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インド・モディ政権における脱植民地主義言説と外交

「岐路に立つ世界と混迷の行方」

インド・モディ政権における
脱植民地主義言説と外交

掲載日:2024年4月16日

防衛大学校 教授
伊藤 融

高まるインドの重要性

 日本を含め、西側世界にとって、インドの重要性は高まる一方である。2023年には世界一となったとみられる人口規模を背景に、今後も経済成長が見込まれ、2027年までには日独の国内総生産(GDP)を上回って第三の経済大国となることが確実視されている。そんななか、インドに先行して急成長を遂げた中国では、駐在するビジネス関係者が拘束される事案が起きるなどのリスクが指摘されるようになっている。対外的にも、「一帯一路」や、いわゆる「戦狼外交」を展開し始め、ウクライナに侵攻したロシアとともに、西側主導の国際秩序への脅威とみなされている。これに対し、インドは自由や民主主義といった価値観を共有するパートナーとして不可欠な存在だという認識は、広く共有されているといえよう。

 たしかにその認識が間違っているというわけではない。本稿を執筆している現時点で、インドは5年ぶりの総選挙の真最中だ。有権者数は9億7千万人近く、文字通りの「世界最大の民主主義」が実践される。事前の世論調査ではモディ首相の個人的な人気に支えられたインド人民党の圧勝が予測されるとはいえ、インフレや失業に対する国民の不満も強く、野党が結束すればどうなるのか予断を許さない。中国やロシアにおける形式だけの選挙とはまったく異なる。


民主主義の後退

 ところが、気がかりな動きも見え始めた。2014年に発足したモディ政権は、とりわけ2019年の総選挙で再選されて以降、ヒンドゥー・ナショナリズムと強権化の傾向を強めていることが内外で指摘されるようになっているからである。第二期モディ政権発足後には、ムスリム(イスラム教徒)の多いジャンムー・カシミール州の自治権撤廃と分割・連邦直轄領化の決定、パキスタン、バングラデシュ、アフガニスタンから来たムスリム以外の不法移民に市民権を付与する法改正が立て続けに強行された。反対する野党やマスコミ、市民団体には、拘束や自宅軟禁から税務捜索や通信手段の遮断に至るまで、さまざまな弾圧を加えて異論を封じ込めた。

 こうした変化は各種の国際指標・評価の顕著な低下に示されている。たとえば米国の国際宗教自由委員会(USCIRF)は、2020年版の報告書以降、インドの国是であるはずのセキュラリズム(政教分離主義)が危機にあるとして、「とくに懸念される国」に指定するよう勧告した。スウェーデンの民主主義の多様性(V-Dem)研究所の「自由民主主義指数」は、2019年以降のインドは「選挙民主主義」ですらなく、「選挙権威主義」に堕したと酷評している(図1)。報道の自由の低下はとくに深刻で、国境なき記者団のランキングは2018年の138位から2023年には161位にまで滑り落ちた(180カ国中)1

図1 図1
出所:V-Demデータベースより筆者作成

 対外的には、2022年からのロシアによるウクライナ侵攻に対するインドの姿勢が西側世界では波紋を呼ぶこととなった。インドはロシアの行為への非難を避けつづけ、公式には「侵攻」や「侵略」とも呼ばなかった。加えて、西側主導の経済制裁にも同調せず、これまではほとんど購入してこなかったロシア産の原油や肥料を大量に輸入し始めた。そんなインドの姿勢にこれまでインドとの関係を重視してきた西側諸国から疑念の声が上がったのはいうまでもない。


便宜的概念としての「グローバルサウス」

 2022年12月からG20議長国を務めるインドが、「グローバルサウス」概念を強調するようになったのは、まさに上記の文脈のなかで捉えられよう。モディ首相はインド主催のG20の議題は「これまでしばしばその声が無視されてきたグローバルサウスの仲間(fellow-traveller)との協議によって決める」と宣言し2、その言葉通り、2023年1月にオンライン形式ながら「グローバルサウスの声サミット」を開催した。そのなかのセッションで演説したジャイシャンカル外相は、グローバルサウスの国々は、「植民地時代の過去の重荷を背負い、現在の世界秩序の不公平さにも直面している」という共通項を指摘し、国際秩序の民主化や分権化を指摘した。その一方で、それぞれの国内における自由や民主主義といった価値観の共有には言及しなかった3。それもそのはずである。この最初のインドの呼びかけに応じた125カ国のなかにはミャンマーやアラブ首長国連邦(UAE)、スーダンのような明らかな軍事政権や絶対君主国家も含まれていた。インドとしては、中国に対抗するためにも、なるべく多くのこういう国々も含めた結集軸を作りたかったのだろう。

 くわえて重要なのは、ロシア問題へのインドの姿勢に対する西側の批判に対抗するためにも、またG20を成功に導くためにも、グローバルサウス概念が有益と考えられたという点である。インドは現在の戦争を含め、「グローバルな課題のほとんどはグローバルサウスが生み出したものではない。しかし私たちのほうがその影響を強く被っている」などと主張し、エネルギーや食糧価格の高騰に苦しめられていることを強調した4。そうすることでインドの中立姿勢と原油や肥料の爆買いを正当化したのである。同時に、西側と中ロとの溝が深まるなかで、G20で合意形成を実現しようとするならば、「グローバルサウスのため」ということを議題の中心に据えるのが最も好都合でもあった。それであれば、中ロも西側も反対しづらいと考えられたからである。

 ジャイシャンカルの発言からは一種のルサンチマンが感じ取れる。西側は長くわれわれを植民地支配しておきながら、いまもインドが西側基準の価値観や行動様式から逸脱しているなどと上から目線で説教してくることへの苛立ちと言ってもよい。インドがハードパワーでも力をつけ、自信を深めるなかでのそうした物言いへの反発である。本音ではインドの言い分に少なからず共感する多くの脱植民地国家を糾合するのに、価値観から自由な概念としてのグローバルサウスほど便利な言葉はない。


権威主義的リーダーを望む世論

 そうはいっても、モディ政権下のインドが「世界最大の民主主義国」としての看板を下ろしたわけではない。バイデン米大統領の肝いりで始められた「民主主義サミット」でも、モディ首相はインドこそが「民主主義の母」であると繰り返し主張している5。2023年6月に国賓待遇で訪米を果たしたモディは、米連邦議会で演説し14回にわたって「民主主義」を連呼した。さらにインドが「1000年の外国支配から自由を勝ち取った」のは、民主主義と多様性の勝利を示すものだとまで述べている6。英国支配のみならず、ムガル帝国などのイスラーム統治までひっくるめて「外国支配」とするのは、ヒンドゥー・ナショナリズムの発現にほかならないが、西側の植民地支配もイスラーム支配も「非民主的」であり、それ以前の古代インドにこそ、「民主主義」の「精神」が存在していたというのである。

 独自の民主主義観で欧米の価値観を相対化しようというものだが、モディ政権としてもさまざまな指標でインドの評価が低下していることには無関心ではいられないようだ。モディ政権は総選挙を前に、ライシナ対話などの国際会議主催で知名度も高いインドのシンクタンク、オブザーバー研究財団(ORF)に委託して、非欧米の独自の民主主義指標の作成を目指していると報じられている7

 もちろんそれが普遍性を持つ指標として国際的に受容されるかどうかは疑わしい。それでも、インド社会では一定の支持を集める素地があるものと思われる。Pewリサーチセンターが日米などを含む24カ国で行った世論調査によれば、議会や裁判所の干渉を受けない強い指導者を望む声は、インドで67%と調査対象国のなかで最も高かった。そして現在の民主主義の機能への満足度は72%にも達し、スウェーデンに次ぐ2位であった8。選挙で選ばれたリーダーが権威主義的に行動することは民主主義と矛盾するものではなく、むしろ望ましいと考える人々が増えているということであろう。


米欧の批判とインドの反発

 この国民の意識をモディ政権と与党インド人民党が十分自覚していることは、カナダや米国から突き付けられた疑惑に対する反発にも表れている。インドの諜報機関がカナダで起きたシク教徒殺害事件に関与した疑いをトルドー首相が2023年9月に突如、議会で発言したことに、インド側はただちに「馬鹿げた話だ」として関与を否定した。しかし同時にジャイシャンカル外相はじめ、インド外務省は、殺害されたシク教徒がインド政府の指定するテロリストであったことを踏まえ、「カナダはシク分離主義者の活動を野放しにしてきた」などと強烈な不満を表明した。のみならず、在カナダの印公館での査証発給を一時停止したほか、インドに駐在するカナダの大使館員の大幅な削減を一方的に要求した。

 こうした強硬姿勢を国民は支持している。2023年末から24年初めにかけて行われた全国的な世論調査Mood of the Nationによれば、カナダから突き付けられた疑惑をめぐる一連のモディ政権の対応を「過剰反応」とみるのはわずか10%に過ぎず、半数近くの47%が「適切な対応」とし、「より過剰な対応」を求める者が19%もいたのである9。さらに注目すべきなのは、インド国内では殺害が事実かどうかはさしたる問題ではないという論調すらみられることである。インド国内から発せられるX(旧ツイッター)には、われわれも米国やイスラエルなどと同様に、標的殺害を行う権利があるはずだといった声がいくつも上がっている。

 ナショナリズムの高揚のなか、カナダに対しては強硬姿勢を貫いたモディ政権ではあるが、その後米国から示された同様の疑惑への対処には苦慮している。2023年11月末、米司法省は米市民権を持つ著名なシク活動家の暗殺を企図したとして、これに関与したニキール・グプタというインド人を起訴した。起訴状では名前は明かされていないものの、グプタを通じて殺害を依頼した首謀者はインド諜報機関の高官だとされている。同年の印米首脳会談で、GE社によるインド国内での戦闘機エンジン製造やマイクロン社の半導体工場建設などが発表されるなか、モディ政権はこの米国からの申し立てに対しては、ハイレベルの調査委員会を設置すると米側に約束した。現時点で最終回答は出ていないものの、報道によれば、インド側は「政府の認可しない不正な工作員が計画に関与」したなどと米側に伝えているとされる。他方で、モディ政権を支えるヒンドゥー・ナショナリスト団体の関係者などからは、米国の二重基準を痛烈に批判し、米国と同様、インドもテロリストを殺害できるといった声が上がる10。戦略的にインドにとって不可欠な存在である米国との関係だけに、モディ政権は対応に苦慮している。

 2024年の総選挙に向けたモディ政権の動向にも、日本を除く西側諸国、米欧からは批判的な目が向けられており、モディ政権と与党、その支持者との対立が先鋭化している。2024年3月、モディ政権が先述した2019年成立の市民権法改正法(CAA)施行を発表すると、米国は国務省報道官が、信教の自由と法の下の平等は民主主義の基礎だとして憂慮を表明し、駐印大使も、信教の自由と宗教間の平等は、民主主義の基本原則だと警告した。これに対し、印外務報道官はただちに、「インドの多元的な伝統や歴史についての理解の浅い人たちによる講釈に過ぎない」などと強く反論した。しかしそれでも米側の批判は収まらず、USCIRFは、非ムスリム不法移民に市民権を付与するCAA施行は差別との見解を示し、迫害される宗教的少数派保護が目的だというのなら、なぜミャンマーのロヒンギャ族などを含めないのかなどと疑問を投げかけた。

 その後も野党陣営の有力者の一人で庶民党(AAP)指導者のケジリワル・デリー準州首相が汚職疑惑で逮捕されると、西側では総選挙を前にした露骨な野党弾圧ではないかとの見方が広がった。逮捕の翌日には、ドイツ外務報道官が、「司法の独立と民主主義の基本原則に関する基準が、この事件にも適用されることを期待する」と早速注文を付けた。ドイツに続き、米国務省報道官もロイターの質問に対するメール回答で、「公正で透明性のあるタイムリーな法的手続きを奨励する」と述べた。こうした批判に対し、インド側は「内政問題」への不当な介入として強く抗議した。しかし米国務省報道官は、声明を撤回するどころか、ケジリワルのみならず、国民会議派への税務捜査、口座凍結措置にも触れて、公平な裁判をあらためて求めた。


ナショナリズムとプラグマティズムの相克

 このように、モディ政権下で進むヒンドゥー・ナショナリズムと権威主義化は、内政にとどまらず、外交面にも影響を及ぼしつつある。英国の若手研究者のキラ・フジュは、モディはポストコロニアル・ポピュリストの典型で、脱植民地主義の主張を流用していると指摘する。彼女によれば、モディはムガル帝国から大英帝国下のインドに至る植民地時代を否定することで、西洋・イスラーム的価値観を相対化し、ナショナリズムと権威主義の正当化に利用していると論じる11。同じく英国の若手研究者、ロハン・ムケルジーも、ナショナリズムに基づき、自己主張の強い外交や国際的な行動に出た場合に、米国などとの対立が深まり、結果としてインドの台頭を阻害することに繋がりかねないと警鐘を鳴らす12。インドは元来、実利を追求するプラグマティックな外交を展開してきた13。ところが、国内におけるヒンドゥー国家建設プロジェクトを権威主義的に推進するなかで、プラグマティックな外交が困難になる場面は、今後も出てくる恐れがある14。ヒンドゥー国家と世界大国という二つの目標は果たして両立しうるのであろうか。


執筆者プロフィール
伊藤 融(いとう とおる)
防衛大学校 人文社会科学群国際関係学科 教授

中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程後期単位取得退学、広島大学にて博士(学術)取得。在インド日本国大使館専門調査員、島根大学法文学部准教授等を経て2009年より防衛大学校に勤務。2021年4月より現職。専門は国際政治学。とくに現代のインド外交・安全保障問題、南アジアの国際関係について詳しく、メディアの取材に数多く応じている。笹川平和財団国際情報ネットワーク分析IINA
(https://www.spf.org/iina/author/toru_ito.html)に定期的に論考を寄稿。
主要単著書として、『新興大国インドの行動原理―独自リアリズム外交のゆくえ』(慶應義塾大学出版会 2020年)、『インドの正体―「未来の大国」の虚と実』(中公新書ラクレ 2023年)。このほかに、『現代日印関係入門』(東京大学出版会 2017年)、『現代インド3    深化するデモクラシー』(東京大学出版会 2015年)、『現代インドの国際関係-メジャー・パワーへの模索』(アジア経済研究所 2012年)『軍事大国化するインド』(亜紀書房 2010年)、India-Japan Relations in Emerging Asia, Manohar, 2013, Eurasia's Regional Powers Compared – China, India, Russia, Routledge, 2015をはじめ日本語、英語での多数の共著書、学術雑誌掲載論文がある。



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