米中大国間競争と自由貿易の将来
掲載日:2023年12月20日
同志社大学特別客員教授
兼原 信克
1.米中大国間競争の始まり
第二次世界大戦後、世界の戦略枠組みは何度か大きな変動を経てきた。国連安保理常任理事国となった米英仏露中の団結は、冷戦の開始と朝鮮戦争の勃発で早くも綻び、ソ連邦(ロシア)、東欧共産圏、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国等が、北米と西欧を中核とする大西洋共同体と日韓比豪泰を抱え込んだ米国の太平洋同盟網と、核の均衡の下で厳しく対峙する長期冷戦の時代に入った。
冷戦中の最大の戦略枠組みの変更は、中ソ対立と、中国の西側諸国との連携の始まりである。フルシチョフソ連共産党第一書記のスターリン批判の衝撃は、唇を嚙みしめ膝を屈してスターリンに協力を仰いでいた毛沢東を揺さぶった。中ソ対立の始まりである。69年、毛沢東は軽率にも中国とソ連沿海州を隔てるウスリー川のダマンスキー島(珍宝島)を攻撃し、ソ連軍の大規模な反攻を招いた。6個師団がソ連の衛星国家であったモンゴルに配置されたことに恐怖した毛沢東は、西側との国交正常化に焦った。
清の時代から、日欧米の海洋勢力とロシアという大陸勢力に挟まれた中国は、二正面作戦に苦しめられてきた。その状況は、新彊ウイグルでロシアと対した左宗棠や日米欧の海洋勢力と対峙した李鴻章の時代と変わらない。ソ連と敵対関係に入った毛沢東が、日米両国との国交正常化を焦るのは当然であった。その結果、予期せずして、1962年の中国による侵略以来、対中警戒感の上がっていたインドをソ連の方に追いやる結果となった。
中国を独裁的に支配してきた中国共産党は、毛沢東の死後、不死鳥のようによみがえった鄧小平の指導によって、天安門事件、ソ連共産圏の崩壊を生き延び、西側からの直接投資や技術移転(時に窃取)によって、民主主義への扉を固く閉ざしたまま、赤貧の時代を抜け出して世界第二の経済大国の地位にのし上がった。世界貿易機関(WTO)への加入は、中国の発展に大きく貢献した。
しかし、リーマンショックによる西側経済の停滞と、それに反比例するかのような中国経済の発展は、中国に等身大の姿を見失わせ、西側の凋落と中国の世界覇権という夢想を生んだ。西側の巨大な市場と連結することによって、中国の発展があることを忘れたかのように、中国は、自由主義圏に背を向け始めた。習近平政権に至って、その傾向は一層顕著となった。中国の特色ある社会主義と銘打った開発独裁が、人類の将来のモデルであるかのような幻想が広がった。中国を中心とする新しい人類社会を、習近平は「運命共同体」と呼んだ。それは中国を中心とした空疎な理想的国際秩序観であり、かつての日本の八紘一宇を想起させるものであった。
第二次大戦後、独立宣言の自由主義、民主主義、法の支配と言った価値観を普遍的なものと信じ、その伝搬に国力を傾けてきた米国は、中国による姿勢の反転に大きく刺激された。2020年、トランプ政権で国務長官を務めていたポンペオ氏は、カリフォルニア州のニクソン大統領記念図書館で「共産主義中国と自由世界の将来」と題した演説を行い、関与政策を失敗であると断じた。米中大国間競争の幕開けであった。
既に、米国の7割を超える経済規模となった中国は、自信過剰であり怯む様子がない。中国にとっては、西側の開かれた経済システムは、共に支える公共財というよりも、自らの発展に利用することだけが目的であった。米国との「競争」は、中国にとってはあくまでも「闘争」であった。相手が強ければやむなく交渉するが、虚を見れば突いて出る。西側の凋落を誤認した中国は、復古的な習近平主席の下で、自由世界に背を向けて、挑発的な姿勢を取るようになった。
2.中国による一方的な現状変更の追求
ロンドン・エコノミスト誌がカバーストーリーで報じた中国の「シャープパワー」という記事は、中国が自由世界で異質な存在であることに警鐘を鳴らした記事である。それは、中国は、畢竟、開放的なシステムを自国の利益のために利用しているだけであり、その本質は、世界覇権を求める独裁国家なのではないかという問いを突き付ける記事であった。
そうであるとすれば、経済発展がもたらす豊かな社会は、やがて中国に自由主義をもたらし、北京の民主化をもたらすという関与政策の前提が大きく崩れる。幕末の攘夷開国に似て、開国は手段であり、目的は攘夷、即ち、西側覇権の打倒と自らの覇権の確立にあるのではないかという疑念が西側諸国に広がり始めた。
それを裏打ちするように、今世紀に入って、中国の一方的な拡張主義が肌で感じられるようになってきた。2006年に中国が「南シナ海は中国の海である」という荒唐無稽な文書を国連に提出した時、多くの国が冷笑したが、中国は大真面目であった。南シナ海の南沙諸島の真ん中で、スビ、ミスチーフ、ファイアリークロスというサンゴ礁を埋め立てて、爆撃機が利用できる3000メートルの長大な滑走路を整備した。大洋の中の孤島は、軍事要塞化すれば、海軍、空軍戦略上、中継拠点として重要な価値を持つ。海南島に戦略原潜基地を持つ中国は、何としても南シナ海を聖域化したいのであろう。
しかし、南シナ海は、地中海よりも広く、かつ、中国、日本、韓国、台湾という東アジアの巨大経済を、欧州、湾岸、豪州と結ぶ長大なシーレーンが結集する世界で最も混雑する海域である。それが自分の海であるという発想は常軌を逸しているが、強大な海軍を持ったことのない中国は、陸軍の発想で海洋を考えがちである。近海防衛の名の下に、中国は、大真面目に南シナ海の支配を考えている。中国は、海洋を「青い領土」と呼ぶ。
もともと、南シナ海は、ベトナムを抑えたフランスと台湾を抑えた日本が覇権を争った海である。フランスがナチスドイツに敗退して以降、南沙諸島は、日本領となり新南群島と名を変えた。サンフランシスコ平和条約で日本が南沙諸島を放棄して以来、南沙諸島を管理していた台湾総督府が蒋介石の支配下に入り、台湾が領有を主張するが、フィリピン、ベトナムなどの沿岸国も領有を主張して、まだら模様に領有権の主張が入り組んでしまった。南シナ海最大の太平島は、日本支配下の台湾総督府以来、台湾が管理している。中国が、南沙諸島に領有権を本格的に主張し始めたのは、今世紀に入ってからのことにすぎない。もともと清を支配していた満州族の出自は北方馬賊であり、海洋には何の関心もなかったのである。
2012年の晩秋には、中国は、東シナ海に目を向けて、それまで手を出さなかった米国の同盟国であるフィリピンや日本にも一方的な実力行使に出始めた。フィリピンは、スカボロ礁を奪われ、セカンドトーマス礁の実効支配を脅かされている。東北大震災、福島第一原発事故で疲弊していた日本に対しても、中国は容赦なかった。虚を突くのが中国外交である。中国は、遂に尖閣諸島に手を出し始めた。中国海警の公船が大挙して尖閣諸島に押しかけ、そこで操業する日本漁船の妨害が始まったのである。幸い、日本はフィリピンと異なり、海上保安庁が尖閣専従体制を敷いて中国公船を押し返している。
中国はさらに、ヒマラヤ山脈を挟んだインド国境においても、小規模な衝突を繰り返している。
3.サプライチェーンの強靭化
中国が、自由貿易を世界の公共財のようなルールと考えず、自らの国益追求の道具としか考えていないのではないかという疑念は、中国経済が巨大化するにつれて明らかになっていった。「軍民融合」と「製造強国」というスローガンの下で、国防に重要な技術には惜しみもなく巨額の補助金がつぎ込まれる。留学生、御雇外人、諜報機関、サイバー技術を駆使した先進技術の模倣と窃取は、西側諸国を驚かせた。世界市場経済は、中国によって大きく歪曲されているという認識が広がり始めた。そしてそれは、経済の次元を超えて、国家安全保障の分野においても、米国を中心とした西側諸国の優位を脅かし始めた。
そのような文脈で、中国が世界を驚かしたのは、貿易に基づく相互依存関係の武器化である。巨躯となった中国経済は、米国を除く他の国々の経済規模を遥かに凌駕する。一対一で向き合えば、中国に経済制裁の打ち合いで立ち合える国はない。
2021年、ボリス・ジョンソン英国首相が主宰したコーンウォールでのG7首脳会談に際しては、筆者も参加した経済強靭性に関するパネルが報告を行ったが、その中でも、天災やパンデミックと並んで、中国のもたらす地政学的なリスクが取り上げられた。同報告書において、日本は、尖閣諸島問題に絡んで、中国がレアアースの対日輸出を停止した問題を取り上げた。
2010年、尖閣領海で不法漁労をしていた中国漁船が、海上保安庁巡視船に体当たりした事件(ミンシンリョウ号事件)で、海上保安庁が泥酔していた船長を逮捕したところ、中国は、日本が大きく対中輸入に依存していたレアアースの輸出を途絶させたのである。
日本だけではない。対中警戒感の強い国に対して、中国は貿易を武器化する。台湾からはパイナップル、フィリピンからはバナナの輸入が差し止められた。台湾の代表部を首都ビリニュスにおいたリトアニアは、中国から貿易を差し止められた。コロナウィルスの発生源を明らかにせよと公に求めた豪州からは、ワインの輸入が止まった。米国の要請で最先端半導体製造装置の対中輸出を自粛し始めた日本に対して、2023年、中国は、福島原発の処理水の海中放出を口実にして、日本産海産物の全面輸入差し止めに出た。中国の姿勢は、貿易は朝貢国に対する皇帝の恩寵であり、皇帝を怒らせれば貿易は差し止められるという清朝時代を想起させるものであった。
多くの国が、中国の地政学的リスクから、サプライチェーンを守ろうとする動きに出ている。日本は、経済安全保障法制で、特定重要物資の内製化、輸入先の多様化、備蓄などに国を挙げて取り組むようになった。米国をはじめとする諸外国においても同様の動きがみられ、国際的な協調が始まっている。これらの動きはリショアリング(内製化)、フレンドショアリング(中国から友好国への工場移転等)、デリスキングと呼ばれている。
特に注意が必要なのが、半導体である。半導体には二つの側面がある。一つは、安定供給問題である。半導体関連国は、米国、日本、オランダの様に最先端半導体製造装置を作る国(ファブレス)と、生産を受託されて大量生産する台湾、韓国、中国のファウンドリーに大別される。仮に台湾有事が起きれば、中国、台湾からの半導体輸入は途絶する。米国、日本、ドイツなどが、台湾のTSMCなどの工場を自国に招聘しているのは、そのためである。
もう一つの問題は、7ナノ以下と言われる最先端半導体の扱いである。それは戦場の勝敗を分ける。現在の軍事技術の粋は、先進コンピューティングによる情報処理である。早く分散して動き、正確に攻撃できる方が勝つ。それが今の戦場である。ドローンが多用される。その明暗を分けるのが最先端半導体である。米国は、最先端半導体及び製造技術の対中輸出を厳しく管理し始めた。まるで平時から禁制品(コントラバンド)扱いされているかのようである。「小さく囲って高い塀で守る」政策と言われる。TSMCの創業者であるモーリス・チャン氏が述べたように、最先端半導体に関する限り、自由貿易やグローバリゼーションは死んだのである。
4.起こしてはならない台湾有事
現在、未だ米国でも、日本でも突き詰めて議論されていないのが、台湾有事の経済的な衝撃である。世界最大経済である日米中とG20サイズの経済規模を誇る台湾や豪州が戦火を交えればどうなるか。保守政権下の韓国も参戦するかもしれない。
戦雲が集まるようになれば、中国は、貿易と相互依存を武器として、台湾や日本に対して資産凍結、貿易停止などの経済制裁に出るであろう。米国もまた、対中経済制裁に出るであろう。最悪の場合、中国の主要企業を名指ししてドル取引を停止し、SWIFTから締め出すことも考えられる。
さらに戦火が交えられる段階になれば、台湾は海上封鎖されるかもしれない。南シナ海、東シナ海は戦闘海域となり、船舶保険が付保されなくなるであろう。日本のシーレーンは、太平洋を北回りに延ばせば何とかなるが、航続距離は長大なものとなって船舶の運用は逼迫し、貨物料金は跳ね上がる。それはエネルギーと食料を海外に依存する日本を直撃する。米国もまた、中国に対して大陸封鎖をかけて、エネルギーや食料の輸入を止めてしまうかもしれない。そうなれば、飼料の大豆を食べられない豚のみならず、第一次世界大戦下で英国の大陸封鎖に苦しんだドイツの様に、或いは、太平洋戦争下の日本の様に、人間を飢餓が襲うかもしれない。
そのような状態では、ニューヨーク、東京、ソウル、上海の株式市場は閉鎖され、強い通貨とされる円も元も暴落するであろう。そして、日本と台湾の重要インフラは大規模に破壊されるかもしれない。
だから、台湾有事は起こしてはならないのである。米国は、「最終的に勝てばよい」というであろう。しかし、ウクライナを見ればよい。半腰の対ウクライナ支援は、結局、ウクライナを苦しめることになった。身体の大きなロシアがウクライナをじりじりと押しつぶしつつある。日本は自らの防衛努力をきちんとして、米国をして真剣ならしめ、日米同盟の抑止力向上に今以上に努めねばならない。防衛費増額に伴う増税も取りざたされるが、台湾有事のコストは、それをはるかに凌駕するのである。
執筆者プロフィール
兼原 信克 (かねはら のぶかつ)
同志社大学 特別客員教授
1959年生まれ。東大法学部卒業後、外務省入省。国際法、安全保障、ロシア(領土問題)が専門分野。条約局法規課長(現国際法課長)、北米局日米安全保障条約課長、総合政策局総務課長、欧州局参事官、国際法局長を歴任。国外では欧州連合、国際連合、米国、韓国の大使館や政府代表部に勤務。第二次安倍政権で、内閣官房副長官補(外政担当)、国家安全保障局次長を務める。2019年退官。2020年4月より現職。2023年6月、笹川平和財団 常務理事に就任。2015年にフランス政府よりレジオンドヌール勲章を受勲。著書に『日本人のための安全保障入門』(日本経済新聞出版社、2023年)、『戦略外交原論』(日本経済新聞出版社、2011年)、『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』(新潮新書、2020年)、『安全保障戦略』(日本経済新聞出版社、2021年)、『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』(新潮新書、2021年)、『現実主義者のための安全保障のリアル』(ビジネス社、2021年)、『日本の対中大戦略』(PHP出版社、2021年)、『核兵器について本音で話そう』(新潮新書、2022年)、『自衛隊最高幹部が語る台湾有事』(新潮新書、2022年)、『国難に立ち向かう新国防論』(ビジネス社、2022年)他多数。
同志社大学特別客員教授
兼原 信克
1.米中大国間競争の始まり
第二次世界大戦後、世界の戦略枠組みは何度か大きな変動を経てきた。国連安保理常任理事国となった米英仏露中の団結は、冷戦の開始と朝鮮戦争の勃発で早くも綻び、ソ連邦(ロシア)、東欧共産圏、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国等が、北米と西欧を中核とする大西洋共同体と日韓比豪泰を抱え込んだ米国の太平洋同盟網と、核の均衡の下で厳しく対峙する長期冷戦の時代に入った。
冷戦中の最大の戦略枠組みの変更は、中ソ対立と、中国の西側諸国との連携の始まりである。フルシチョフソ連共産党第一書記のスターリン批判の衝撃は、唇を嚙みしめ膝を屈してスターリンに協力を仰いでいた毛沢東を揺さぶった。中ソ対立の始まりである。69年、毛沢東は軽率にも中国とソ連沿海州を隔てるウスリー川のダマンスキー島(珍宝島)を攻撃し、ソ連軍の大規模な反攻を招いた。6個師団がソ連の衛星国家であったモンゴルに配置されたことに恐怖した毛沢東は、西側との国交正常化に焦った。
清の時代から、日欧米の海洋勢力とロシアという大陸勢力に挟まれた中国は、二正面作戦に苦しめられてきた。その状況は、新彊ウイグルでロシアと対した左宗棠や日米欧の海洋勢力と対峙した李鴻章の時代と変わらない。ソ連と敵対関係に入った毛沢東が、日米両国との国交正常化を焦るのは当然であった。その結果、予期せずして、1962年の中国による侵略以来、対中警戒感の上がっていたインドをソ連の方に追いやる結果となった。
中国を独裁的に支配してきた中国共産党は、毛沢東の死後、不死鳥のようによみがえった鄧小平の指導によって、天安門事件、ソ連共産圏の崩壊を生き延び、西側からの直接投資や技術移転(時に窃取)によって、民主主義への扉を固く閉ざしたまま、赤貧の時代を抜け出して世界第二の経済大国の地位にのし上がった。世界貿易機関(WTO)への加入は、中国の発展に大きく貢献した。
しかし、リーマンショックによる西側経済の停滞と、それに反比例するかのような中国経済の発展は、中国に等身大の姿を見失わせ、西側の凋落と中国の世界覇権という夢想を生んだ。西側の巨大な市場と連結することによって、中国の発展があることを忘れたかのように、中国は、自由主義圏に背を向け始めた。習近平政権に至って、その傾向は一層顕著となった。中国の特色ある社会主義と銘打った開発独裁が、人類の将来のモデルであるかのような幻想が広がった。中国を中心とする新しい人類社会を、習近平は「運命共同体」と呼んだ。それは中国を中心とした空疎な理想的国際秩序観であり、かつての日本の八紘一宇を想起させるものであった。
第二次大戦後、独立宣言の自由主義、民主主義、法の支配と言った価値観を普遍的なものと信じ、その伝搬に国力を傾けてきた米国は、中国による姿勢の反転に大きく刺激された。2020年、トランプ政権で国務長官を務めていたポンペオ氏は、カリフォルニア州のニクソン大統領記念図書館で「共産主義中国と自由世界の将来」と題した演説を行い、関与政策を失敗であると断じた。米中大国間競争の幕開けであった。
既に、米国の7割を超える経済規模となった中国は、自信過剰であり怯む様子がない。中国にとっては、西側の開かれた経済システムは、共に支える公共財というよりも、自らの発展に利用することだけが目的であった。米国との「競争」は、中国にとってはあくまでも「闘争」であった。相手が強ければやむなく交渉するが、虚を見れば突いて出る。西側の凋落を誤認した中国は、復古的な習近平主席の下で、自由世界に背を向けて、挑発的な姿勢を取るようになった。
2.中国による一方的な現状変更の追求
ロンドン・エコノミスト誌がカバーストーリーで報じた中国の「シャープパワー」という記事は、中国が自由世界で異質な存在であることに警鐘を鳴らした記事である。それは、中国は、畢竟、開放的なシステムを自国の利益のために利用しているだけであり、その本質は、世界覇権を求める独裁国家なのではないかという問いを突き付ける記事であった。
そうであるとすれば、経済発展がもたらす豊かな社会は、やがて中国に自由主義をもたらし、北京の民主化をもたらすという関与政策の前提が大きく崩れる。幕末の攘夷開国に似て、開国は手段であり、目的は攘夷、即ち、西側覇権の打倒と自らの覇権の確立にあるのではないかという疑念が西側諸国に広がり始めた。
それを裏打ちするように、今世紀に入って、中国の一方的な拡張主義が肌で感じられるようになってきた。2006年に中国が「南シナ海は中国の海である」という荒唐無稽な文書を国連に提出した時、多くの国が冷笑したが、中国は大真面目であった。南シナ海の南沙諸島の真ん中で、スビ、ミスチーフ、ファイアリークロスというサンゴ礁を埋め立てて、爆撃機が利用できる3000メートルの長大な滑走路を整備した。大洋の中の孤島は、軍事要塞化すれば、海軍、空軍戦略上、中継拠点として重要な価値を持つ。海南島に戦略原潜基地を持つ中国は、何としても南シナ海を聖域化したいのであろう。
しかし、南シナ海は、地中海よりも広く、かつ、中国、日本、韓国、台湾という東アジアの巨大経済を、欧州、湾岸、豪州と結ぶ長大なシーレーンが結集する世界で最も混雑する海域である。それが自分の海であるという発想は常軌を逸しているが、強大な海軍を持ったことのない中国は、陸軍の発想で海洋を考えがちである。近海防衛の名の下に、中国は、大真面目に南シナ海の支配を考えている。中国は、海洋を「青い領土」と呼ぶ。
もともと、南シナ海は、ベトナムを抑えたフランスと台湾を抑えた日本が覇権を争った海である。フランスがナチスドイツに敗退して以降、南沙諸島は、日本領となり新南群島と名を変えた。サンフランシスコ平和条約で日本が南沙諸島を放棄して以来、南沙諸島を管理していた台湾総督府が蒋介石の支配下に入り、台湾が領有を主張するが、フィリピン、ベトナムなどの沿岸国も領有を主張して、まだら模様に領有権の主張が入り組んでしまった。南シナ海最大の太平島は、日本支配下の台湾総督府以来、台湾が管理している。中国が、南沙諸島に領有権を本格的に主張し始めたのは、今世紀に入ってからのことにすぎない。もともと清を支配していた満州族の出自は北方馬賊であり、海洋には何の関心もなかったのである。
2012年の晩秋には、中国は、東シナ海に目を向けて、それまで手を出さなかった米国の同盟国であるフィリピンや日本にも一方的な実力行使に出始めた。フィリピンは、スカボロ礁を奪われ、セカンドトーマス礁の実効支配を脅かされている。東北大震災、福島第一原発事故で疲弊していた日本に対しても、中国は容赦なかった。虚を突くのが中国外交である。中国は、遂に尖閣諸島に手を出し始めた。中国海警の公船が大挙して尖閣諸島に押しかけ、そこで操業する日本漁船の妨害が始まったのである。幸い、日本はフィリピンと異なり、海上保安庁が尖閣専従体制を敷いて中国公船を押し返している。
中国はさらに、ヒマラヤ山脈を挟んだインド国境においても、小規模な衝突を繰り返している。
3.サプライチェーンの強靭化
中国が、自由貿易を世界の公共財のようなルールと考えず、自らの国益追求の道具としか考えていないのではないかという疑念は、中国経済が巨大化するにつれて明らかになっていった。「軍民融合」と「製造強国」というスローガンの下で、国防に重要な技術には惜しみもなく巨額の補助金がつぎ込まれる。留学生、御雇外人、諜報機関、サイバー技術を駆使した先進技術の模倣と窃取は、西側諸国を驚かせた。世界市場経済は、中国によって大きく歪曲されているという認識が広がり始めた。そしてそれは、経済の次元を超えて、国家安全保障の分野においても、米国を中心とした西側諸国の優位を脅かし始めた。
そのような文脈で、中国が世界を驚かしたのは、貿易に基づく相互依存関係の武器化である。巨躯となった中国経済は、米国を除く他の国々の経済規模を遥かに凌駕する。一対一で向き合えば、中国に経済制裁の打ち合いで立ち合える国はない。
2021年、ボリス・ジョンソン英国首相が主宰したコーンウォールでのG7首脳会談に際しては、筆者も参加した経済強靭性に関するパネルが報告を行ったが、その中でも、天災やパンデミックと並んで、中国のもたらす地政学的なリスクが取り上げられた。同報告書において、日本は、尖閣諸島問題に絡んで、中国がレアアースの対日輸出を停止した問題を取り上げた。
2010年、尖閣領海で不法漁労をしていた中国漁船が、海上保安庁巡視船に体当たりした事件(ミンシンリョウ号事件)で、海上保安庁が泥酔していた船長を逮捕したところ、中国は、日本が大きく対中輸入に依存していたレアアースの輸出を途絶させたのである。
日本だけではない。対中警戒感の強い国に対して、中国は貿易を武器化する。台湾からはパイナップル、フィリピンからはバナナの輸入が差し止められた。台湾の代表部を首都ビリニュスにおいたリトアニアは、中国から貿易を差し止められた。コロナウィルスの発生源を明らかにせよと公に求めた豪州からは、ワインの輸入が止まった。米国の要請で最先端半導体製造装置の対中輸出を自粛し始めた日本に対して、2023年、中国は、福島原発の処理水の海中放出を口実にして、日本産海産物の全面輸入差し止めに出た。中国の姿勢は、貿易は朝貢国に対する皇帝の恩寵であり、皇帝を怒らせれば貿易は差し止められるという清朝時代を想起させるものであった。
多くの国が、中国の地政学的リスクから、サプライチェーンを守ろうとする動きに出ている。日本は、経済安全保障法制で、特定重要物資の内製化、輸入先の多様化、備蓄などに国を挙げて取り組むようになった。米国をはじめとする諸外国においても同様の動きがみられ、国際的な協調が始まっている。これらの動きはリショアリング(内製化)、フレンドショアリング(中国から友好国への工場移転等)、デリスキングと呼ばれている。
特に注意が必要なのが、半導体である。半導体には二つの側面がある。一つは、安定供給問題である。半導体関連国は、米国、日本、オランダの様に最先端半導体製造装置を作る国(ファブレス)と、生産を受託されて大量生産する台湾、韓国、中国のファウンドリーに大別される。仮に台湾有事が起きれば、中国、台湾からの半導体輸入は途絶する。米国、日本、ドイツなどが、台湾のTSMCなどの工場を自国に招聘しているのは、そのためである。
もう一つの問題は、7ナノ以下と言われる最先端半導体の扱いである。それは戦場の勝敗を分ける。現在の軍事技術の粋は、先進コンピューティングによる情報処理である。早く分散して動き、正確に攻撃できる方が勝つ。それが今の戦場である。ドローンが多用される。その明暗を分けるのが最先端半導体である。米国は、最先端半導体及び製造技術の対中輸出を厳しく管理し始めた。まるで平時から禁制品(コントラバンド)扱いされているかのようである。「小さく囲って高い塀で守る」政策と言われる。TSMCの創業者であるモーリス・チャン氏が述べたように、最先端半導体に関する限り、自由貿易やグローバリゼーションは死んだのである。
4.起こしてはならない台湾有事
現在、未だ米国でも、日本でも突き詰めて議論されていないのが、台湾有事の経済的な衝撃である。世界最大経済である日米中とG20サイズの経済規模を誇る台湾や豪州が戦火を交えればどうなるか。保守政権下の韓国も参戦するかもしれない。
戦雲が集まるようになれば、中国は、貿易と相互依存を武器として、台湾や日本に対して資産凍結、貿易停止などの経済制裁に出るであろう。米国もまた、対中経済制裁に出るであろう。最悪の場合、中国の主要企業を名指ししてドル取引を停止し、SWIFTから締め出すことも考えられる。
さらに戦火が交えられる段階になれば、台湾は海上封鎖されるかもしれない。南シナ海、東シナ海は戦闘海域となり、船舶保険が付保されなくなるであろう。日本のシーレーンは、太平洋を北回りに延ばせば何とかなるが、航続距離は長大なものとなって船舶の運用は逼迫し、貨物料金は跳ね上がる。それはエネルギーと食料を海外に依存する日本を直撃する。米国もまた、中国に対して大陸封鎖をかけて、エネルギーや食料の輸入を止めてしまうかもしれない。そうなれば、飼料の大豆を食べられない豚のみならず、第一次世界大戦下で英国の大陸封鎖に苦しんだドイツの様に、或いは、太平洋戦争下の日本の様に、人間を飢餓が襲うかもしれない。
そのような状態では、ニューヨーク、東京、ソウル、上海の株式市場は閉鎖され、強い通貨とされる円も元も暴落するであろう。そして、日本と台湾の重要インフラは大規模に破壊されるかもしれない。
だから、台湾有事は起こしてはならないのである。米国は、「最終的に勝てばよい」というであろう。しかし、ウクライナを見ればよい。半腰の対ウクライナ支援は、結局、ウクライナを苦しめることになった。身体の大きなロシアがウクライナをじりじりと押しつぶしつつある。日本は自らの防衛努力をきちんとして、米国をして真剣ならしめ、日米同盟の抑止力向上に今以上に努めねばならない。防衛費増額に伴う増税も取りざたされるが、台湾有事のコストは、それをはるかに凌駕するのである。
執筆者プロフィール
兼原 信克 (かねはら のぶかつ)
同志社大学 特別客員教授
1959年生まれ。東大法学部卒業後、外務省入省。国際法、安全保障、ロシア(領土問題)が専門分野。条約局法規課長(現国際法課長)、北米局日米安全保障条約課長、総合政策局総務課長、欧州局参事官、国際法局長を歴任。国外では欧州連合、国際連合、米国、韓国の大使館や政府代表部に勤務。第二次安倍政権で、内閣官房副長官補(外政担当)、国家安全保障局次長を務める。2019年退官。2020年4月より現職。2023年6月、笹川平和財団 常務理事に就任。2015年にフランス政府よりレジオンドヌール勲章を受勲。著書に『日本人のための安全保障入門』(日本経済新聞出版社、2023年)、『戦略外交原論』(日本経済新聞出版社、2011年)、『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』(新潮新書、2020年)、『安全保障戦略』(日本経済新聞出版社、2021年)、『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』(新潮新書、2021年)、『現実主義者のための安全保障のリアル』(ビジネス社、2021年)、『日本の対中大戦略』(PHP出版社、2021年)、『核兵器について本音で話そう』(新潮新書、2022年)、『自衛隊最高幹部が語る台湾有事』(新潮新書、2022年)、『国難に立ち向かう新国防論』(ビジネス社、2022年)他多数。