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転換する中国指導部の政策選好-経済発展と国家安全保障-

「岐路に立つ世界と混迷の行方」

転換する中国指導部の政策選好
-経済発展と国家安全保障-

掲載日:2024年7月12日

慶應義塾大学 教授
加茂 具樹

 中国政治は中国共産党による一党支配が持続している。しかし、中国共産党は、1980年代以来、自らが推しすすめてきた経済改革によって生まれた多様で多元的で、そして利害対立が深刻な資本主義的な社会とのあいだの増大する矛盾に囚われている。レーニスト体制を志向する中国共産党は、経済改革の深化とともに、これまで独占していた組織や情報、価値観が社会に拡散していること、そして社会が自らの意思で自由に行動する能力を持つようになってきたことによって、自分達は脅かされていると感じている。おそらく、それは正しい認識だろう。中国の国内政治や外交が、中国共産党の抱く“不安全感”に紐付いている理由はここにある。

 本稿は、中国指導部の政策選好を論じる。中国共産党政権の歴代の指導部が掲げる政策選好(政策課題の優先順位付け)は、一党支配という一元的な政治と経済改革によって多元化する社会との間の矛盾を克服するための政策方針といってよい。現在の中国指導部である習近平指導部もまた、この矛盾に囚われ、その克服に努めてきた。

 習近平指導部は、指導部発足後に政策選好を変えた。過去30年にわたって歴代の指導部は、経済発展を政策課題の最上位においていた。しかし現指導部は、国家安全保障を最優先の、あるいは経済発展と同等の重要な課題と位置付けたのである。

 習近平指導部は、なぜ過去の指導部とは異なる政策選好を選択したのか。本稿は、その変化の経緯を追跡し、指導部の選択の論理の可視化を試み中国政治の変化の趨勢を展望する。

なぜ政策選好を変えたのか


 習近平指導部の政策選好を説明する言葉が「発展と安全の両立(中国語:統籌発展和安全)」である。この言葉は、1990年代以来の歴代の指導部が堅持してきた開発主義という政策選好とは異なる。習近平指導部は、2017年10月の中国共産党第19回党大会を経て、そして2022年11月の中国共産党第20回党大会において、習近平総書記が中央委員会を代表しておこなった報告のなかで自らの選好を披露し、それを全党の意思として確認した。

 なぜ政策選好を変えたのだろうか。

 これまで歴代の指導部が最優先の政策課題を経済発展に置いていたのは、それが一党支配という政治体制の正統性の源泉だからである。元来、中国政治の正統性は、社会主義イデオロギーに依拠してきた。しかし、1980年代以来の東欧諸国における政治改革の失敗と体制の動揺、体制転換、またソ連邦の解体は、一党支配体制の正統性を社会主義イデオロギーに求めることの説得力を著しく弱めた。

 この窮地において当時の指導部は、支配の正統性の源泉を有効性が摩滅したイデオロギーではなく、経済成長という実績(パフォーマンス)に求める選択をした。そして指導部は、自らの政策の正しさ、すなわち社会主義的な経済政策であるか否かの判断基準を「生産力の発展、総合国力の強化、人民生活水準の向上に有利であるかどうか」(「3 つの有利論」といわれる)におき、「発展は堅い道理である(中国語:発展才是硬道理)」とする開発主義的な政策選好を追究してきた。

 習近平指導部は、この政策選好を改めたのである。

 公式報道において、習近平の発言として「発展と安全の両立」が初めて登場したのは、指導部が誕生して4年余りが経過した2017年2月に開催された国家安全工作座談会の報道であった。同座談会は、習近平指導部が自らの国家安全保障観として提起した「総体的国家安全観」を全国の各機関に伝達することを目的とした会議であった。なお同様の意味をもつ言葉は、もっと早く登場していた。2014年4月に指導部が設置した中央国家安全委員会の第1回目の会議のことである。この会議において習近平総書記は、中央国家安全委員会主任の肩書きで「総体的国家安全観」を初めて披露し、そして「発展の問題を重視し、また安全の問題も重視する」(中国語:既重視発展問題、又重視安全問題)と発言していた。

 「発展と安全の両立」の初出が国家安全工作座談会であったこと、また「発展の問題を重視し、また安全の問題も重視する」の初出が中央国家安全委員会であったように、国家安全にかかわる会議で、新しい政策選好が示されたことは偶然ではないだろう。習近平指導部は、自らの国家安全保障観を提起し、これを党内の共通認識として浸透させてゆく過程と、指導部が政策選好の転換を明確にしてゆく過程を同期させているようにみえる。

 習近平指導部は、自らの国家安全保障観を「総体的国家安全観(中国語:総体国家安全観)」と呼ぶ。これは政治、軍事、主権領土といった伝統的安全保障領域だけでなく、経済や社会、科学技術、イデオロギーといった非伝統的安全保障領域も包摂した安全保障観である。発展は安全保障の基礎であり、安全保障は発展の条件であるという考え方であり、国を豊かにしてはじめて軍事力を強化でき、軍事力を強化して国を護ることができるという理解を言語化したものである。

 2014年4月の初堤起の後、指導部は、2017年10月の19回党大会で指導部の国家安全保障観として「総体的国家安全観」を確認し、また政策選好が「発展と安全の両立」にあることを全党の意思として確認した。ただし、この言葉が具体的な政策のなかに織り込まれるまでには時差があった。「発展と安全の両立」が、経済政策の文脈のなかに明確に位置付けられたのは、もう少し後のことである。

 経済政策を総括し、その方針を確認するために毎年開催される中央経済工作会議の報道が、「発展と安全の両立」に言及するのは、19 回党大会直後の2017年12月に開催された中央経済工作会議ではなく、またその後の2018年12月と2019年12月の同会議でもなかった。2020年12月の会議であった。この会議において指導部は、中国経済に対する情勢認識を変えた。会議で習近平は、中国経済は「新しい発展段階」にあるとの状況認識を示し、そして「発展と安全の両立」を言ったのである。

 この「新しい発展段階」とは何か。この言葉の意味については、習近平が別の会議で説明していた。指導部は、発展段階の「新しさ」を中国社会が抱えている主要な課題(中国語:主要矛盾)が、従来の「人々の日々増大する物質的文化的な需要と、遅れた社会生産とのあいだの矛盾」から、「人々の日増しに増大する豊かな生活に対する要求と、現実に存在する不均衡で不十分な発展とのあいだの矛盾」へと変化したことと捉え、そうした社会が表出する要求の中身を「不断に増大する、満足感、幸福感、安全感」と説明していた。指導部は、中国社会が「量」を求める時代から「質」を求める時代へと変化し、それへの対応が自らの政策課題だと認識していたのである。そしてこの「新しさ」は、自分達は過去30年間の歴代の指導部が経験をしたことのない社会と向き合っているのだ、という認識を指導部内で共有するためのカギとなる言葉といってよいだろう。

 つまり習近平指導部は、「新しい発展段階」にある社会と向き合ううえで必要な政策選好が、「発展と安全の両立」だと認識していたのである。なお、同中央経済工作会議にかかる報道において、「総体的国家安全観」についての言及はない。

 また、前述のとおり、経済政策に「安全」という概念が描き込まれるまでには時差があった。その詳細は明らかではないが、発展と相反する概念である安全を経済政策に描き込むことをめぐって、指導部内には認識の不一致があり、これが「時差」を生んだのかもしれない。

 19回党大会につづき2022年11月の20回党大会もまた、「発展と安全の両立」を全党の意思として確認した。習近平総書記の報告は、「国家の安全保障体系と能力の現代化を推進し、国家の安全保障と社会安定を徹底的に擁護する」と題する節を設け、「総体的国家安全観」を全党の活動方針のなかで体系的に説明した。そして同報告は国家安全保障を擁護するための能力の増強という項のなかで、幹部に対して「発展と安全を両立させる」能力を高める必要があると確認したのである。

党と国家の将来への不安


 以上の整理を踏まえれば、習近平指導部が政策選好を転換させた理由を理解するためには、指導部の国家安全保障観への理解が必要であろう。では、なぜ習近平指導部は国家安全保障を強調するのか。この問いに答える手掛かりは、20回党大会での習近平による報告のなかにある。報告は、10年前(2012年)に指導部が発足したばかりの時期に直面した課題、すなわち当時の状況認識を披露していた。習近平は報告のなかで、「当時、党と社会の多くの人々が党と国家の将来への不安を抱いていた」と語っていた。この不安が、指導部に国家安全保障を強調させるのである。

 報告はまず、当時の指導部が、「改革開放と社会主義現代化の実績と党建設の偉大な成果」によって、共産党による支配を維持するために必要な「強固な基礎」と「良好な条件」、「重要な保障」を得ていたことを述べていた。しかし同時に、指導部が「長い間蓄積され、また新たに出現した一連の矛盾と問題」に直面しており、これを「急いで解決する必要があった」と告白していた。

 報告は、「矛盾と問題」の第一として、党自身の問題を提示していた。具体的には「党の領導の弱体化」と「一部の党員と幹部の政治信条の揺らぎ」、腐敗と汚職である。第二が、「不均衡で協調性のない持続不可能な発展に現れている経済的な課題」であり、これを「構造的で制度的な矛盾」という言葉で整理した。報告が指摘した第三の「矛盾と問題」が、官僚の自らの政治制度に対する「自信の不足」、社会に流布する「誤った考え方」、さらには「ネット世論の混乱」など、中国の政治システムが直面している社会的信頼をめぐる問題であった。この後に習近平は第四の「矛盾と問題」として社会保障や資源環境にかかる問題についても言及したが、つづいて国家安全保障をめぐる複数の問題を提起した。

 第五の「矛盾と問題」が、国家安全保障制度の不備、様々な重大なリスクへの対応能力の不足、国防と軍隊の「不足と弱点」である。さらに第六が「香港と澳門における『一国二制度』の実施メカニズムの不健全さ」であり、第七が「国家安全保障をめぐって深刻な挑戦に直面していること」であった。こう述べた後に習は、「当時、党と社会の多くの人々が党と国家の将来への不安を抱いていた」と語った。

 もちろん中国政治を理解するにあたって、公式報道や公式文献の言説を鵜呑みにしてはいけない。2018年に憲法改正をおこなって国家主席の連任制限を撤廃し、党大会報告の後に、3期目の中国共産党中央委員会総書記に就任することを予定している習近平が、こうして課題を強調するのは、自らの行動の正しさを報告の聴衆や文献の読み手である政治エリートに訴える狙いがあるからだろう。政治エリートたちが共有していた認識とは異なり、総書記を3期目も続投することの正しさを説明する材料として、習近平は指導部が直面していた状況の複雑さを強調し、危機の克服を続投の理由としようとしたのかもしれない。

 しかし、それでも「当時、党と社会の多くの人々が党と国家の将来に不安を抱いていた」という一文は興味深い。習近平指導部が実施した政策について、中国共産党党内において支持を得ていたことを示唆している。

 2012 年11 月に発足した習近平指導部は、前指導部の方針と異なる政策を次々と実施していた。指導部は、先ず腐敗幹部の摘発に着手し、また共産党中央と習近平個人への権威と権力の集中を推しすすめ、「大国外交」と呼ばれる積極的な対外行動を展開し、社会管理を強化し、民営企業への圧力を強め、香港における「一国二制度」の運用を転換させた。もちろん、このなかに「総体国家安全観」と呼ばれる国家安全保障の提起とそのための法整備も含まれている。いずれも「長い間蓄積され、また新たに出現した一連の矛盾と問題」への対応であり、「当時、党と社会の多くの人々が党と国家の将来に不安を抱いていた」ことを克服するためだったと理解してよい。

 改めて指摘しておきたいことは、習近平指導部の政策選好が「発展と安全の両立」であったことは、指導部発足当時から党内に対して明確に示されたわけではないということである。それは段階的に明確にされていった。指導部は、新しい政策選好に効力を持たせるためには、指導部の国家安全保障観がそうであったように、党内の合意を取り付けるための手続きを必要としたのであろう。

「戦争と革命」から「平和と発展」


 習近平指導部が、自らを取りまく国内外の情勢に対する認識としての「党と国家の将来への不安」を、自らの新しい政策の正しさを説明する材料として論じているように、中国共産党政権の歴代指導部の政策選好、そして国内外政策は、その国内外の情勢認識の転換にあわせて変化していた。

 1949 年の中華人民共和国の建国以来、そして毛沢東が死去するまで、当時の指導部の政策選好は、国家安全保障を優先していた。その後、前述のとおり1980年代を経て、指導部の政策選好は経済発展の優先へと転換した。そして現指導部はいま、再び、政策選好を国家安全保障の優先へと転換させた。

 中国共産党政権が誕生した当初、指導部の国際情勢認識は、冷戦構造下の国際政治の主要課題を「戦争と革命」と捉え、「戦争は不可避」だというものであった。そのため当時の指導部の政策選好は、外部からの軍事侵攻を想定し、国土の保全と主権の独立、体制の存続のために国家安全保障を優先する、というものであった。

 しかし1970 年代末以降、指導部はこの国際情勢認識から転換を図った。この転換は、党内外の共通認識を積み上げながら、およそ10 年の時間を費やして、漸進的にすすめられた。

 当時の指導部は、国際政治が変化して「平和と発展」という時代が到来し、長期にわたって大規模な戦争は発生しないだろうという情勢認識を根拠としながら、「3つの有利論」と「発展は堅い道理である」とする開発主義的な政策選好、すなわち経済発展を優先した政策課題への転換を試みていた。これが「改革開放」路線である。国際情勢認識の転換が、経済発展を最優先の政策課題に位置付ける「改革開放」路線の選択の正しさを保障し、従来の「戦争と革命」という国際情勢認識をふまえた階級闘争路線からの転換、政策選好の転換の正しさを保障したのである。

 中国の指導部が、公式文書において「平和と発展」という国際情勢認識を示したのは、1987年の13回党大会でのことである。なお中国共産党の公式文書が残る場において、「平和と発展」にかかわる言葉をはじめて語ったとされる政治指導者が鄧小平である。『鄧小平文選』の第三巻は、1985 年3 月に日本商工会議所訪中団と懇談した際に鄧が、国際社会が共有している戦略的な課題を「東西問題」といわれる平和の問題と、「南北問題」といわれる発展の問題とに整理したという会談記録を掲載している。この文脈のなかで戦争を回避できると分析していた。また鄧は、この後の1985年6月に、中央軍事委員会拡大会議で人民解放軍の兵員削減をめぐって発言し、その妥当性を説明するにあたって「平和と発展」という国際情勢認識に言及していた。この鄧の発言から2年後の1987年の13回党大会での趙紫陽総書記による報告に、この国際情勢認識は盛り込まれ、全党の意思となった。

 なお、この「平和と発展」という言葉が、完全に中国共産党の国際情勢認識として定着するためには、もう少しの時間が必要だったのかもしれない。13回党大会では「平和と発展は世界的な主要課題」という言葉であったが、これは14回党大会以降になって「平和と発展は時代的な主要課題」(中国語:平和與発展是時代主題)へと変わり、最終的には、これが党の公式の国際情勢認識を表す表現になった。

 しかし、2022年10月の20回党大会において習近平総書記は、「平和と発展は時代的な主要課題」という言葉に言及しなかった。同大会で消えた言葉は他にもある。2002年の16回党大会において、当時の指導部が新たに提起した、(中国は)「重要な戦略的なチャンスの時期にある」(中国語:重要戦略機過期)である。これは、21世紀初頭の20年間は引き続き中国の発展にとって有利な国際環境が維持されることから経済発展に注力するべきだという国際情勢認識である。

 こうして習近平指導部は「平和と発展は時代的な主要課題」、「重要な戦略的なチャンスの時期にある」という、過去30年あまり、歴代の指導部が継承してきた国際情勢認識を書き換えたのである。

百年来未曾有の大変局


 「平和と発展」に替わる習近平指導部の国際情勢認識が「百年来の未曾有の大変局(中国語;百年未有之大変局)」である。

 この言葉は、2017 年12 月に中国の外国に駐在している大使や総領事を北京に招集して開催された駐外使節工作会議において、習近平が提起している。なお、中国人民大学重陽金融研究院執行院長である王文らは、習近平指導部が発足した直後の2012年11月に開催された中央軍事委員会第1回常務会議にて、習近平は「世界はいま未曾有の大変局期にある」と発言したと論じている。習近平は、現下の国際情勢について、国際社会における力の分布が変化し、その結果として国際社会が了解してきた規範や制度といったゲームのルール、すなわち国際秩序が変化する、大きな局面の変化に直面していると論じた。

 そして「百年来の未曾有の大変局」は、2018年6月の全党の外交政策方針を確認する会議である中央外事工作会議でも提起された。この会議を経て、この言葉は全党の国際情勢認識を表す言葉としての位置をあたえられたことになる。さらに2019年10月に開催した19期中央委員会第4回全体会議は、「百年来の未曾有の大変局」という国際情勢認識を踏まえて、「中国の特色ある社会主義制度の堅持と整備、国家の統治体系と統治能力の近代化についての若干の重大な問題に関する党中央の決定」(以下、「決定」)を採択した。

 この「決定」を説明した習近平の署名記事によれば、「決定」の目的は、社会主義制度の改善と、国家の統治体系と統治能力の近代化の方針を示すことにあった、という。そして、なぜこの方針を「決定」として取りまとめる必要性があったのかといえば、習近平は、世界に「百年に一度の局面の大きな変化が生じ、国際情勢が複雑に目まぐるしく変化している」なかで、共産党がこうした「リスクと挑戦に対応し、主導権を手に入れるために力強い保証が必要だったから」、と説明していた。こうして指導部は、自らの国際情勢認識を具体的政策のなかに織り込むことに成功したのである。そしてこの「決定」を経て、習近平指導部は20回党大会の報告のなかに「百年来の未曾有の大変局」という概念を描き込んだ。

 「百年来の未曾有の大変局」とは何か。2017年12月の駐外使節工作会議から2022年11月の20回党大会までのあいだに、習近平は2回、「百年来の未曾有の大変局」という国際情勢認識について中国共産党中央党校にて党内の幹部に語る会議を設けている。2019年1月に省部クラスの主要な幹部が出席するセミナーで習近平は、「百年来の未曾有の大変局」という情況下において取り組むべき課題を列記していた。それは、発生の確率は低いけれども、万が一発生したら大きな影響を及ぼす不確実性のリスクである「ブラックスワン(Black Swan)」、そして確率は高く発生した場合は大きな問題をもたらすか否かに関わらず軽視されているリスクである「灰色の犀(Gray Rhino)」といった課題が現実のものとならないように備えることであり、そして「危機をチャンスに変えるために戦略的で主体的な行動を選択すること」としていた。

 では習近平指導部は、これらのリスクを国際情勢の文脈で具体的にどの様なものと想定しているのか。例えば、習近平総書記が言及した新興国家の台頭に対する覇権国の過剰な警戒によって生じる衝突を指す「トゥキュディデスの罠」と、覇権交替期に覇権国の役割を担う国家が不在であることによって生じる秩序の混乱を指す「キンドルバーガーの罠」がある。

 中国国内の公式報道において、この2つの国際情勢の文脈でのリスク感の初出は、2017年5月にジョセフ・ナイ(Joseph S. Nye)ハーバード大学教授がChina US Focus誌に寄稿した論考である。ナイ教授は、米国外交に対して、米中関係が直面している2つの課題に警戒する必要があると主張するThe Kindleberger Trap と題する論考を寄稿した。同論考が示した課題が、一つは「修昔底徳陥穽(トゥキュディデスの罠)」であり、いま一つが「金徳尓伯格陥穽(キンドルバーガーの罠)」である。なお、寄稿後すぐに同論考は中国語に翻訳された。そして間もなく中国国内の報道や学術誌には、「修昔底徳陥穽」や「金徳尓伯格陥穽」が登場するようになり、習近平もまた、この2 つの言葉に言及したと報じられている(ただし公開されている習近平の公式発言録である『習近平系列重要講話数据庫』によれば「修昔底徳陥穽」だけである)。これらの言葉は、中国指導部の国際情勢認識を示す重要な概念として位置付けられている。中国指導部は、国際社会における力の分布が変化しつつある国際情勢を敏感に受け止め、そこに米中2国間関係の悪化の可能性と、覇権交代期の国際秩序の危機を見出したのである。これが、習近平指導部の国際情勢認識の核心であり、政策選好が開発主義的な「発展」から「発展と安全の両立」へと転換した要因といってよいだろう。

悪化する国際情勢認識


 中国指導部が国際情勢の変化を認識するための枠組みは、一般的に三つの点に整理できる。第一は、国際社会の秩序はパワーの対比によって決定されるものであり、ゆえに現状は覇権国である米国による秩序となっているというものである。第二に国際秩序は不完全で不合理な部分があり、改革する必要があるというものである。そして第三に中国の政治体制に対するイデオロギー的な攻勢とそれが内部の矛盾と結びつくことによって体制が転覆する可能性を安全保障上の最大の脅威としている、というものである。

 こうした国際秩序観をもつ中国にとって、中国を取りまく環境は中国にとっては不公正なものであり、そもそも中国自身の“不安全感”は高い。そして現状の国際情勢の行方は、中国指導部の“不安全感”を増強させている。

 習近平指導部は、自らの政策選好の変化の正しさを国内情勢と国際情勢の悪化によって説明してきた。そして、この国内外の情勢に対する指導部の認識の変化は、指導部の国内政策と対外政策の転換にかかる正統性となっていた。国内政策においては指導部内の権力共有(パワーシェアリング)のかたちの変化、国家ガバナンスの変化と歩みを同じくしている。その前者については習近平への権力の集中という「権力の個人化」がすすみ、その後者においては、共産党の国家と社会に対する管理の強化という「社会統制の強化」というかたちで顕在化している。外交政策においては、主権や領土をめぐる自己主張の強い行動、また国際秩序をかたちづくる国際制度における中国の主導権の掌握を目指した行動を促している。

 中国政治は、ますます“不安全感”に紐付いている。国際情勢と国内情勢をめぐる“不安全感”によって、習近平指導部の国家の安全保障観である「総体的国家安全観」は形作られた。その結果として政策選好は「発展」から「発展と安全の両立」へと転換した。

 2023年12月に習近平指導部は、中央外事工作会議を開催し、「百年来の未曾有の大変局」という情勢認識は継続した。ただし、この認識は5年前に初めて堤起された時の認識と比較して悪化している。かつては新興国家と発展途上国の台頭による世界の多極化に起因する「百年来の未曾有の大変局」という情勢判断であった。しかし、2023年の中央外事工作会議は、「新たな激動と変革期に入り」、「世界の大変局が加速している」という認識を示している。指導部はなぜ、「百年来の未曾有の大変局」が加速していると捉えるのか。その一つが、2020年春以降に新型コロナウイルスが感染拡大したことによって、新興国家と発展途上国の経済成長が鈍化し、中国が見通していた国際社会の多極化の趨勢が後退したことである。いま一つには、戦略的競争という対中戦略を掲げる米国との関係の緊張、またロシアによるウクライナ侵攻とその長期化がもたらす欧州での安全保障の悪化をはじめとする大国間競争の激化によって、インド太平洋地域において軍事と政治に加えて、経済領域における対中包囲網が組み上がっていることである。いま中国自身の認識において、中国指導部を取りまく国際情勢は悪化している。こうした文脈において、中国の政策選好は、一層に国家安全保障が強調されるようになり、その趨勢は長期的なものとなる。
執筆者プロフィール
加茂 具樹(かも ともき)
慶應義塾大学 総合政策学部 教授・学部長

1995年慶應義塾大学総合政策学部卒業。2002年同大学院政策・メディア研究科博士課程修了。2004年博士(政策・メデイア)。在香港日本国総領事館専門調査員を経て、2007年慶大法学部准教授、2008年同総合政策学部准教授、2015年教授。その間、2011年カリフォルニア大学バークレー校束アジア研究所訪問研究具、2013年國立政治大学(台湾)国際関係学院客員准教授。2016年10月に外務省へ転籍し、在香港日本国総領事館領事。2018年10月に慶大総合政策学部教授に復籍。2020年11月-2022年3月、日本現代中国学会理事長。2021年8月より慶大総合政策学部長。専門は現代中国政治外交。著書、編著、訳書に『十年後の中国-不安全感の中の大国』(一藝社、2023年)、「権力の劇場-中国共産党大会の制度と運用』(呉国光著、加茂具樹監訳/中央公論新社、2023年)、『現代中国の政治制度-時間の政治と共産党支配』(慶應義塾大学出版会、2018年)。



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