インド研究会/
識者の発表に基づく概要とりまとめ(3)
2024年インド総選挙を読み解く―ビハール州調査を中心に
識者の発表に基づく概要とりまとめ(3)
2024年インド総選挙を読み解く―ビハール州調査を中心に
研究会開催日:2024年6月25日
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 教授
中溝 和弥
1. 今回の総選挙の意義
今回の総選挙の意義は、インド民主主義の強靱性を示したことにある。モディ政権は、下院総議席543議席中、インド人民党(Bharatiya Janata Party、以下BJP)は370議席、BJP連合である国民民主連合(National Democratic Alliance、以下NDA)全体では400議席超を獲得目標として提示していた。インドのメディアによる出口調査結果もBJPの大勝を予想していたが、蓋を開けてみれば、BJPは240議席と過半数の272議席を大きく割り込み、NDA全体でも292議席にとどまった。連合全体で過半数は超えたため3期目を担うことには成功したが、議席獲得目標との落差を考えれば、敗北したといってもよい状況である。
これに対し、インド国民会議派(以下、会議派)を中心とするインド国民発展包括連合(Indian National Developmental Inclusive Alliance、以下INDIA)は、会議派が99議席と議席をほぼ倍増させ、連合全体でも234議席と健闘した。今回は前回2019年と違って、野党連合の結集に成功したことが大きな要因の一つである。とりわけインド最大の人口そして議席を誇る北部ウッタル・プラデーシュ州において、同州で強い基盤を持つ社会主義者党(Samajwadi Party)と連立を組むことに成功した事は大きかった。表1が示すように、得票率も全体で14.7ポイント上昇した(表1参照)。
(出典)2024年総選挙のデータは、 ‘Lok Sabha results and voting trends’, The Hindu,
https://www.thehindu.com/infographics/2024-04-24/lok-sabha-election-results/index.html
(last access June 23, 2024)、2019年総選挙のデータは、CSDS-Lokniti, All India Lok Sabha Result 2019より筆者作成。
(注)括弧内の数値は2019年総選挙の数値からの増減を示す。
(略称)BJP:インド人民党、NDA:国民民主連合、INC:インド国民会議派、INDIA:インド国民開発包摂連合
モディ政権は2期10年にわたって、インドの権威主義化を強力に進めてきた。筆者は「権威主義革命」と名付けたが、今回の選挙結果は、この「権威主義革命」に一撃を喰らわした意義がある。近年、インドに限らず、世界中で民主主義の後退現象が指摘されており、例えば、スティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットは、『民主主義の死に方』(濱野大道訳、新潮社、2018年、原著は、Steven Levitsky and Daniel Ziblatt, How Democracies Die, New York: Crown, 2018)において、民主主義体制が権威主義化する過程を示した。モディ政権下のインドは彼らの定式をそのままに辿る変化を示しており、このままインド民主主義も死んでいくのかと思われたが、今回の選挙により、インドの民主主義は死んでいなかった、まだ生きていた、ということを世界に示すことができた。これはインドにとって重要であることはもちろん、世界にとっても民主主義の可能性を切り開く意義を持つ。
2.ビハール州における2024年総選挙
2.1 2024年総選挙の結果
本報告においては、筆者が長年調査を行ってきたビハール州の選挙結果について分析したい。ビハール州は先述のウッタル・プラデーシュ州の東隣に位置する州であり、人口規模の大きさから全国政治において大きな影響力を行使してきた。2000年に南部がジャールカンド州として分離する前は、ウッタル・プラデーシュ州に次ぐインド第二位の人口を誇り、分離後も第三位である。現在の推定人口は1億3000万人であり、日本を上回る。人口規模と並んで貧困でも知られ、インド最貧州の一つである。
今回の選挙結果は、表2に示したとおりである。前回2019年総選挙では40議席中39議席をNDAが獲得し、モディ政権の再選を支えた。今回も40議席中30議席とNDAが勝利したものの、9議席を落としており、これはNDAが今回失った議席の15%を占める。これまでと同様に全国政治に大きな影響力を与えた選挙結果となった。さらにBJPが過半数割れしたことにより、与党連合NDAのなかで連立パートナーの重要性が増し、その要となったのが、ビハール州の地域政党であるジャナター・ダル(統一派)(Janata Dal(United)、以下JD(U))である。今回12議席を獲得したことにより、16議席を獲得したアーンドラ・プラデーシュ州の地域政党テルグ・デーサム党に次いで今後の政権運営で大きな影響力をもつことが予想される。
(出典)2024年総選挙のデータは、 ‘Lok Sabha results and voting trends’, The Hindu,
https://www.thehindu.com/infographics/2024-04-24/lok-sabha-election-results/index.html
(last access June 23, 2024)、2019年総選挙のデータは、CSDS-Lokniti, All India Lok Sabha Result 2019より筆者作成。
(注)括弧内の数値は2019年総選挙の数値からの増減を示す。
(略称)BJP:インド人民党、JD(U):ジャナター・ダル(統一派)、NDA:国民民主連合、INC:インド国民会議派、RJD:民族ジャナター・ダル、INDIA:インド国民開発包摂連合
2.2 2024年インド総選挙ビハール州調査
筆者は2019年総選挙よりビハール州において、シンガポール国立大学のタベレーズ・ネヤジ博士と共同で選挙調査を行ってきた。本項においては、調査結果の概要について述べたい。
まず、調査方法であるが、選挙前調査と選挙後調査のパネル調査として行った。全40選挙区から26選挙区を選定し、各選挙区から3つの州議会選挙区を選び、さらに各州議会選挙区から3つの投票所をPPS法に基づいて選択した。その結果、選挙前調査は3602名、選挙後調査は2300名から回答を得ることができた。男女比、宗教、年齢構成、居住地(都市と農村)については、最新の2011年国勢調査に基づいてウェイトをかけた。その結果、実際の選挙結果とほぼ相違ないデータを得ることができた。
今回は、まず、重要な争点について検証した後、若年層の投票行動、経済投票、農村の投票行動、ヒンドゥー至上主義に絞って説明したい。
最重要争点
調査においては、最初に「今回の選挙において重要な争点を3つ挙げてください」と尋ねた後、その3つなかで「最も大事な争点は何ですか」と問うた。そのなかで最重要争点として最も多くの人が挙げたのが、雇用問題/失業問題であり36%であった。これに物価上昇(12.1%)、教育機会(11.6%)、貧困(10.1%)と続く。これは、比率はさておき、選挙調査で知られる発展途上社会研究センター(Centre for the Study of Developing Societies、CSDS)の全国調査結果が重要争点として挙げた結果ともほぼ符合している。
興味深いのは、雇用問題を最重要争点に挙げた回答者のうち、最も多くの支持を集めたのはBJPではなく、ビハール州の地域政党でINDIA連合の要である民族ジャナター・ダル(Rashtriya Janata Dal、以下RJD)だったことである(23.9%)。NDA全体では47.7%の支持を集めているが、INDIA連合全体でも42.3%の支持を集めており、野党連合が健闘した事がわかる。そのほかの争点では、与党連合NDAが野党連合を引き離しているので今回30議席を獲得することに成功したと思われるが、雇用/失業問題で野党連合が与党連合に肉迫したのは、野党連合の善戦の大きな要因の一つだと思われる。
若年層の投票行動
モディ政権を支えるのは若年層といわれることが多いため、年齢別の投票行動分析は重要になる。CSDSの調査では、今回も若年層はモディ政権を支持したとされているが、それでも2019年総選挙と比較して、18-25歳まででは1ポイント、26-35歳でも2ポイント落としている。筆者らのビハール州調査では興味深いことに、20代までの若年層が最も多く投票したのは、BJPではなく、RJDであった。さらに、最重要争点として雇用問題を挙げた者のうち、20代まででBJPに投票したのは12.5%に過ぎず、NDA全体でも37.2%であった。これに対して、ビハール州におけるINDIA連合の要であるRJDは27.4%の支持を獲得しており、INDIA連合全体でも52.8%の支持を獲得している。今回、BJP退潮の大きな要因として失業問題を十分に解決できなかったことが挙げられているが、ビハール州はこの点を先鋭な形で示していると指摘できる。
経済投票
与党連合の退潮について、佐藤は失業問題、インフレ、貧困の三重苦が大きな要因であると指摘した1。筆者のビハール州調査でもこれらが重要な争点として挙げられているため、経済状況の変化が投票行動に及ぼした影響について検証してみたい。
まず、過去1年間に世帯の経済状況の変化を尋ねてみた。全体的にみると「改善した」という回答の方が多い。改善36.5%、不変36.8%、悪化23.4%となった。「大変改善した」という回答者のなかでNDAに投票したのは56%、INDIAが30.4%となった。これは改善したので政権与党に投票したと解釈することが可能だろう。逆にINDIAが多くの支持を集めたのは、「少し悪化した」という層である。この層についてはRJDに一番多く票が投じられ、BJPが少なくなっている。INDIA合計でもNDA合計より多くなっている。ただ全般的には、経済状況自体はそれほど悪化しておらず、やはり与党のほうを支持しているという結果が出た。
結果を鵜呑みにする前に、投票直前の給付金、要するに、現金のバラマキというよく行われる選挙対策を検証する必要がある。この点も調べたが、投票前調査が終わった後の1ヶ月で25.8%の人が受け取っていることがわかった。受け取ったと回答した者のなかで与党連合NDAに投票したのが60%を超え、野党連合INDIAに投票したのが30%となりかなり大きな差が出ている。この点については、バラマキの恩恵を受けたからNDAに投票したのか、それともNDAの支持者だからバラマキの恩恵を受けたのかより詳細に調べる必要があるが、重要な論点である。
農村の投票行動
モディ政権2期目において農業自由化関連法をめぐって農民による大規模な抗議運動がおこったため、今回の選挙においては農村の投票行動が大きな注目を集めた2。与党連合NDAは全国的に農村部でより多く得票を減らしたが(-2.2ポイント)、ビハール州調査でも同様の傾向を指摘できる。与党連合NDAは、BJPにせよJD(U)にせよ、合わせて都市の方でより高い支持を得ている。ところが、野党連合INDIAになると、この状況は逆転する。特にRJDについては農村部の方でより多くの支持を得ている。ビハールは農村人口が90%近くに迫るので、結構大きな影響を持ったと考えられる。
最低価格保証を求める農民運動に関しては、NDA支持者は「とてもよい」と回答した者のうち6割近くを占めている。ただ、モディ政権は農民運動へかなり強権的に対処したが、これについて「とてもよい」と回答した者のうちNDA支持者は64%弱を占め、「とても悪い」と回答した者の比率約30%を大きく上回っている。野党連合INDASの方は、「とても悪い」と回答した者のなかで約55%がINDASを支持し、「とてもよい」と回答した約30%のほぼ倍になり、NDAとは傾向が逆転している。INDIA支持者の回答は理解できる一方で、NDA支持者については、農民運動は支持するものの、モディ政権の対応も支持すると一見矛盾する結果となった。これについては、農業関連三法を撤回したモディ政権の対応を評価した可能性もあり、今後さらに調査を行う必要がある。
ヒンドゥー至上主義
モディ政権の至上命題は、インドを「ヒンドゥー民族」から構成される「ヒンドゥー国家」に作り替えることであるため、この論点は極めて重要である。
まず、アヨーディヤ問題に関してであるが、モディ政権は総選挙直前の今年1月にラーム寺院の落成式を挙行した。これに関し、「アヨーディヤにラーム寺院を建立したのはモディ首相の偉大な功績だと思うか」と質問した。BJP支持者の86.5%は肯定し、NDA全体でも8割は超える。これに対し野党連合INDASの比率は低下するが、それでも6割を超える人が肯定している。さらに、「投票に際してラーム寺院建立の問題がどれほど重要か」と質問したところ、与党連合NDAはBJP支持者を筆頭に77%弱の人が重要だと回答した。これに対して、野党連合INDIAのほうは肯定した人が63%強となってNDA支持者よりは比率が落ちるが、6割は超えている。ただ、この「重要」というのは、積極的な評価と否定的な評価の両方を考えることができるため、解釈は慎重に行う必要がある。
次に、3期目の最重要課題となっている統一民法典制定との関連で、その前哨戦とも呼べるTriple Talaqに対する評価を聞いた。Triple Talaqとは、夫が妻に3回離婚すると言えば離婚が成立するというイスラーム慣習法であるが、これはすでにモディ政権2期目に廃止された。そこで、「政府によるTriple Talaqの廃止はムスリム女性の地位を向上させた」という命題に対する賛否を調べた。全般的な傾向として、与党連合NDA支持者の7割弱は向上させたと評価した一方で、野党連合INDIAの比率は低下し、55%強である。なかでも会議派の支持者には同意しない者が多く、同意した者は53%強であった。統一民法典を制定することになれば、かなり大きな反撥が起こることが予想される。
おわりに―モディ政権3期目の行方
これまでビハール州調査を中心に、総選挙結果を分析してきた。今後、モディ政権はどのように動いていくだろうか。
まず、政権が不安定化することは確実であろう。筆者はモディ首相の政治を「服従の政治」という枠組みで捉えてきた。含意は、モディ首相が命じ、従えば褒美を与え、従わなければ罰する政治である。この政治には議論がない。モディ首相が政治の表舞台に登場してから、選挙では常に圧勝を収め、同氏が率いるBJPは州議会でも国会でも常に過半数を維持してきた。過半数割れした今回は、モディ首相にとっては初めての経験である。連立政権の運営には連立パートナーとの粘り強い交渉と合意形成が必要になるが、果たしてモディ首相にそれが行えるか、疑問は尽きない。
連立パートナーと衝突する可能性が最も高いのは、ヒンドゥー至上主義の政策を実行に移す時である。BJPが長年三大政策課題としてあげてきたのは、(1)ジャムー・カシミール州の自治権剥奪(憲法370条の廃止)、(2)アヨーディヤにラーム寺院を建立する、(3)統一民法典の制定、であった。(1)と(2)については2期目に実行したため、残るは(3)となる。3つのなかで(3)がムスリムの生活に及ぼす影響が最も大きいため、2期目でも実行に移せなかった。そのため、3期目では(3)の実施が最優先課題となる。
今回の選挙でBJPが単独で過半数を占めていれば、(3)の実現も比較的容易であっただろう。しかし、現状は、政権維持には連立パートナーの協力と支持が欠かせない状況である。なかでも特に議席数が大きいのが、前述したテルグ・デーサム党とJD(U)である。JD(U)が基盤とするビハール州は、ムスリム人口が17%と全国平均約14%を上回り、テルグ・デーサム党が基盤とするアーンドラ・プラデーシュ州も10%弱と無視できない人口規模を抱える。両党とも、統一民法典の制定に易々と同意するとは考えにくい。
もし両党が反対し、統一民法典制定の見通しが立たなくなった場合にどうなるか。選択肢としては二つある。第一が、政権維持を優先して統一民法典制定などヒンドゥー至上主義的主張を棚上げにする。第二が、政権の崩壊を見越して、ヒンドゥー至上主義的政策を強行する、である。仮に第一の選択肢をとれば、親団体である民族義勇団が容認しないであろうし、何よりも生粋のヒンドゥー至上主義者であるモディ首相自身が承服できない可能性が高い。そうなれば第二の選択肢となるが、連立与党が支持を撤回する事態になれば、早期の解散総選挙となるであろう。そうなれば、選挙戦を勝ち抜くために、ヒンドゥー至上主義的主張が前面に押し出され、これまでも繰り返されてきたように宗教暴動が引き起こされ、さらにはテロ事件の報復として2019年総選挙の直前にパキスタンを空爆したように、パキスタンと戦火を交える事態も想定しうる。
モディ人気に陰りが見られる現在、モディ政権はあらゆる手段を使って「ヒンドゥー国家」の実現を図る事になるだろう。今後の展開を注意深く見ていく必要がある。
以 上
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 教授
中溝 和弥
1. 今回の総選挙の意義
今回の総選挙の意義は、インド民主主義の強靱性を示したことにある。モディ政権は、下院総議席543議席中、インド人民党(Bharatiya Janata Party、以下BJP)は370議席、BJP連合である国民民主連合(National Democratic Alliance、以下NDA)全体では400議席超を獲得目標として提示していた。インドのメディアによる出口調査結果もBJPの大勝を予想していたが、蓋を開けてみれば、BJPは240議席と過半数の272議席を大きく割り込み、NDA全体でも292議席にとどまった。連合全体で過半数は超えたため3期目を担うことには成功したが、議席獲得目標との落差を考えれば、敗北したといってもよい状況である。
これに対し、インド国民会議派(以下、会議派)を中心とするインド国民発展包括連合(Indian National Developmental Inclusive Alliance、以下INDIA)は、会議派が99議席と議席をほぼ倍増させ、連合全体でも234議席と健闘した。今回は前回2019年と違って、野党連合の結集に成功したことが大きな要因の一つである。とりわけインド最大の人口そして議席を誇る北部ウッタル・プラデーシュ州において、同州で強い基盤を持つ社会主義者党(Samajwadi Party)と連立を組むことに成功した事は大きかった。表1が示すように、得票率も全体で14.7ポイント上昇した(表1参照)。
(出典)2024年総選挙のデータは、 ‘Lok Sabha results and voting trends’, The Hindu,
https://www.thehindu.com/infographics/2024-04-24/lok-sabha-election-results/index.html
(last access June 23, 2024)、2019年総選挙のデータは、CSDS-Lokniti, All India Lok Sabha Result 2019より筆者作成。
(注)括弧内の数値は2019年総選挙の数値からの増減を示す。
(略称)BJP:インド人民党、NDA:国民民主連合、INC:インド国民会議派、INDIA:インド国民開発包摂連合
モディ政権は2期10年にわたって、インドの権威主義化を強力に進めてきた。筆者は「権威主義革命」と名付けたが、今回の選挙結果は、この「権威主義革命」に一撃を喰らわした意義がある。近年、インドに限らず、世界中で民主主義の後退現象が指摘されており、例えば、スティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットは、『民主主義の死に方』(濱野大道訳、新潮社、2018年、原著は、Steven Levitsky and Daniel Ziblatt, How Democracies Die, New York: Crown, 2018)において、民主主義体制が権威主義化する過程を示した。モディ政権下のインドは彼らの定式をそのままに辿る変化を示しており、このままインド民主主義も死んでいくのかと思われたが、今回の選挙により、インドの民主主義は死んでいなかった、まだ生きていた、ということを世界に示すことができた。これはインドにとって重要であることはもちろん、世界にとっても民主主義の可能性を切り開く意義を持つ。
2.ビハール州における2024年総選挙
2.1 2024年総選挙の結果
本報告においては、筆者が長年調査を行ってきたビハール州の選挙結果について分析したい。ビハール州は先述のウッタル・プラデーシュ州の東隣に位置する州であり、人口規模の大きさから全国政治において大きな影響力を行使してきた。2000年に南部がジャールカンド州として分離する前は、ウッタル・プラデーシュ州に次ぐインド第二位の人口を誇り、分離後も第三位である。現在の推定人口は1億3000万人であり、日本を上回る。人口規模と並んで貧困でも知られ、インド最貧州の一つである。
今回の選挙結果は、表2に示したとおりである。前回2019年総選挙では40議席中39議席をNDAが獲得し、モディ政権の再選を支えた。今回も40議席中30議席とNDAが勝利したものの、9議席を落としており、これはNDAが今回失った議席の15%を占める。これまでと同様に全国政治に大きな影響力を与えた選挙結果となった。さらにBJPが過半数割れしたことにより、与党連合NDAのなかで連立パートナーの重要性が増し、その要となったのが、ビハール州の地域政党であるジャナター・ダル(統一派)(Janata Dal(United)、以下JD(U))である。今回12議席を獲得したことにより、16議席を獲得したアーンドラ・プラデーシュ州の地域政党テルグ・デーサム党に次いで今後の政権運営で大きな影響力をもつことが予想される。
(出典)2024年総選挙のデータは、 ‘Lok Sabha results and voting trends’, The Hindu,
https://www.thehindu.com/infographics/2024-04-24/lok-sabha-election-results/index.html
(last access June 23, 2024)、2019年総選挙のデータは、CSDS-Lokniti, All India Lok Sabha Result 2019より筆者作成。
(注)括弧内の数値は2019年総選挙の数値からの増減を示す。
(略称)BJP:インド人民党、JD(U):ジャナター・ダル(統一派)、NDA:国民民主連合、INC:インド国民会議派、RJD:民族ジャナター・ダル、INDIA:インド国民開発包摂連合
2.2 2024年インド総選挙ビハール州調査
筆者は2019年総選挙よりビハール州において、シンガポール国立大学のタベレーズ・ネヤジ博士と共同で選挙調査を行ってきた。本項においては、調査結果の概要について述べたい。
まず、調査方法であるが、選挙前調査と選挙後調査のパネル調査として行った。全40選挙区から26選挙区を選定し、各選挙区から3つの州議会選挙区を選び、さらに各州議会選挙区から3つの投票所をPPS法に基づいて選択した。その結果、選挙前調査は3602名、選挙後調査は2300名から回答を得ることができた。男女比、宗教、年齢構成、居住地(都市と農村)については、最新の2011年国勢調査に基づいてウェイトをかけた。その結果、実際の選挙結果とほぼ相違ないデータを得ることができた。
今回は、まず、重要な争点について検証した後、若年層の投票行動、経済投票、農村の投票行動、ヒンドゥー至上主義に絞って説明したい。
最重要争点
調査においては、最初に「今回の選挙において重要な争点を3つ挙げてください」と尋ねた後、その3つなかで「最も大事な争点は何ですか」と問うた。そのなかで最重要争点として最も多くの人が挙げたのが、雇用問題/失業問題であり36%であった。これに物価上昇(12.1%)、教育機会(11.6%)、貧困(10.1%)と続く。これは、比率はさておき、選挙調査で知られる発展途上社会研究センター(Centre for the Study of Developing Societies、CSDS)の全国調査結果が重要争点として挙げた結果ともほぼ符合している。
興味深いのは、雇用問題を最重要争点に挙げた回答者のうち、最も多くの支持を集めたのはBJPではなく、ビハール州の地域政党でINDIA連合の要である民族ジャナター・ダル(Rashtriya Janata Dal、以下RJD)だったことである(23.9%)。NDA全体では47.7%の支持を集めているが、INDIA連合全体でも42.3%の支持を集めており、野党連合が健闘した事がわかる。そのほかの争点では、与党連合NDAが野党連合を引き離しているので今回30議席を獲得することに成功したと思われるが、雇用/失業問題で野党連合が与党連合に肉迫したのは、野党連合の善戦の大きな要因の一つだと思われる。
若年層の投票行動
モディ政権を支えるのは若年層といわれることが多いため、年齢別の投票行動分析は重要になる。CSDSの調査では、今回も若年層はモディ政権を支持したとされているが、それでも2019年総選挙と比較して、18-25歳まででは1ポイント、26-35歳でも2ポイント落としている。筆者らのビハール州調査では興味深いことに、20代までの若年層が最も多く投票したのは、BJPではなく、RJDであった。さらに、最重要争点として雇用問題を挙げた者のうち、20代まででBJPに投票したのは12.5%に過ぎず、NDA全体でも37.2%であった。これに対して、ビハール州におけるINDIA連合の要であるRJDは27.4%の支持を獲得しており、INDIA連合全体でも52.8%の支持を獲得している。今回、BJP退潮の大きな要因として失業問題を十分に解決できなかったことが挙げられているが、ビハール州はこの点を先鋭な形で示していると指摘できる。
経済投票
与党連合の退潮について、佐藤は失業問題、インフレ、貧困の三重苦が大きな要因であると指摘した1。筆者のビハール州調査でもこれらが重要な争点として挙げられているため、経済状況の変化が投票行動に及ぼした影響について検証してみたい。
まず、過去1年間に世帯の経済状況の変化を尋ねてみた。全体的にみると「改善した」という回答の方が多い。改善36.5%、不変36.8%、悪化23.4%となった。「大変改善した」という回答者のなかでNDAに投票したのは56%、INDIAが30.4%となった。これは改善したので政権与党に投票したと解釈することが可能だろう。逆にINDIAが多くの支持を集めたのは、「少し悪化した」という層である。この層についてはRJDに一番多く票が投じられ、BJPが少なくなっている。INDIA合計でもNDA合計より多くなっている。ただ全般的には、経済状況自体はそれほど悪化しておらず、やはり与党のほうを支持しているという結果が出た。
結果を鵜呑みにする前に、投票直前の給付金、要するに、現金のバラマキというよく行われる選挙対策を検証する必要がある。この点も調べたが、投票前調査が終わった後の1ヶ月で25.8%の人が受け取っていることがわかった。受け取ったと回答した者のなかで与党連合NDAに投票したのが60%を超え、野党連合INDIAに投票したのが30%となりかなり大きな差が出ている。この点については、バラマキの恩恵を受けたからNDAに投票したのか、それともNDAの支持者だからバラマキの恩恵を受けたのかより詳細に調べる必要があるが、重要な論点である。
農村の投票行動
モディ政権2期目において農業自由化関連法をめぐって農民による大規模な抗議運動がおこったため、今回の選挙においては農村の投票行動が大きな注目を集めた2。与党連合NDAは全国的に農村部でより多く得票を減らしたが(-2.2ポイント)、ビハール州調査でも同様の傾向を指摘できる。与党連合NDAは、BJPにせよJD(U)にせよ、合わせて都市の方でより高い支持を得ている。ところが、野党連合INDIAになると、この状況は逆転する。特にRJDについては農村部の方でより多くの支持を得ている。ビハールは農村人口が90%近くに迫るので、結構大きな影響を持ったと考えられる。
最低価格保証を求める農民運動に関しては、NDA支持者は「とてもよい」と回答した者のうち6割近くを占めている。ただ、モディ政権は農民運動へかなり強権的に対処したが、これについて「とてもよい」と回答した者のうちNDA支持者は64%弱を占め、「とても悪い」と回答した者の比率約30%を大きく上回っている。野党連合INDASの方は、「とても悪い」と回答した者のなかで約55%がINDASを支持し、「とてもよい」と回答した約30%のほぼ倍になり、NDAとは傾向が逆転している。INDIA支持者の回答は理解できる一方で、NDA支持者については、農民運動は支持するものの、モディ政権の対応も支持すると一見矛盾する結果となった。これについては、農業関連三法を撤回したモディ政権の対応を評価した可能性もあり、今後さらに調査を行う必要がある。
ヒンドゥー至上主義
モディ政権の至上命題は、インドを「ヒンドゥー民族」から構成される「ヒンドゥー国家」に作り替えることであるため、この論点は極めて重要である。
まず、アヨーディヤ問題に関してであるが、モディ政権は総選挙直前の今年1月にラーム寺院の落成式を挙行した。これに関し、「アヨーディヤにラーム寺院を建立したのはモディ首相の偉大な功績だと思うか」と質問した。BJP支持者の86.5%は肯定し、NDA全体でも8割は超える。これに対し野党連合INDASの比率は低下するが、それでも6割を超える人が肯定している。さらに、「投票に際してラーム寺院建立の問題がどれほど重要か」と質問したところ、与党連合NDAはBJP支持者を筆頭に77%弱の人が重要だと回答した。これに対して、野党連合INDIAのほうは肯定した人が63%強となってNDA支持者よりは比率が落ちるが、6割は超えている。ただ、この「重要」というのは、積極的な評価と否定的な評価の両方を考えることができるため、解釈は慎重に行う必要がある。
次に、3期目の最重要課題となっている統一民法典制定との関連で、その前哨戦とも呼べるTriple Talaqに対する評価を聞いた。Triple Talaqとは、夫が妻に3回離婚すると言えば離婚が成立するというイスラーム慣習法であるが、これはすでにモディ政権2期目に廃止された。そこで、「政府によるTriple Talaqの廃止はムスリム女性の地位を向上させた」という命題に対する賛否を調べた。全般的な傾向として、与党連合NDA支持者の7割弱は向上させたと評価した一方で、野党連合INDIAの比率は低下し、55%強である。なかでも会議派の支持者には同意しない者が多く、同意した者は53%強であった。統一民法典を制定することになれば、かなり大きな反撥が起こることが予想される。
おわりに―モディ政権3期目の行方
これまでビハール州調査を中心に、総選挙結果を分析してきた。今後、モディ政権はどのように動いていくだろうか。
まず、政権が不安定化することは確実であろう。筆者はモディ首相の政治を「服従の政治」という枠組みで捉えてきた。含意は、モディ首相が命じ、従えば褒美を与え、従わなければ罰する政治である。この政治には議論がない。モディ首相が政治の表舞台に登場してから、選挙では常に圧勝を収め、同氏が率いるBJPは州議会でも国会でも常に過半数を維持してきた。過半数割れした今回は、モディ首相にとっては初めての経験である。連立政権の運営には連立パートナーとの粘り強い交渉と合意形成が必要になるが、果たしてモディ首相にそれが行えるか、疑問は尽きない。
連立パートナーと衝突する可能性が最も高いのは、ヒンドゥー至上主義の政策を実行に移す時である。BJPが長年三大政策課題としてあげてきたのは、(1)ジャムー・カシミール州の自治権剥奪(憲法370条の廃止)、(2)アヨーディヤにラーム寺院を建立する、(3)統一民法典の制定、であった。(1)と(2)については2期目に実行したため、残るは(3)となる。3つのなかで(3)がムスリムの生活に及ぼす影響が最も大きいため、2期目でも実行に移せなかった。そのため、3期目では(3)の実施が最優先課題となる。
今回の選挙でBJPが単独で過半数を占めていれば、(3)の実現も比較的容易であっただろう。しかし、現状は、政権維持には連立パートナーの協力と支持が欠かせない状況である。なかでも特に議席数が大きいのが、前述したテルグ・デーサム党とJD(U)である。JD(U)が基盤とするビハール州は、ムスリム人口が17%と全国平均約14%を上回り、テルグ・デーサム党が基盤とするアーンドラ・プラデーシュ州も10%弱と無視できない人口規模を抱える。両党とも、統一民法典の制定に易々と同意するとは考えにくい。
もし両党が反対し、統一民法典制定の見通しが立たなくなった場合にどうなるか。選択肢としては二つある。第一が、政権維持を優先して統一民法典制定などヒンドゥー至上主義的主張を棚上げにする。第二が、政権の崩壊を見越して、ヒンドゥー至上主義的政策を強行する、である。仮に第一の選択肢をとれば、親団体である民族義勇団が容認しないであろうし、何よりも生粋のヒンドゥー至上主義者であるモディ首相自身が承服できない可能性が高い。そうなれば第二の選択肢となるが、連立与党が支持を撤回する事態になれば、早期の解散総選挙となるであろう。そうなれば、選挙戦を勝ち抜くために、ヒンドゥー至上主義的主張が前面に押し出され、これまでも繰り返されてきたように宗教暴動が引き起こされ、さらにはテロ事件の報復として2019年総選挙の直前にパキスタンを空爆したように、パキスタンと戦火を交える事態も想定しうる。
モディ人気に陰りが見られる現在、モディ政権はあらゆる手段を使って「ヒンドゥー国家」の実現を図る事になるだろう。今後の展開を注意深く見ていく必要がある。
以 上
- 1 佐藤隆広「総選挙後のインド㊦ 経済改革路線への復帰、必須」『日本経済新聞』2024年6月19日朝刊
- 2 中溝和弥「総選挙後のインド㊤ 権威主義化に一定の歯止め」『日本経済新聞』2024年6月18日朝刊
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