格上昇の可能性を指摘した。


おわりに

 以上の通り、本稿では「10月7日」以降の中東の政治情勢とエスカレーション・リスク、そして紅海地域の不安定化に伴うエネルギー安全保障やサプライチェーンへの影響について分析した。

 現状では、中東の地域大国や米国のいずれも紛争のエスカレーションは望んでおらず、直接介入を明確に否定し、全面戦争を回避してきた。しかし、イスラエルは10月7日の事件によって破られた抑止を回復させるために、イランや親イラン勢力を挑発して米国を引きずり込もうとしており、この試みが暴発する危険性は無視できない。また、非国家主体という「ワイルドカード」が軍事衝突やエスカレーションの引き金になり得る。

 米国やイラン、その他地域大国が抑制的に行動する限り、複数の国を巻き込む全面戦争が発生する見込みは短期的には低いが、「戦争状態には至らずとも域内諸国が緊張状態にあり、武力衝突が突発的に発生し、邦人や日本権益が巻き込まれる」という状況は継続している。局所的な対立がエスカレーションを引き起こし、中東域内で「意図せざる戦争(unwanted war)」を引き起こすリスクには常に注意が必要である9

 これらの不安定な状況は、エネルギーの安定供給を脅かしている。現下の中東情勢が直接的にエネルギー(特に石油、天然ガス)の供給途絶を起こす可能性は限定的であると見られるが、フーシー派の軍事攻撃が止まらない紅海地域では既にエネルギー輸送や物流に支障が出ており、緊張状態が続く以上予断を許さない。前述の通り、軍事衝突にイランや米国がより直接的に巻き込まれる事態となれば、そのインパクトはこれまでと比較にならないレベルで拡大するだろう。石油危機から50年が経過した現在、日本の石油輸入における中東依存度はむしろ高まり、2023年6月には97%を超えた。

 2022年の「国家安全保障戦略」では、エネルギー自給率向上とともに、有事にも耐え得る強靭なエネルギー供給体制を構築する必要性が示された10。この観点からは、現下の情勢が直ちに中東からの石油・天然ガス供給を途絶させるものではないとしても、イスラエル・パレスチナ紛争を起点とする「不測の事態」が発生した場合のcontingency planを整備し、広く情報収集に努めることが肝要であろう。日本としては、中東域内の複雑な政治・安全保障ダイナミクスを理解した上で、エネルギーの供給途絶を未然に防ぐためにも、緊張緩和やエスカレーション防止に向けて関係諸国・アクターに関与することが求められる。

  • 1 詳細は以下を参照。鈴木啓之「ガザ情勢と中東地域の動揺」国際経済連携推進センター『岐路に立つ世界と混迷の行方』、2024年2月5日。
  • 2 小林周「中東発エコノミック・ステイトクラフトの検証:変化する域内安全保障の中で」『国際政治』205号(2022年2月)、94〜107頁。
  • 3 両国は2016年1月に国交を断絶した。直接的な契機はサウジ政府によるシーア派聖職者らの処刑と、それに反発したイラン市民によるサウジ大使館の襲撃であったが、前述の通り地域の覇権をめぐる競争が背景にあったとされる。
  • 4 Katie Rogers, “Jake Sullivan’s ‘Quieter’ Middle East Comments Did Not Age Well,” The New York Times, October 26, 2023, https://www.nytimes.com/2023/10/26/us/politics/jake-sullivan-foreign-affairs-israel-middle-east.html.
  • 5 Parisa Hafezi, Laila Bassam and Arshad Mohammed, “Insight: Iran's 'Axis of Resistance' against Israel faces trial by fire,” Reuters, November 16, 2023, https://www.reuters.com/world/middle-east/irans-axis-resistance-against-israel-faces-trial-by-fire-2023-11-15/.
  • 6 Summer Said, Benoit Faucon, and Stephen Kalin, Follow “Iran Helped Plot Attack on Israel Over Several Weeks,” Wall Street Journal, October 8, 2023, https://www.wsj.com/world/middle-east/iran-israel-hamas-strike-planning-bbe07b25.
  • 7 溝渕正季「ハマス・ヒズボラ『抵抗の枢軸』とは何か――中東における親イラン勢力の成り立ちと動向」『シノドス』2024年2月12日、https://synodos.jp/opinion/international/29044/.
  • 8 アレックス・ドゥバール「湾岸とアフリカの角:紅海周辺地域における戦略的争い」『国際問題』第682号、2019年6月、6頁。
  • 9 Robert Malley, “The Unwanted War: Why the Middle East is More Combustible Than Ever,” Foreign Affairs, vol.98, No.6, pp.38-46, 2019.
  • 10 「資源国との関係強化、供給源の多角化、調達リスク評価の強化等の手法に加え、再生可能エネルギーや原子力といったエネルギー自給率向上に資するエネルギー源の最大限の活用、そのための戦略的な開発を強化する。同盟国・同志国や国際機関等とも連携しながら、我が国のエネルギー自給率向上に向けた方策を強化し、有事にも耐え得る強靭なエネルギー供給体制を構築する」内閣官房『国家安全保障戦略』2022年12月16日、26頁。



執筆者プロフィール
小林 周(こばやし あまね)
日本エネルギー経済研究所 中東研究センター 主任研究員

専門は中東・北アフリカ地域の現代政治、国際関係論、エネルギー地政学。慶應義塾大学大学院にて修士号・博士号(政策・メディア)取得。米・戦略国際問題研究所(CSIS)、日本国際問題研究所などを経て、2017年日本エネルギー経済研究所中東研究センター入所。2021年から2023年まで在リビア日本大使館にて書記官として勤務。編著に『アジアからみるコロナと世界』(毎日新聞出版、2022年)、主な共著に『紛争が変える国家』(岩波書店、2020年)、『アフリカ安全保障論入門』(晃洋書房、2019年)など。



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