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インド研究会/第3期モディ政権の外交のゆくえ

インド研究会/
識者の発表に基づく概要とりまとめ(4)
第3期モディ政権の外交のゆくえ

研究会開催日:2024年7月17日

防衛大学校国際関係学科 教授
伊藤 融

1.第3期モディ政権の特性

 第3期モディ政権は、まず、これまで2期のモディ政権に比べて政権基盤が脆弱である。特にビハール州のジャナタ・ダル統一派(JD(U))とアーンドラ・プラデシュ州のテルグ・デサム(TDP)が鍵を握る2つの地域政党ということになる。幾つか要求を突きつけてきているのであろうが、恐らく特別カテゴリーの指定問題はかなりセンシティブな問題になるのではないか。ビハールは軍採用の新しい制度「アグニパト」の修正についても譲れないだろう。若者にとってみると、軍の雇用は絶対に欲しいというところがあり、これも非常に重要なポイントなる。ただ、州都の建設では、アーンドラ・プラデシュはかなり譲歩を勝ち取れそうに思われる。
 また、トップダウン決定のやり方から調整型の決定に変えることがどうしても必要になるだろう。果たして、これまでにグジャラート州首相としても、連邦政府の首相としても、そんなものは全く経験値のないモディ、あるいは、アミット・シャーを含めた側近の誰がそれをできるのか。モディ自身がそんなことをしたいのか、ということもある。最近の記事、地元のインドの政治評論家の書いたものでは、ラージナート・シンが鍵になるのではないかとされている。確かにラージナート・シンは唯一と言っていいくらい、ヴァジペーイ連立時代に閣僚も経験し、UPの州首相も経験して、本当の意味でのBJPが弱小だったヴァジペーイ連立政権の時代を経験している。モディはラージナート・シンに連立パートナーとの折衝、野党との折衝を全部丸投げしているとされている。モディではなくアミット・シャーに報告が行き、モディは責任を逃れる、というやり方が確立されつつあるというふうにも出ているが、まだこれは始まったばかりであるし、ラージナート・シンも年齢的にはモディと同じ世代なので、そこはどうなのかは分からない。いずれにせよ、「モディ政権」というものから「NDA政権」に本当の意味でなったという点で意識の転換は必要なのだろう。
 問題は政策への影響で、一般には内政、経済政策の至るところで、経済改革がさらに遅れるのではないかということだが、ここはあまり悲観的には見ていない。そもそもトップダウンのこの十年間でできたこともあるけれども、できなかったこともいっぱいある。土地収用法の制定、労働法改正法施行は先送りされ、農業三法は結局撤回に追い込まれた。なぜこんなことになったか。それは要するに、調整しないからである。農業三法に関しては、もともとはNDAの連立の一部だったアカーリー・ダルを敵に回すというようなやり方をなぜ取ったのか、ということである。それは、対立型政治で、トップダウンで決めるがゆえに調整しないというやり方がかえって問題を難しくさせたというところがあるのではないか。そもそも土地収用法を制定しようと思ったら上院の過半数を取らなければいけないわけで、今回の州議会の状況を見ても、なかなか上院の過半数は見通せないということを考えると、どうしても実現しようとするならば、これからの第3期モディ政権にとっての最大の課題は、製造業の育成ということになる。そうすると、外資を呼び込むということを考えても、土地収用法の制定、労働法改正法施行はマストだろう。これを本気でやるのであれば、連立内あるいは連立の外の地域政党も含めて政策決定に取り込んでいくことが必要不可欠であり、そうすれば、改革はむしろ実現、前に進む可能性はあるのではないか。この点でアーンドラ・プラデシュのTDP党首で州首相を務めるチャンドラバブ・ナイドゥはむしろアグレッシブに改革していくという方向に向かっていると思われるので、こういったところをしっかりとつかんだ上で、さらに場合によってはタミル・ナードゥやDMKなどの野党も巻き込むことができれば改革が前に進むことはあり得るのではないか。ヴァジペーイの時代やマンモーハン・シンの時代にも何も改革できなかったわけではないし、マンモーハン・シン時代でも原子力協定をあれほど苦労して、左翼を切り捨て、最後はSPを抱き込むというやり方で実現させている。ラージナート・シンに丸投げして果たしてどうかというのはあるが、そういう政治技術というものを学ぶことができれば改革、経済改革は前向きに進むだろう。
 もう1つが、「ヒンドゥー国家」路線の希薄化である。政治家は最も重要な課題として政権を維持しなければいけないということを考えれば、世俗的なTDPやJD(U)といった地域政党が出て行っては困るということであれば、ムスリムの反対が強い統一民法典制定は先送りするのが普通だろう。ただ、モディだけに分からないというところはある。本当のところモディが何を考えているのかというのはよく分からない。経済改革という課題よりも、ヒンドゥー国家の形成を何が何でもやりたいのであれば、場合によってはそれが政権の崩壊につながり、早期の解散総選挙になったとしてもそれは進めるのだと彼が決意するのであれば、それは止められないかもしれないというところもある。これは今後のBJPの中でのポストモディをめぐる、支持母体RSSを巻き込んだ権力闘争とも関わるのではないか。
 本題の外交・安全保障政策に関しては、基本的には恐らく、経済政策やヒンドゥー至上主義といった内政の問題に比べると一番影響が少ない。要するに変化の幅が小さい。第3期になったからといって大きく変わらないと見ている。まず、外務、国防、財務、商工、NSA、経済外交、あるいは安全保障も含めた主要なポストは全部BJPで占められ、前任者のままになっている。さらに、地域政党の影響力が強まり、地域政党がTDPやJDUが経済政策、今度の新しい予算の策定にも影響を及ぼす可能性はあるが、今回の連立与党内の地域政党は、基本的には外交・安全保障に無関心な政党である。『新興大国インドの行動原理』で挙げているタミル・ナードゥのDMK、あるいは、西ベンガルの草の根会議派は、バングラデシュ政策やスリランカ政策にものすごく大きな利害関心を持っている。これまで彼らに足を引っ張られることがたびたびあったが、この2つの政党が、今回の連立与党のメンバーでないということを考えると、連立与党内の地域政党が外交・安全保障政策に文句をつけるとは考えにくい。むしろ、TDPが経済外交というか、投資をもっと持ってくるような方策に旗を振る可能性はあるが、それはプラスの方向に働くだろう。従って、基本的に外交・安全保障政策の方向性は第1期、第2期と変わらないと見ていいだろう。
 中国に対する警戒は2016年の半ばが一つの転換点で、いわゆる一帯一路を習近平が明確にし出し、ドクラムの危機というのがあった時である。2020年にガルワンでの衝突があり、これで不可逆的になったということであろう。習近平がちょっと方針を変える、インドをなだめる、懐柔する方向に行く兆しがない中で、やはりクアッドとの連携の強化や、中国の向こう側にあるロシアとの戦略的関係を維持していくという方向性が続くだろう。また先述したように、ヒンドゥー・ナショナリズム路線を弱めるのだとすれば、これは地域外交やグローバル・サウス外交にはむしろプラスに働く可能性がある。本来、インドの外交はプラグマティズムに基づくものだ。徹底した実利主義の外交というのがインド外務省の中に染み込んでいる伝統である。ジャイシャンカルはその典型的な人だと思われる。ただ、それに対して、とりわけこの一年ほどの間、モディ、アミット・シャーのラインで内政を優先する、つまり内政上の政治的打算というのを優先してきた。例えば、ジャンムー・カシミールの自治権撤廃、市民権法の改正法といったものをやった結果として、結局、パキスタンはしようがないとしても、バングラデシュあるいはアフガニスタンとの関係が悪化することにつながった。ロヒンギャの問題でも同じで、ヒンドゥー・ナショナリストからは「追い出せ」という声が上がった。これで、バングラデシュとの関係がぎくしゃくすることにもなった。それから、選挙直前にあったのがモルディブとの関係の悪化である。それはモルディブも悪いといえば悪いが、ムイズの「インドアウト」というキャンペーンに、同じように子供のようにけんかをするわけで、ヒンドゥー・ナショナリストが「もうモルディブには行かない」といったキャンペーンを展開するというようなことにつながった。結局これは、本来なら味方につけなければいけない南アジア諸国を皆敵に回すという全く稚拙な外交だった。インド外務省、あるいは、ジャイシャンカルが最もこれはまずいと思ったのは、恐らくモディのイスラエル支持だったと思う。10月7日の事件を受け、即座に「Stand with Israel」と何のためらいもなく言ってしまったモディに対して、ヒンドゥー・ナショナリストがみんなそうだそうだというふうに言ってしまったというのが、結局、イランや中東諸国という西アジア諸国との関係が悪化することにつながった。こういった政策は明らかにプラグマティズムに反するわけで、インド外務省とジャイシャンカルはそれ以降、一生懸命に軌道修正を図ってきた。そういった意味で、選挙も終わったし、これからヒンドゥー・ナショナリズムは弱まるというのが普通だろう。ただ、先ほども言ったように、モディは本当のところ分からないというところもある。例えば、次の秋に予定されるマハラシュトラ州の選挙などでどういうカードを使ってくるかというのは読めないところがある。合理的に考えればヒンドゥー・ナショナリズムを弱めないと連立の維持も難しいが、モディは分からないということは、申し上げておく必要がある。
 選挙と第3期モディ政権については、出口調査の日にもBJP圧勝だというような話が出て、一気にアダニの株価は上がったが、6月4日にがくんと暴落した。これが市場の反応で、市場がどういうふうにモディを見ているのかということを如実に表している。ただ、その後、アダニを含めてインド株が持ち直し始めてきている。
 経済界はよく分からないが、米欧の政界やメディアは、モディのBJPが大幅に議席を減らした今回の選挙結果を歓迎している。西側との関係を進化させることに全く躊躇しないモディ政権が持続することには評価を与えつつ、そのモディ政権による行き過ぎにお灸を据えたところを評価している。国務省も、それから、エコノミストなどの記事も、手放しで褒めている。西側にとって好ましくない民主主義の後退に対するインド社会の抵抗が示されたというふうな受け止め方がされているのだろう。要するに、西側がかなり懸念していたインドとの間の価値観の溝が縮小していくのではないかという期待感が株価を持ち直させているというところだろう。
 私自身も、恐らく多くの欧米のメディアもそうだろうが、今回の選挙結果は長期的な視点からはインドは買いであると言っている。「強いモディが弱くなった。これはまずいんじゃないか」というふうに皆反応するが、そんなことはない。そもそも強いモディに何ができたか、ということを考えたときに、これでそんなに落胆して「インドは終わりだ」みたいに思う必要は全くない。

2.インド外交の論理

 インド外交をどう見たらいいのか。モディになって急に変わった話ではない。モディという人はかなり個性が強いので、何かがらっと変わったようなイメージがあるかもしれないが、根本的にはネルーもモディも変わらないというところは強調しておきたい。私は2つに大きく分けていて、『新興大国の行動原理』の中では「DNA」という言い方をしている。要は、インドの戦略エリート、あるいは、普通の人たちにも浸透しているような基本的な物の考え方、思考様式としての戦略文化というのが多くの指導者の発想に内在しているということである。

・基本的思考様式としての戦略文化

(1)大国志向
 1つは非常に強い大国志向である。モディが大国志向というのは誰しもがそうだろうと思われるかもしれないが、ネルーもそうであった。ネルーは1948年の最初の議会答弁においても、インドのような国は、日本とは言ってないが「アジアの小国とは違う」、「だから、そういった同盟構造には入らない」ということを明確に言っている。「我々は大国なのだ」という意識は非常に強く、だからこそ、アメリカかソ連かのどちらかの陣営にくみするということが当たり前だった時代にもその潮流に抗ったのである。冷戦後は、いわゆるハードパワーが増強していく中で、普通の国として振る舞っても世界大国というものを追求・実現できるのだといった自信に満ちあふれているところがある。これはマンモーハン・シンやヴァジペーイのときからずっと続いている。安保理常理事国入りを本気に目指し始めているし、原子力供給国グループ(NSG)の加盟に関しては、核兵器不拡散条約(NPT)に加盟していないインドがNSGを特例扱いにしてくれたということで十分なはずなのに、NSGに入ることにメリットはあまりないが、そうすることによって大国としてのステータスを獲得したいというのが非常に強いということである。また、核兵器やアグニⅤ、ASATなどの対衛星ミサイルといった実験をしたときに、必ずモディであれ、国防大臣であれ、その他科学者であれ、要するに、「インドはP5しか持っていないパワーを実現できた」という言い方をする。何のために核が必要か、アグニⅤが必要か、ASATが必要か、というのは、そういう話よりも、大国の証としてそういうものを持つという意思が非常に強いということである。例えば核保有では、軍は1998年の核保有でさえ全然相談を受けていない。まさに政治的判断でこういったものが使われている。

(2)自主独立外交
 今の話と関わるのが、自主独立外交への異常なまでのこだわりである。「日本みたいな国は信じられない」というのはインド人、政治エリートがよく言っている。「自分たちは大国だ」という意思が強いのに、イギリスに長い間支配された。モディに至っては、「千年の外国支配」があったと言っている。イスラム支配も含めて、「我々は支配された」という意識が強いのである。大国であるべきインドが支配されたことから、とりわけ主権や自由に対するこだわりが強いということである。だから「強い大国の傘のもとに入るなんて絶対ノーだ」という意識は、ネルーからモディまで変わらない。明確に同盟を忌避する、ジュニア・パートナーにはならない。これはジャイシャンカルなども何度も言っている。冷戦期に確かにソ連との間でずぶずぶの関係になったことがあり、だからこそ、「あれはやはりやり過ぎだ」というような反省が非常に強いということである。冷戦後はしたがって、いわゆる戦略的パートナーシップは「同盟までは行かない」というところは今でも守られている。
 今「非同盟」という言葉をモディ政権は使っていない。少なくとも今のBJP政権では死語であろう。ヴァジペーイの時代には非同盟という言葉は時折出ていた。マンモーハン・シン政権の後半には、「非同盟2.0」という文書も出たが、今は完全に消えた。ただ、それでも「同盟」という言葉は使っていない。政治用語としては、NDAもナショナル・デモクラティック・アライアンスなので、同盟という言葉が政治的タブーの用語ではないのだけれども、外交的にはタブーなわけである。外交・安全保障の世界では同盟という言葉は絶対使っていない。BJPが2014年のマニフェストで使ったのもweb of alliesである。web of alliesというのは、いろんな国と同盟の網を作るということである。これはどことも付き合うという話だ、最近は「multi-alignment」という言葉も使われる。本の中で「多同盟」と訳してしまったが、これは「多連携」と言うほうが正確かもしれない。特定のパワーに依存したり従属したりすることは絶対に回避する。そうすることで高い水準の主権を維持していこうということだろう。これは現在に至るまで全然変わっていない。

(3)「アルタ的現実主義(リアリズム)」の伝統
 3つ目のポイントが、徹底したプラグマティズム、実利主義である。これに関しては、古代の戦略家、マウリヤ朝を建設した王に仕えたカウティリヤが書いたとされる『アルタシャーストラ』のテキストはジャイシャンカルも含めて今のインドの外交官によってしばしば引用されている。徹底して実利を追求することが正当化される。特に重要なのは、「隣の国は本質的に敵対者であって、その向こう側の国を味方につけなければいけない」といった発想が昔からあるということである。「永遠の友達というものは存在しない」というような発想もある。「敵対者と敵は同じではない」ということも言っている。敵対者だからといって、すぐに敵とみなして戦争をしかける、滅ぼすというのが推奨されているわけではない。要するに、慎重に自分と、あるいは、自分の味方になる国とのパワーを比較衡量しなさい、その結果として、状況によっては和平をしかけるのも必要だということを言っているのである。あるいは、より強いパワーに助けを求める、庇護要請をするとか、あるいは、一方の手で握手しながらもう一方の手は戦争を準備する、進軍する、そういうことも推奨されている。つまり、リベラルな政策も含めたものがこの中で説かれているのである。インド人が言うときのリアリズムというのは、要はプラグマティズムである。つまり、国益という実利を追求するためのいろんな手段、汚い手段も、それから、和平などリベラルな手法も含めたものが全部プラグマティズムとして考えられている。これがインドの伝統、ということになる。

 この3つが基本的な思考様式だが、この3つの思考様式だけで具体的な政策が決まるわけではない。インドという国が置かれた内的、外的な構造を見る必要がある。政策を規定する構造として、まず内部の要因として、国際関係のアクターとしてのインドという国家が持っている特性を見ようということである。

・政策規定構造

(1)脆弱な国民国家
 これは国際関係論でコンストラクティビズム的な発想になるが、要はインドというアクターとしての国家というのは非常に脆弱なネーションであるというのが僕の議論である。どういうことかと言うと、インドという国民国家には、宗教、言語・民族、カーストなど、様々な分断線がある。さらに、国境を越えて、例えばカシミール人やベンガル人、タミル人が住んでいる状況がある。そうすると、統治者は不安になる。これは多かれ少なかれ新興国、第三世界の国々に共通して言えることだが、インドは面積が大きいだけに、その度合いが非常に強い。ネルー以来、インドの指導者、中央政府の指導者というのは不安なのである。その不安な状況で、どうやって国民国家をばらばらにしないようにするか。できれば完成形に近づけたい。そういう政策が取られる。それがとりわけ近隣外交に非常に大きな影響を与えることになる。例えばマンモーハン・シン政権時代あるいはその前から、タミル人の問題やベンガル人の問題、タミル・ナードゥ州のタミル人あるいは西ベンガルの人たちがどういう反応をするかということが、スリランカやパキスタン、バングラデシュ政策に非常に大きな影響を与えている。ただ、ネルーはどちらかというと、多様性のあるインドを、州などに自治権を与えることによって何とかばらばらにならない、緩やかな連邦国家としてまとめていくという、「ヨーロッパみたいなインドっていいじゃないか」みたいな発想だったのに対し、今のモディは明らかに、ヒンディー語とヒンズー教を核にした強い一つのインドを作る、理念型としてのインド国民国家の完成に向かおうとしている、ということだろう。ただ、共通するのは、自分たちの脆弱な国民国家をどうしていくかという発想が外交政策にも非常に影響を及ぼすということである。

(2)弱い連邦政府
 ただ、脆弱と言っても、今のインドはかつてに比べれば強靭であろう。というのは、カシミールはちょっと微妙で、今マニプールなんかももめているが、ネルー、インディラ・ガンディーの時代に比べて、例えばシク教徒の問題は国外のいろんなところで結構問題になったが、今パンジャブのシク教徒が暴れて出て行くというふうには全然思われてないだろう。それなりに自分たちのインドというものに対する愛着心みたいなものも出てきているのは、メディアの広がりというのも非常に大きいし、インドが世界の中で台頭しているというイメージもインドの一体性に貢献していると思われる。ただし、そういった中で90年代以降出てきたのが、「弱い連邦政府」という概念である。どういうことかと言うと、90年代以降、いわゆる国民会議派による一党優位政党制が崩壊していく中で連立政治の時代に入っていく。その中で地域政党が非常に大きな影響力を及ぼすようになったということである。西ベンガル州やタミル・ナードゥ州の話はそこに関わるが、結局、地域政党が言うことを聞かないと連邦政府が崩壊してしまうという状況が生じた。そういう意味では2014年から今回の選挙までの十年間は異常だった。今回また、弱い連邦政府の状況が復活したわけだ。ただ、そうは言っても、今回の弱い連邦政府というのは、恐らく外交にはそんなに大きなインパクトはない。国境州ビハールはネパールと関係あるが、それはあまり大きくないだろう。ただ、連繋政治概念が、インドの近隣外交には当てはまるのは確かだ。今、中国がどんどん出てきているので、ニューデリーにいる戦略エリートは皆、「何で我々は行かないのだ。もっとアグレッシブにスリランカやバングラと関係を構築すべきだ」というふうに言うが、実際には政治的に難しいという現象が続いてきたということになる。

(3)域外修正主義と域内現状維持
 3つ目は、国際関係におけるインドという国が置かれた状況である。これは要するに、地域とその外側で全然違うということである。つまり、地域の外側では、インドという国は少なくとも冷戦時代は取るに足らない存在でしかなかった。冷戦後は確かに今パワーが大きくなっているけれども、アメリカや中国には全然届かず、そういう中では国際社会の新参者である。国際社会における新参者としては、既に作られたルールや秩序を変えてほしいと考えるのが普通であり、WTOや気候変動、NPTなどインドはいろんなところで小うるさい国というのが定番になっている。ところが、地域の中、南アジア、さらにインド洋周辺といったところで言うと、インドは圧倒的な存在なので、今のままがいい。インドが俺様でいるという状態が一番望ましい。だから、二国間で何でも片づけようとする。インドからすると、SAARCみたいなものの役割が大きくなるのはあまり好ましくない。ただ今は、自分たちの俺様の世界であったところの域内、いわゆるインド外交の言葉で言う直接近隣、拡大近隣にも中国の影響力がどんどん入ってきている。直接近隣は要するに直接接している国、南アジアということである。拡大近隣はかなり特殊な概念だが、中東、ASEAN、東アフリカのインドに接しているようなところが入る。この拡大近隣だけではなく、バングラやインドに取り囲まれているような国でさえも中国の兵器が8割を占めるに至る状況になっている。これはまずい、何とかしなきゃいけない。そこで出てくるのがクアッドのような枠組みである。つまり、アメリカや日本、オーストラリアの力も借りながら中国を牽制していくというようなことが今試みられている。

 今の話をまとめると、要するに、国際関係としてのアクターの特性は3つある。「国民国家」としての脆弱性と連邦政府の政治的脆弱性が近隣外交を制約する要因で、域内と域外でのパワーの違いというのが、域内での現状維持、域外での修正主義の要因である。域内では現状でいい、インド優位な状態でいい、あるいは、インド優位な状態が危なくなってきたら、ほかの力も借りて中国を追い出し、インドの俺様の世界を回復するというような政策を取る。地域の外側では、今まで作られた、先進国あるいは西側、安保理、P5が作ったようなルールを変えろと要求する。そういう修正主義を取る、それが具体的には外交政策を規定しているということである。これは今のモディ政権で何も変わらない。域内と域外でのパワー格差から考えて、こうした行動を取っているということは、すぐにいろんな例が思い浮かぶだろう。

インドからみた米中ロの関係イメージ
 大国との外交では、冷戦後、インドはアメリカとの関係をずっと緊密化している。中国との関係は関与と警戒だが、今はもうずっと警戒の方にかじを切っている。ロシアとの関係が一番何の問題もない関係である。ただ、すべての分野でインドと利害が一致するパートナーは存在しない。表1(「インドからみた米中ロの関係イメージ」)は2020年のものだが、アメリカとの間では、民主主義の価値も今は○ではないかもしれない。ただ、例えばアメリカは投資をいっぱいしてくれるとか、インドの地域外交で言えば中国に対する牽制とか、そういったところでは、インドはアメリカを絶対に必要としている。そこは利害が一致する。ところがWTOや気候変動といったところではアメリカと絶対一致しないし、それから、イラン制裁とかを勝手にやってしまうようなところ、そういう単独行動主義的なやり方にインドはついていけないというところもあって、必ずしも利害が一致するわけではない。そこはむしろ中国と利害が一致するところがあり、BRICSやSCOのコミットにもつながっていく。ロシアは一番何の対立点もないパートナーで、貿易、投資の関係は薄かったが、今再びそれが復活してきている。要は、3つの関係を使い分けるということである。アメリカやロシアは域内の現状を維持するための重要なパートナーである。域外の修正主義というところでは、中国やロシアという新興国がパートナーになる。これがBRICSとかSCOの枠組みになってくる。アメリカはルールは変えたがらないけれども、インドだけはいいことにしようと、インド例外主義という対応をしてくれる存在。既にある国連システムとかNPTとかは変えないけれども、インドだけNPTに入っていなくても協力していいことにしようという、インドの地位向上に役立つ国というふうにインドは位置づけている。こういうやり方で、実利を達成するというのが基本的な発想だということである。

3.第三期モディ政権の外交課題

 今回のBJPのマニフェストに出てきて、今まで出てこなかった概念がVikshit Bharat、先進国インド、という言葉である。それと、Vishwa GuruだったのがVishwa Bandhuになったというのがニュースになった。今まではVishwa Guru、要するに「世界のグル」と言っていたが、それはちょっと上から目線で、「インドが俺様で、あとはみんな俺たちに従え」みたいに聞こえなくはない。Bandhuをどう訳していいのか分からないが、仲間や友、兄弟といった感じで、「世界の仲間」とちょっと対等な言い方に変わり、この言葉が盛んに出てきているということである。ジャイシャンカルもかなりこの言葉を使っている。ジャイシャンカルはあるところで、その意味について、要するに、「2047年までの先進国入りを実現するためには、Vishwa Bandhuの精神が必要なのだ」ということを言い、さらに踏み込んで、Vishwa Bandhuは「国益のために様々な国とパートナーシップを結ぶことである」というふうに言っている。要は別に何も新しくない。multi-alignmentの焼き直しでしかなく、それをヒンディー語で言ったということでしかないのではないか。国益のために様々な国とパートナーシップを結んで、特に新しいことをやるわけではなくて、ただスローガンとしてVishwa Bandhuという、Vishwa Guruよりもちょっと目線を下ろしたようなソフトなやり方を持ってきた。これを掲げているということである。重要なのは「先進国入りインド」ということで、多分これがモディの今後の、外交上の非常に重要な課題だとジャイシャンカルも位置づけているということだろう。

西側との関係
 そのために何が何でも必要なのは投資で、投資を呼び込んで製造業を振興させるということである。今回の選挙での最大の不満は失業。とくに若者が失業しているということを考えると、製造業をとにかく何とかしないと失業問題は解決できっこない。ヒンドゥー・ナショナリズムでは飯を食えない。モディは2014年の第1次政権の発足当初、中国からの投資もウェルカムであると言っていた。インフラなど、これまでちょっとセンシティブなところも歓迎していたが、今はもうそれは考えられない。2016年の半ば以降、とりわけ2020年以降は選択肢にない。産業界は最近のニュースで見ても、「中国の技術者にせめてビザを出してほしい」とか、「安保上、不可能な分野と可能な分野を切り分けてほしい」といったことを言っているようである。ただ、脱中国のサプライチェーン構築というところに相当踏み込んでいるようではある。経済界は「やっぱり中国が必要だ」ということは言っているが、政治的に、あるいは、安全保障環境を考えると、それを容認することはかなり難しいだろう。2020年以降、中国からの投資、あるいは、中国人技術者を入れるということについても、政治安全保障上のハードルは相当高くなってきている。産業界は「何がネガティブリストで、何がそうでないのかということを明確にしてほしい」と要請はしているが、中国側、習近平が譲歩すれば若干変わるかもしれないが、それがない限りは、これはなかなか難しいのではないか。要は、脱中国のサプライチェーンを構築していく必要性で、ここでは日本を含めて西側の投資が絶対必要である。それから、一帯一路に対抗するコネクティヴィティ・インフラへの必要性もある。また、スリランカで協力したように、債務の問題もある。こういったところで、西側との関係は絶対に重要である。ただ、問題なのは、西側の中で広がったモディ政権に対する不信感である。それは2つある。1つは人権や宗教などインド国内の権威主義の問題、もう1つは外交的な話で、ついこの前のプーチン大統領とのハグである。これを見てアメリカは明確に懸念を表明した。この2つの点で、モディはどちらかというとトランプ政権が来たほうがいいと思っているのではないか。トランプとの関係はすべてうまくいったわけではないが、馬が合う関係であり、そもそも似た者同士である。トランプは人権などどうでもいい人で、ロシアとの関係も「おれが政権に就いたらすぐ和平を結ばせる」とか言っている。インドにとってみれば、バイデンがうるさく言うんだったらトランプ政権のほうがいいというふうに思っているだろう。

2023-08-29_international views of india and modi (Pew Research Center) https://www.pewresearch.org/global/2023/08/29/international-views-of-india-and-modi/

 実際にバイデン政権のもとでアメリカの世論は相当程度厳しい見方をしている。ピュー・リサーチ・センターの去年秋ぐらいの調査結果で見ると、アメリカ人の中で、モディを信用している人は20%ぐらいしかいない。これは日本と全然違う。日本のメディアは全然報じないが、アメリカの中では相当程度、インド国内の様々な人権侵害やムスリムに対する締め付け、野党、メディアに対する規制といったものが広く報じられている。そういったことが影響しているのだろう。とりわけ去年はひどかった。BBCの問題もあるし、ラフル・ガンディーの議員資格を剥奪しようとした話、極めつけは去年秋からのカナダとアメリカでの標的殺害疑惑だろう。シク教徒殺害に関してアメリカは起訴してきた。ニキル・グプタも今起訴されて最初の裁判も始まっている。恐らくアメリカは、国務省的には、あるいは、ホワイトハウス的には、インドとの戦略的関係を憂慮して、あまり大げさにはしたくない。けれども、自国にずかずか入ってきて、自国の市民を殺すというのが容認できるはずはなく、インドに駐在する大使は、それはもうレッドラインだといったメッセージを確かに送っている。しかし、恐らくは、ニキル・グプタだけ有罪にして、彼の単独犯みたいにして終わらせようとしているのだろうが、アメリカの司法当局は「そんなんじゃだめだ」というふうに言いかねない。そこはちょっと微妙なところで、今後の裁判の行方を見守る必要があるだろう。こういったところはアメリカとの間のかなりの懸念材料である。

中ロとの関係
 中国の問題というのは、やはり非常に大きく、安全保障上はパキスタン以上に重要な問題である。パキスタンの話は、テロはあるけれども、局地的な話で、それがインド全体に影響するとはあまり思われていないところがある。これに対して、中国の問題はもうどうにもならない、とにかく今までのやり方では効かない。つまり、いくらインドがクアッドとの連携の強化を示しても、習近平は全くびくともせず、譲歩しない。今までと違う。習近平はアメリカとけんかしながら、インド、日本ともけんかできる、そういう過剰とも言えるぐらいの自信を持ってしまっている。ただ、実効支配線(LAC)での正常化がなければ何も進まないというのがインドの立場で、そこから一歩も進まない。だから、LACで中国側がある程度引かない限りは多分何も進まない。中国人のビザの問題も多分進まない。これは本当に習近平次第、ボールは向こうにあるとしか言いようがない。だからこそ、この前のSCOにモディは欠席したのだろう。そこを欠席して、その直後にプーチンには会いに行くというのは、そういうことなのだろう。もう1つは、中国とパキスタンが連携していることの脅威は当然強く、二正面で戦わなければいけないというところの問題点が強い。今、パキスタンのテロが増えているが、中国とのLACに相当張り付けてしまっているので、パキスタンとの国境沿いが手薄になっている。この2つが連携することによって、インドの安全保障が危機にさらされているという状況である。さらに厄介なのが、イラン、アフガニスタン、ミャンマーという本来味方につけなければいけない国である。戦略的、地政学的に見ても、イランとアフガニスタンはパキスタンの向こうにある。イランに関しては原油だけでなくて、戦略回廊プロジェクトもあり、これは絶対にやりたい。ところが、イランへの制裁は続いたままだし、アメリカや西側が「ミャンマーと付き合うな」と言っている状況の中で、なかなか関与が難しい。要は、ロシアというカードの重要性はインドにとってこれからずっと低下していく。今こうなっていても変わらないだろう。『新興大国の行動原理』の中では、ロシアという国は、アメリカや中国との関係を動かすためのてこであり、アメリカや中国との関係がにっちもさっちもいかなくなったときの保険であるというふうに言ったが、まさにそれが今、ウクライナ侵攻の後ということである。ただ、インドはそれで安心しているわけではなく、ロシアが中国にべったりになってきていることは当然不安に思っている。とはいえ、できることは少ない。恐らく今回のモディのロシア訪問でも、ロシアの中国依存を引きはがそうとすることは非常に重要な課題だったが、これは全然できていないということだろう。

域内の影響力回復
 もう1つの課題が地域の中での影響力回復ということだろう。パキスタンはもともと影響力を行使できるような国ではないが、関係が変わるか。ヒンドゥー・ナショナリズムを弱めれば、選挙も両方とも終わっているので、関係改善する可能性はあり、パキスタンがそのメッセージを送ってきていることは事実である。ただ、パキスタンと仲良くしてもメリットがないので、そこは政治リスクをかけるだけの意味があるか、ということだろう。より重要なのは、本来味方につけなければいけない南アジア、バングラやスリランカ、モルディブ、アフガンといったところである。これまでは周辺国の反発を招いてきている。新国会議事堂の壁画というのはめちゃくちゃな話で、「アクハンド・バーラト」は怒るのが当たり前である。あれはバングラもネパールも全部インドになっている。そんなのを国会議事堂の壁画に掲げるという神経がよく分からないが、まさにヒンドゥー・ナショナリズムだろう。モルディブのムイズ政権に対する反応や、イスラエル支持に対する反応が西アジアとの関係を傷つけたということになる。

 問題なのは、プラグマティズム外交に果たして回帰できるかということである。本来2014年に掲げたはずの「近隣第一政策」を本当の意味で実践できるのかということだろう。確かに今回の就任式に反インドを掲げたモルディブのムイズも呼んだ。招待して軌道修正を図りつつあるのだろう。イスラエルに対しては、モディの口からは「二国家解決」や「国際人道法を守れ」ということは一言も出ないが、ジャイシャンカルや外務省はしきりにそれを言うようになってきている。軌道修正を一生懸命図っている。それはやはりプラグマティズム外交ということだろう。ただ、どこかでやはりまたナショナリズムの逆襲みたいなものが起こる可能性は内政上の打算からあるかもしれず、そこは懸念されるところである。
 またインドが重要視しているのは、グローバル・サウス言説である。これは今後も続ける方向性のようである。「グローバル・サウスの声サミット」は今後もやる方向のようだが、逆に中国もグローバル・サウスという言葉を言い出し始めている。中国は最初、グローバル・サウス概念に否定的だったが、言ってみれば中国は自分たちで再定義しようとしている感じである。「俺たちがグローバル・サウスなのだ」というふうにむしろ中国のほうが言っている。この前、インドに対して「国境の問題は置いといて」とは言わないけれども、「国境の問題のせいでそのほかの関係が全部だめにならないようにしよう」というお決まりの中国の発言があったが、そのときさらに「我々はグローバル・サウスの仲間だ」みたいな呼びかけがあった。中国も積極的にそういうこと言い始めているので、果たしてインドが今後も「グローバル・サウスの声」という言説を維持できるかどうかは分からない。つまり、本当にVishwa Bandhu という掲げた路線で貫徹できるのかということが問われてくるのだろう。要するに、上から目線で「おまえら言うこと聞け」というようなやり方から、本当に世界の友として、グローバル・サウスと、ほかの国と同目線で付き合っていくというような政策を、いくらヒンドゥー・ナショナリズムの「いや、インドは大国だ」というような圧力が国内からかかっても維持できるのかどうかというのが注目点であろう。

以  上

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