インド研究会/
識者の発表に基づく概要とりまとめ(2)
インド:グローバル・サウスの超大国
識者の発表に基づく概要とりまとめ(2)
インド:グローバル・サウスの超大国
2024年12月5日
国際基督教大学 上級准教授
近藤 正規
成長を続けるインド経済
経済成長を続けるインドが注目されている。2014年にモディ政権が発足した時はGDPランク世界10位だったインドは、いまや英国やフランスを抜いて世界第5の経済大国となっていて、来年には日本を抜く見通しである。
インド経済の強みの一つに、民主主義の制度の下で優秀な官僚やテクノクラートによる経済運営が行われていて、政変による大きな経済政策の変更や、独裁者の恣意的な政策による搾取が相対的に起きにくいことがある。中央銀行の金融政策も他国と比べて透明性がある。経済の対外依存度も低く、国際経済情勢の影響も比較的受けにくいため、1998年のインドネシアやタイ、韓国、2023年のスリランカ、2024年のバングラデシュのような事態になりにくい。2008年のリーマンショック後にインド経済が注目されたのもこうした背景による。
インド経済のもう一つの強みは若い人口構成である。現在インドは「人口ボーナス期」に入っており、高度経済成長の東アジア諸国と同じようなチャンスが到来していると言える。インドでは若い起業家も増えており、ユニコーンの数は米国と中国に続く。フォーブス誌による億万長者の人数の国別ランクにおいてもインドは世界3位となっている。
インドの強みの一つはその多様性である。インドはビジネスや商業を担っているのは西部、IT産業を始めとする理数系の頭脳は南部、政治や国防は北部、芸術は西ベンガル州を始めとする東部から多くの人材が輩出されている。これは欧州でモノづくりはドイツやオランダ、金融は英国やアイルランドといった比較優位を持つ国々が存在するのと似ている。
インド経済の最大の課題は製造業育成の遅れである。グローバリゼーションの進む中で、インドは東アジア諸国と違って製造業輸出を梃にした急激な経済成長を遂げることができていない。製造業は雇用の創出という点でも大きな意義を持っている。「人口ボーナス期」に高度成長を遂げるためには若い労働人口の雇用が必要であるが、GDPに占める製造業の比率はほとんど変化していない。
インドの一人当たりGDPはまだ2400ドルで、中国のおよそ5分の1、ベトナム、フィリピン、インドネシアの半分前後の水準にすぎない。「先進国」の世界銀行による一人当たり所得の最低ライン(為替レート換算の名目値)は、現在のインドの水準の約5倍である。インドの一人当たりGDPの名目値は過去20年間で約5倍となっているので、2047年までにインドが先進国入りをするためには、過去20年間と同じレベルの経済成長を今後20年間に渡って続けていく必要がある。
モディ政権の評価
2014年に成立したモディ政権は、24年から3期目を迎えている。モディ首相は就任以来、経済開発を目標としてインフラ整備など投資環境の改善や汚職の撲滅を進めてきた。この政策は一定の成果を上げていると言ってよい。
モディ首相は就任以来、規律を正して汚職撲滅をすることを目指している。投資環境改善においても、企業の破産を容易にするなどの規制緩和が行われており、世界銀行の国別投資環境ランキングにおいてもインドは急上昇した。
モディ首相が掲げている「自立するインド」は、国内企業だけでなく海外資本も梃にして産業を育成しようという点で、1991年までの輸入代替工業化政策とは異なっている。海外直接投資が多い産業としては自動車産業、スマホ組立、IT産業などが挙げられ、とりわけ米国のビッグテックによる大型投資、アップルの生産を請負う鴻海、日本のスズキや日本製鉄などによる工場建設投資などが目を引く。これに加えて最近では、半導体産業や、防衛・宇宙産業における投資も増えつつある。
モディ政権の経済政策に対する批判としては、マクロ政策のビジョンの不足が挙げられている。インフラ整備などで個別のターゲットは多いが、例えばアベノミクスのような大きなマクロビジョンに欠けると言わざるを得ない。
個別の経済自由化政策においても、労働法の改正や破産法の制定は行ったが、労働法については地方レベルでの施行が遅れており、農業法も断念に追い込まれ、土地改革も手付かずである。民主主義のインドならではの経済運営の難しさが垣間見える。
モディ首相自身の決断で断行した政策の中で失敗だったのは、2016年11月の高額紙幣廃止措置と2020年3月の唐突なロックダウンの導入である。汚職撲滅を目的とした前者の措置がその目的を達成することができなかったばかりか、大きな社会の混乱とその後の経済成長に対する大きなブレーキとなった。またコロナ渦の唐突なロックダウンは不必要であったという声も多い。その後もインドでは若年層の失業が深刻で、ウクライナ戦争など国際情勢の影響を受けてインフレ問題も深刻化した。それにもかかわらず、インド国民の間のモディ首相に対する支持率は一貫して高いのは、モディ首相のクリーンなイメージによるところが大きいが、今後に向けて雇用問題の解決が急務であることには変わりない。
モディ首相に対する最大の批判は、政治における民主主義の劣化である。行き過ぎた中央集権化や反政府勢力に対する強力な取り締まりに対する批判は少なくなく、インドは世界の国々の民主主義ランキングにおいて殆どの項目で下落している。とりわけ2期目の後半からヒンドゥー至上主義に基づくナショナリズム高揚政策が目立つ。これを「経済運営で成果が上がっていないことへの庶民の不満のガス抜き」と見る向きもある。
2024年5月の総選挙でモディ首相率いるインド人民党(BJP)は勝利したものの、単独過半数の議席は得ることができなかった。このことは、インド国民がヒンドゥー至上主義よりも失業やインフレなどの国内の経済問題を優先した結果と考えられる。連立政権の先行きを懸念する声もある一方で、モディ政権がますますナショナリズムと独裁色を強めていくことに対するブレーキとなるという点で好意的に見る立場も少なくない。
賛否両論のあるモディ政権を評価する上で、評価する側の立場の価値観に依るところがかなり大きい。欧米のメディアやNGOにおけるモディ首相の評価には否定的なものが多い一方で、ビジネス界においてモディ首相の評価は極めて高い。
「もしモディ首相でなかったら誰が首相をしていたか」という機会費用の観点からもモディ評価を行うべきであろう。最大野党の国民会議派のリーダーであるラフル・ガンディーの政治的手腕に関する評判は芳しくなく、インド人民党(BJP)の内部でもモディ首相の有力なライバルが見当たりにくい。筆者の周りのインド人の有識者の間でも「他よりはいいからモディ首相のBJPに投票する」と答える人が少なくない。
「グローバル・サウス」外交
昨今の国際情勢の変化を背景に、インドの国際政治における重要性が高まっている。モディ政権はインド外交を「戦略的自律性」と呼んでおり、それはいずれの陣営にも加担することなく中立外交を進める点では初代首相ネルーの「非同盟中立外交」と変わらないが、(パキスタンを除く)全ての国々と全方位外交を行うことを目指すという点で異なっている。
ロシアのウクライナ侵攻に関してインドが中立的な立場にあることに対し、日本では理解に苦しむという声も多いが、インドに対する理解の不足の表れとも考えられる。独立後のインドと最も長い信頼関係を築いてきたロシアは、1971年のバングラデシュ独立戦争でもインドを助け、1998年のインドの核実験も黙認した。インドの武器の7割はロシア製であり、ロシアの協力を得て開発したインド製の戦闘機ブラモスはフィリピンなどの第三国に輸出されるに至っている。インドに対して原子力発電所を建設している国もロシアだけである。ロシアのウクライナ侵攻後、インドはロシアから原油の輸入を拡大することで国内のインフレに対して歯止めをかけることができた。ロシアは中印関係に関して中立的な立場を一貫してとっており、こうした観点からもインドが米国陣営に加わるとは考えられない。
一方、米国のインドとの関係は出遅れ感が否めない。米国は1998年の核実験後インドに経済制裁を加え、カシミール問題や市民権改正法などに関する人権問題でも度々インドを批判してきた。2021年の米軍のアフガニスタン撤退に際しても事前の連絡はなかった。
しかし近年では中国の台頭とともにインドの重要性が高まり、2023年6月のモディ訪米をきっかけに、米国はウクライナ問題に対してもインドの姿勢を黙認する方向へ舵を切った。フランスも戦闘機ラファール36機の売却などを通して、対印関係を強化している。
インドの全方位外交において最も難しい問題となっているのが、中国との関係である。2020年6月の中印国境衝突以来、インドと中国の外交関係は一気に冷え込んだ。インドは中国からの輸入や投資を規制してスマホアプリにも規制を加えたが、中国からの輸入はむしろ増加傾向にある。2023年には中国との貿易総額は米国との貿易総額を抜いて第1位となったことからも明らかなように、中国への経済依存から脱却するのは当面難しそうである。
国境における軍の対峙にかかる費用も嵩み、インドとしては中国との関係をできるだけ早く改善したいところであるが、インド側の条件である「2020年4月の状態に国境を戻す」ことを中国が受け入れるとは思えない。それだけでなく、スリランカ、モルジブ、ネパール、バングラデシュといったインドの周辺国で親中派の政権が軒並み誕生したことも懸念材料となっている。
現在のインド外交の大きな柱の一つは「グローバル・サウス」外交である。2023年のG20議長国となったインドは、急ごしらえではあるものの「グローバル・サウス」のリーダーと称し、外交的存在感を示すことに成功した。G20サミット本会議でも、ウクライナ問題で諸外国が対立する中で共同宣言の採択にこぎつけた。会議では、アフリカ連合(AU)がG20の常任メンバーになることも決定された。
脚光を浴びているインドの外交であるが、「グローバル・サウス」の国々がインドをどこまで「リーダー」として見ているかどうかは実際には疑問である。多くの国々にとっては、「一帯一路」政策の下でインフラ投資を行う中国の方が魅力的であるし、加えてイスラム教の国々にとってヒンドゥー至上主義のモディ政権は支持しにくい。ガザにおける紛争もイスラエル寄りのインドの立ち位置を難しいものとした。
「グローバル・サウス」の国々はこれからも自らの国益に応じて中印の両方から利益を得るべく振舞っていくであろう。貿易や投資では中国に接近する一方で、温暖化対策や国際機関のガバナンス改善についてはインドのアプローチに期待するといった具合である。西側諸国ではインドの「グローバル・サウス」外交を好ましくないと考える向きもあるが、多くの途上国はそれでなくても中国との関係を重視していて、ウクライナ問題でも米国に批判的な国が少なくない。「グローバル・サウス」外交を推進するインドを「途上国が反米化することに対するブレーキ役」として見るようにしたい。
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良好な日印関係
日本とインドは極めて良好な関係にある。2022年時点の在印日系企業の数は1400社(4970拠点)、在留邦人数は8145人に及ぶ。コロナ渦を経て一時的に頭打ちになったとはいえ、2022年度のジェトロのアンケート調査では、在印日系企業の72.5%が今後1~2年で事業展開を拡大すると回答しており、インドのこの数字は前年度に続いて世界トップである。
インドの乗用車の市場シェアの4割を押さえているスズキは、2024年1月には今後インドで6千億円以上を投じて新工場の建設を進める計画が報道された。スズキ以外にも、ホンダ、ダイキン、関西ペイント、ユニチャームなど日系企業の成功例がある。
しかし、インドに進出する日系企業の中には競争の激化等の要因から収益が悪化している日系企業も少なくない。かつてはインドでビジネスがうまくいかない場合、「インドの投資環境のため」とされ、「インドがもう少し豊かになるまで待てばよい」として片付けられがちであったが、最近では「成功しているサムスン、LG、現代自動車などの韓国勢に学べ」という声も大きくなっている。
対印直接投資と比べて日印貿易は伸び悩み気味である。2011年に日印経済連携協定(EPA)が発効してから10年以上経過したが、日本からインドへの輸出が増加したものの、インドから日本への輸出は一向に増えていない。インドにおける世界全体の輸出入に占める日本のシェアは過去10年間を通してそれぞれ1.5~2.2%と2.4~2.8%、日本から見た世界全体の輸出入に占めるインドのシェアは1.2~1.4%と0.75~0.82%の間にとどまっている。インドが強みとするサービス輸出も伸びていない。インドのIT輸出に占める日本のシェアを見ると、この30年間で約4%から2%以下へとむしろ低下してしまった。
それ以上に伸び悩んでいるのは人的交流であろう。日印間の人的交流は日中と比べて、訪日客数、留学生数、日本語学習者数、地方自治体間交流などの様々な側面で、20分の1から70分の1程度にすぎない。2021年5月1日時点のインドからの在日留学生は1457名と全体の0.6%にすぎず、国別順位で14位である。全世界に向けたインド人留学生数は毎年18万人にも及び、米国ではインド人留学生の数がトップとなっているのと対照的である。
民間直接投資と並ぶ日印経済関係の柱は、政府開発援助(ODA)である。1958年2月に日本の円借款の最初の供与先となったインドは、2022年11月までに累計総額で6兆9783億円の円借款を日本から受け取っていて国別最多である。近年ではデリーを始めとする大都市のメトロ、デリー・ムンバイ貨物専用線、ムンバイ・アーメダバード新幹線といった大型案件が目白押しである。
国際情勢の変化とともに、近年の日印関係は「戦略的」な意味合いが極めて強くなっている。日印関係の構築においてとりわけ功績が大きい安倍元首相は、モディ首相と合計15回の首脳会談を行って今日の日印関係の礎を築いた。安倍元首相の提唱した日米豪印による「クアッド」の枠組みはすっかり定着し、自由と民主主義、法の支配といった共通の価値観を持つ4ヵ国がインド太平洋地域での協力を確認する場となった。日印二国間の外務・防衛の定期協議(2プラス2)も定期的に行われている。
2022年ロシアのウクライナ侵攻ではロシアに対する日印の意見の相違がみられたが、2023年6月のモディ訪米で米国がウクライナ問題でのインド批判を止める方針に舵を切った影響もあり、大きな問題とはならなかった。
「グローバル・サウス」の超大国インドと日本の関係が今後さらに深化していくことは疑いの余地がない。
以 上
国際基督教大学 上級准教授
近藤 正規
成長を続けるインド経済
経済成長を続けるインドが注目されている。2014年にモディ政権が発足した時はGDPランク世界10位だったインドは、いまや英国やフランスを抜いて世界第5の経済大国となっていて、来年には日本を抜く見通しである。
インド経済の強みの一つに、民主主義の制度の下で優秀な官僚やテクノクラートによる経済運営が行われていて、政変による大きな経済政策の変更や、独裁者の恣意的な政策による搾取が相対的に起きにくいことがある。中央銀行の金融政策も他国と比べて透明性がある。経済の対外依存度も低く、国際経済情勢の影響も比較的受けにくいため、1998年のインドネシアやタイ、韓国、2023年のスリランカ、2024年のバングラデシュのような事態になりにくい。2008年のリーマンショック後にインド経済が注目されたのもこうした背景による。
インド経済のもう一つの強みは若い人口構成である。現在インドは「人口ボーナス期」に入っており、高度経済成長の東アジア諸国と同じようなチャンスが到来していると言える。インドでは若い起業家も増えており、ユニコーンの数は米国と中国に続く。フォーブス誌による億万長者の人数の国別ランクにおいてもインドは世界3位となっている。
インドの強みの一つはその多様性である。インドはビジネスや商業を担っているのは西部、IT産業を始めとする理数系の頭脳は南部、政治や国防は北部、芸術は西ベンガル州を始めとする東部から多くの人材が輩出されている。これは欧州でモノづくりはドイツやオランダ、金融は英国やアイルランドといった比較優位を持つ国々が存在するのと似ている。
インド経済の最大の課題は製造業育成の遅れである。グローバリゼーションの進む中で、インドは東アジア諸国と違って製造業輸出を梃にした急激な経済成長を遂げることができていない。製造業は雇用の創出という点でも大きな意義を持っている。「人口ボーナス期」に高度成長を遂げるためには若い労働人口の雇用が必要であるが、GDPに占める製造業の比率はほとんど変化していない。
インドの一人当たりGDPはまだ2400ドルで、中国のおよそ5分の1、ベトナム、フィリピン、インドネシアの半分前後の水準にすぎない。「先進国」の世界銀行による一人当たり所得の最低ライン(為替レート換算の名目値)は、現在のインドの水準の約5倍である。インドの一人当たりGDPの名目値は過去20年間で約5倍となっているので、2047年までにインドが先進国入りをするためには、過去20年間と同じレベルの経済成長を今後20年間に渡って続けていく必要がある。
モディ政権の評価
2014年に成立したモディ政権は、24年から3期目を迎えている。モディ首相は就任以来、経済開発を目標としてインフラ整備など投資環境の改善や汚職の撲滅を進めてきた。この政策は一定の成果を上げていると言ってよい。
モディ首相は就任以来、規律を正して汚職撲滅をすることを目指している。投資環境改善においても、企業の破産を容易にするなどの規制緩和が行われており、世界銀行の国別投資環境ランキングにおいてもインドは急上昇した。
モディ首相が掲げている「自立するインド」は、国内企業だけでなく海外資本も梃にして産業を育成しようという点で、1991年までの輸入代替工業化政策とは異なっている。海外直接投資が多い産業としては自動車産業、スマホ組立、IT産業などが挙げられ、とりわけ米国のビッグテックによる大型投資、アップルの生産を請負う鴻海、日本のスズキや日本製鉄などによる工場建設投資などが目を引く。これに加えて最近では、半導体産業や、防衛・宇宙産業における投資も増えつつある。
モディ政権の経済政策に対する批判としては、マクロ政策のビジョンの不足が挙げられている。インフラ整備などで個別のターゲットは多いが、例えばアベノミクスのような大きなマクロビジョンに欠けると言わざるを得ない。
個別の経済自由化政策においても、労働法の改正や破産法の制定は行ったが、労働法については地方レベルでの施行が遅れており、農業法も断念に追い込まれ、土地改革も手付かずである。民主主義のインドならではの経済運営の難しさが垣間見える。
モディ首相自身の決断で断行した政策の中で失敗だったのは、2016年11月の高額紙幣廃止措置と2020年3月の唐突なロックダウンの導入である。汚職撲滅を目的とした前者の措置がその目的を達成することができなかったばかりか、大きな社会の混乱とその後の経済成長に対する大きなブレーキとなった。またコロナ渦の唐突なロックダウンは不必要であったという声も多い。その後もインドでは若年層の失業が深刻で、ウクライナ戦争など国際情勢の影響を受けてインフレ問題も深刻化した。それにもかかわらず、インド国民の間のモディ首相に対する支持率は一貫して高いのは、モディ首相のクリーンなイメージによるところが大きいが、今後に向けて雇用問題の解決が急務であることには変わりない。
モディ首相に対する最大の批判は、政治における民主主義の劣化である。行き過ぎた中央集権化や反政府勢力に対する強力な取り締まりに対する批判は少なくなく、インドは世界の国々の民主主義ランキングにおいて殆どの項目で下落している。とりわけ2期目の後半からヒンドゥー至上主義に基づくナショナリズム高揚政策が目立つ。これを「経済運営で成果が上がっていないことへの庶民の不満のガス抜き」と見る向きもある。
2024年5月の総選挙でモディ首相率いるインド人民党(BJP)は勝利したものの、単独過半数の議席は得ることができなかった。このことは、インド国民がヒンドゥー至上主義よりも失業やインフレなどの国内の経済問題を優先した結果と考えられる。連立政権の先行きを懸念する声もある一方で、モディ政権がますますナショナリズムと独裁色を強めていくことに対するブレーキとなるという点で好意的に見る立場も少なくない。
賛否両論のあるモディ政権を評価する上で、評価する側の立場の価値観に依るところがかなり大きい。欧米のメディアやNGOにおけるモディ首相の評価には否定的なものが多い一方で、ビジネス界においてモディ首相の評価は極めて高い。
「もしモディ首相でなかったら誰が首相をしていたか」という機会費用の観点からもモディ評価を行うべきであろう。最大野党の国民会議派のリーダーであるラフル・ガンディーの政治的手腕に関する評判は芳しくなく、インド人民党(BJP)の内部でもモディ首相の有力なライバルが見当たりにくい。筆者の周りのインド人の有識者の間でも「他よりはいいからモディ首相のBJPに投票する」と答える人が少なくない。
「グローバル・サウス」外交
昨今の国際情勢の変化を背景に、インドの国際政治における重要性が高まっている。モディ政権はインド外交を「戦略的自律性」と呼んでおり、それはいずれの陣営にも加担することなく中立外交を進める点では初代首相ネルーの「非同盟中立外交」と変わらないが、(パキスタンを除く)全ての国々と全方位外交を行うことを目指すという点で異なっている。
ロシアのウクライナ侵攻に関してインドが中立的な立場にあることに対し、日本では理解に苦しむという声も多いが、インドに対する理解の不足の表れとも考えられる。独立後のインドと最も長い信頼関係を築いてきたロシアは、1971年のバングラデシュ独立戦争でもインドを助け、1998年のインドの核実験も黙認した。インドの武器の7割はロシア製であり、ロシアの協力を得て開発したインド製の戦闘機ブラモスはフィリピンなどの第三国に輸出されるに至っている。インドに対して原子力発電所を建設している国もロシアだけである。ロシアのウクライナ侵攻後、インドはロシアから原油の輸入を拡大することで国内のインフレに対して歯止めをかけることができた。ロシアは中印関係に関して中立的な立場を一貫してとっており、こうした観点からもインドが米国陣営に加わるとは考えられない。
一方、米国のインドとの関係は出遅れ感が否めない。米国は1998年の核実験後インドに経済制裁を加え、カシミール問題や市民権改正法などに関する人権問題でも度々インドを批判してきた。2021年の米軍のアフガニスタン撤退に際しても事前の連絡はなかった。
しかし近年では中国の台頭とともにインドの重要性が高まり、2023年6月のモディ訪米をきっかけに、米国はウクライナ問題に対してもインドの姿勢を黙認する方向へ舵を切った。フランスも戦闘機ラファール36機の売却などを通して、対印関係を強化している。
インドの全方位外交において最も難しい問題となっているのが、中国との関係である。2020年6月の中印国境衝突以来、インドと中国の外交関係は一気に冷え込んだ。インドは中国からの輸入や投資を規制してスマホアプリにも規制を加えたが、中国からの輸入はむしろ増加傾向にある。2023年には中国との貿易総額は米国との貿易総額を抜いて第1位となったことからも明らかなように、中国への経済依存から脱却するのは当面難しそうである。
国境における軍の対峙にかかる費用も嵩み、インドとしては中国との関係をできるだけ早く改善したいところであるが、インド側の条件である「2020年4月の状態に国境を戻す」ことを中国が受け入れるとは思えない。それだけでなく、スリランカ、モルジブ、ネパール、バングラデシュといったインドの周辺国で親中派の政権が軒並み誕生したことも懸念材料となっている。
現在のインド外交の大きな柱の一つは「グローバル・サウス」外交である。2023年のG20議長国となったインドは、急ごしらえではあるものの「グローバル・サウス」のリーダーと称し、外交的存在感を示すことに成功した。G20サミット本会議でも、ウクライナ問題で諸外国が対立する中で共同宣言の採択にこぎつけた。会議では、アフリカ連合(AU)がG20の常任メンバーになることも決定された。
脚光を浴びているインドの外交であるが、「グローバル・サウス」の国々がインドをどこまで「リーダー」として見ているかどうかは実際には疑問である。多くの国々にとっては、「一帯一路」政策の下でインフラ投資を行う中国の方が魅力的であるし、加えてイスラム教の国々にとってヒンドゥー至上主義のモディ政権は支持しにくい。ガザにおける紛争もイスラエル寄りのインドの立ち位置を難しいものとした。
「グローバル・サウス」の国々はこれからも自らの国益に応じて中印の両方から利益を得るべく振舞っていくであろう。貿易や投資では中国に接近する一方で、温暖化対策や国際機関のガバナンス改善についてはインドのアプローチに期待するといった具合である。西側諸国ではインドの「グローバル・サウス」外交を好ましくないと考える向きもあるが、多くの途上国はそれでなくても中国との関係を重視していて、ウクライナ問題でも米国に批判的な国が少なくない。「グローバル・サウス」外交を推進するインドを「途上国が反米化することに対するブレーキ役」として見るようにしたい。
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良好な日印関係
日本とインドは極めて良好な関係にある。2022年時点の在印日系企業の数は1400社(4970拠点)、在留邦人数は8145人に及ぶ。コロナ渦を経て一時的に頭打ちになったとはいえ、2022年度のジェトロのアンケート調査では、在印日系企業の72.5%が今後1~2年で事業展開を拡大すると回答しており、インドのこの数字は前年度に続いて世界トップである。
インドの乗用車の市場シェアの4割を押さえているスズキは、2024年1月には今後インドで6千億円以上を投じて新工場の建設を進める計画が報道された。スズキ以外にも、ホンダ、ダイキン、関西ペイント、ユニチャームなど日系企業の成功例がある。
しかし、インドに進出する日系企業の中には競争の激化等の要因から収益が悪化している日系企業も少なくない。かつてはインドでビジネスがうまくいかない場合、「インドの投資環境のため」とされ、「インドがもう少し豊かになるまで待てばよい」として片付けられがちであったが、最近では「成功しているサムスン、LG、現代自動車などの韓国勢に学べ」という声も大きくなっている。
対印直接投資と比べて日印貿易は伸び悩み気味である。2011年に日印経済連携協定(EPA)が発効してから10年以上経過したが、日本からインドへの輸出が増加したものの、インドから日本への輸出は一向に増えていない。インドにおける世界全体の輸出入に占める日本のシェアは過去10年間を通してそれぞれ1.5~2.2%と2.4~2.8%、日本から見た世界全体の輸出入に占めるインドのシェアは1.2~1.4%と0.75~0.82%の間にとどまっている。インドが強みとするサービス輸出も伸びていない。インドのIT輸出に占める日本のシェアを見ると、この30年間で約4%から2%以下へとむしろ低下してしまった。
それ以上に伸び悩んでいるのは人的交流であろう。日印間の人的交流は日中と比べて、訪日客数、留学生数、日本語学習者数、地方自治体間交流などの様々な側面で、20分の1から70分の1程度にすぎない。2021年5月1日時点のインドからの在日留学生は1457名と全体の0.6%にすぎず、国別順位で14位である。全世界に向けたインド人留学生数は毎年18万人にも及び、米国ではインド人留学生の数がトップとなっているのと対照的である。
民間直接投資と並ぶ日印経済関係の柱は、政府開発援助(ODA)である。1958年2月に日本の円借款の最初の供与先となったインドは、2022年11月までに累計総額で6兆9783億円の円借款を日本から受け取っていて国別最多である。近年ではデリーを始めとする大都市のメトロ、デリー・ムンバイ貨物専用線、ムンバイ・アーメダバード新幹線といった大型案件が目白押しである。
国際情勢の変化とともに、近年の日印関係は「戦略的」な意味合いが極めて強くなっている。日印関係の構築においてとりわけ功績が大きい安倍元首相は、モディ首相と合計15回の首脳会談を行って今日の日印関係の礎を築いた。安倍元首相の提唱した日米豪印による「クアッド」の枠組みはすっかり定着し、自由と民主主義、法の支配といった共通の価値観を持つ4ヵ国がインド太平洋地域での協力を確認する場となった。日印二国間の外務・防衛の定期協議(2プラス2)も定期的に行われている。
2022年ロシアのウクライナ侵攻ではロシアに対する日印の意見の相違がみられたが、2023年6月のモディ訪米で米国がウクライナ問題でのインド批判を止める方針に舵を切った影響もあり、大きな問題とはならなかった。
「グローバル・サウス」の超大国インドと日本の関係が今後さらに深化していくことは疑いの余地がない。
以 上
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