中国研究会/識者の発表に基づく概要とりまとめ(1)
国有企業・補助金問題について~大きな文脈としてのグローバルガバナンス
国有企業・補助金問題について~大きな文脈としてのグローバルガバナンス
研究会開催日:2022年11月25日
立教大学法学部 教授
東條 吉純
0. 現状の概観
第二次世界大戦後の安全保障政策の一環として、「多国間貿易自由化」がフレームワークとして模索された。冷戦構造の終焉とともに、1990年代,アメリカ主導の経済リベラリズムが西側諸国を中心に熱狂的に支持された。WTO協定の発足はこの時代のピークに現れた象徴的事象の一つであるが,その後約30年が経過し、’Securitization for everything’と称されるように、エネルギー、食料のみならず、環境問題、気候変動、人権保護など、あらゆる政策問題が安全保障の問題として語られ、且つ、これらが貿易措置とリンクする形で法現象として観察されるようになったのが現状である。
また21世紀に入り、G20発足など、新興国のプレゼンスは急速に向上しており、とりわけ中国はその中でも圧倒的な存在感を示している。ガバナンス主体の多極化に加え、急速に進むデジタル化や、AI、通信技術などのイノベーションにより、経済のグローバル化は益々加速し、かつてない巨大な経済発展のチャンスが到来するとともに、民間部門では、ビッグ・テック企業を筆頭に既存の主要プレイヤーが丸ごと入れ替わる地殻変動が同時に進行している。このような状況下、国際ルール形成のキャッチアップの遅れは非常に深刻である。
1. 補助金の政治経済学~実効的な「補助金ルール」は可能か?
補助金ルールのキャッチアップという観点から見れば、グローバル・バリューチェーン、グローバル・サプライチェーンの構築により、従来のシンプルな貿易、輸出入取引における勝ち負けを前提とした、相互主義的な国際ルールの論理が成立しないような複雑な状況が生まれている。
そもそも補助金はその他の通商政策ルール(数量制限、関税等)と異なり、市場の失敗を是正するという意味で、経済的正当性を持つ場合も少なくない。現行のWTOルールとしては、輸出補助金はこれを禁止し、生産者補助金による貿易歪曲効果はこれを救済する、または除去する、となっている。補助金の概念は、国際ルールメイキングにおいては伝統的に非常に大きな問題の一つであり、補助金規律の重要なポイントは、補助金規制と国家の自律性のバランスを如何に取るかにある。しかし、実際上は、現行ルールによって、本当に規制対象とすべき補助金を抽出できるかと言えば非常に難しいと言わざるを得ない。
また、WTO協定補助金ルールは、当時の米国法とEU法に基づき策定されたが、これは欧米が共有する特定の政治的思想(=自由な市場経済への信奉)に裏打ちされたものであり、このような特定の政治的思想に裏打ちされたルール形成は、現在の国際社会においては多国間ルールとして成立するのは困難であることに加え、適切かどうかという点でも極めて評価が難しく、価値多極化の時代を反映した多国間ルール形成をより困難な状況にしている。このような状況を反映して、例えばCPTTPのように、膨大な‘例外領域’あるいは‘留保表’を締結国に認める形でしかルール形成ができないという現象が生じている。
2. 中国問題
世界貿易システムにとって、中国問題は「最大の成功体験」から、「最大のチャレンジ」(Mavroidis and Sapir)へと変わりつつある。当初の欧米諸国の「リベラルなシステムに招き入れることで、中国の国内変革(特に政治体制)を促す」という期待は、結局のところ幻想に終わり、結果的には「大きな異分子が体制内に組み込まれたことで、最大のチャレンジへと問題が転換した」と多くの論考でも指摘される通りである。しかしこれは米欧のレンズを通して見える景色であるとも言える。中国にとってWTO加盟は改革開放後の最大の成功体験であり、多国間自由貿易体制を維持することが中国の国益に叶うことからも、(1)大規模な関税引き下げ実施、(2)各種ルール交渉への積極参加、提案文書の提出、(3)上級委員会に代わる紛争解決の仲裁制度(MPIA)の創設への参加など、WTO体制に対する近年のエンゲージメントはアメリカ以上に高い。加えて、中国は国有企業問題、補助金問題などの問題を抱えつつも、各種の国際公共財の提供において積極的に国際社会に貢献もしている。アメリカにとっては、この点も既存システムを揺り動かす大きな不安定要因になっており、中国への批判姿勢を益々強めることにつながっている。
国有企業問題について、中国にフォーカスすれば国際競争を歪曲する中国問題の1つに見えるが、国有企業という組織形態、所有形態は中国のみならず、多くの国家において現在も維持されており、我が国にも多数存在する。国有企業の問題点の一つとして、情報開示が不十分であり、透明性に欠けるとの指摘がされるところ、国有企業のみならず、ビッグテックにおいてもBEPS(Base Erosion and Profit Shifting/税源浸食と利益移転)の問題が指摘されており、21世紀において「透明性の確保」は、重要なファクターであると言えよう。
3. 補助金/SOE関連規律(WTO協定)
WTO協定の補助金ルールでは、補助金の出し手としての「公的機関」に何が含まれるのかという点が、長年にわたり紛争上の争点になってきた。現在の上級委による判例法は、所有に基づく基準ではなく、機能に基づく基準に則り、公的機関性を事実認定しなければならない。この点については、中国を念頭に補助金規制の立証ハードルが高くなるという理由により批判的評価が少なくない。しかし理論的には「機能」基準に基づき規制対象となる補助金で括りだした方が適切との考え方も当然ありうるだろう。
4. 国有企業(SOE)関連規律(CPTPP)
前述の通り、CPTPPは例外領域が非常に大きい協定である。ルールを記述する技術としては進化しているとの評価が可能であり、規律対象となるSOEの範囲に関しては、(1)「主として商業に従事」すること、(2)「株式の50%を直接保有」、「議決権の過半数を支配」、又は、「取締役会等の構成員の過半数を任命する権限」、(3)「指定独占企業」(TPP協定発効後に指定されるもののみが対象)などが規定されており、一見SOE規制を強化しているようにも見えるが、膨大な適用除外領域および各国の留保表など、締結国にとって都合の悪い点は色々なところで排除されており、実際の実効性という意味ではまだら模様と言えよう。
5. 中国問題とどう向き合うべきか
先般開催された第20回共産党大会でも明らかになった通り、習近平氏の独裁体制は当面盤石であり、社会主義市場経済体制、あるいは国家の市場への介入という路線は今後も維持されるだろう。欧米諸国は、一帯一路などの中国の長期的国家戦略によるグローバル化を所与のものとして、これとどうやって折り合いをつけるかという観点から政策立案をすべきであり、多極化する世界のグローバルガバナンスという観点からは、単に中国封じ込めということでは物事は動かない。
国際ルール形成においてソフトローが増加している現状を踏まえ、通商法専門家の中には「明確なルールを導入すべし」との提言を行う者もあるが(Mavroidis and Sapir)、これは国際社会の価値の多極化や、折り合いがつかない領域などが拡大していることを反映した現象と言える。「明確なルールの導入」については、「言うは易し、行うは難し」であり、むしろ重要なのは多様な国家体制との共存を本気で考え、インターフェースルールの工夫をすべきである。
最後に、‘level playing field’について補足しておきたい。これは多義的に使われる都合の良い概念であり、正当化を偽装する意図の下に使われる場合もある。よって、これを使用する政策文書や論文を見る際は、どのような文脈で使われているかを検証する姿勢を持つべきであるという点について申し添えたい。
立教大学法学部 教授
東條 吉純
0. 現状の概観
第二次世界大戦後の安全保障政策の一環として、「多国間貿易自由化」がフレームワークとして模索された。冷戦構造の終焉とともに、1990年代,アメリカ主導の経済リベラリズムが西側諸国を中心に熱狂的に支持された。WTO協定の発足はこの時代のピークに現れた象徴的事象の一つであるが,その後約30年が経過し、’Securitization for everything’と称されるように、エネルギー、食料のみならず、環境問題、気候変動、人権保護など、あらゆる政策問題が安全保障の問題として語られ、且つ、これらが貿易措置とリンクする形で法現象として観察されるようになったのが現状である。
また21世紀に入り、G20発足など、新興国のプレゼンスは急速に向上しており、とりわけ中国はその中でも圧倒的な存在感を示している。ガバナンス主体の多極化に加え、急速に進むデジタル化や、AI、通信技術などのイノベーションにより、経済のグローバル化は益々加速し、かつてない巨大な経済発展のチャンスが到来するとともに、民間部門では、ビッグ・テック企業を筆頭に既存の主要プレイヤーが丸ごと入れ替わる地殻変動が同時に進行している。このような状況下、国際ルール形成のキャッチアップの遅れは非常に深刻である。
1. 補助金の政治経済学~実効的な「補助金ルール」は可能か?
補助金ルールのキャッチアップという観点から見れば、グローバル・バリューチェーン、グローバル・サプライチェーンの構築により、従来のシンプルな貿易、輸出入取引における勝ち負けを前提とした、相互主義的な国際ルールの論理が成立しないような複雑な状況が生まれている。
そもそも補助金はその他の通商政策ルール(数量制限、関税等)と異なり、市場の失敗を是正するという意味で、経済的正当性を持つ場合も少なくない。現行のWTOルールとしては、輸出補助金はこれを禁止し、生産者補助金による貿易歪曲効果はこれを救済する、または除去する、となっている。補助金の概念は、国際ルールメイキングにおいては伝統的に非常に大きな問題の一つであり、補助金規律の重要なポイントは、補助金規制と国家の自律性のバランスを如何に取るかにある。しかし、実際上は、現行ルールによって、本当に規制対象とすべき補助金を抽出できるかと言えば非常に難しいと言わざるを得ない。
また、WTO協定補助金ルールは、当時の米国法とEU法に基づき策定されたが、これは欧米が共有する特定の政治的思想(=自由な市場経済への信奉)に裏打ちされたものであり、このような特定の政治的思想に裏打ちされたルール形成は、現在の国際社会においては多国間ルールとして成立するのは困難であることに加え、適切かどうかという点でも極めて評価が難しく、価値多極化の時代を反映した多国間ルール形成をより困難な状況にしている。このような状況を反映して、例えばCPTTPのように、膨大な‘例外領域’あるいは‘留保表’を締結国に認める形でしかルール形成ができないという現象が生じている。
2. 中国問題
世界貿易システムにとって、中国問題は「最大の成功体験」から、「最大のチャレンジ」(Mavroidis and Sapir)へと変わりつつある。当初の欧米諸国の「リベラルなシステムに招き入れることで、中国の国内変革(特に政治体制)を促す」という期待は、結局のところ幻想に終わり、結果的には「大きな異分子が体制内に組み込まれたことで、最大のチャレンジへと問題が転換した」と多くの論考でも指摘される通りである。しかしこれは米欧のレンズを通して見える景色であるとも言える。中国にとってWTO加盟は改革開放後の最大の成功体験であり、多国間自由貿易体制を維持することが中国の国益に叶うことからも、(1)大規模な関税引き下げ実施、(2)各種ルール交渉への積極参加、提案文書の提出、(3)上級委員会に代わる紛争解決の仲裁制度(MPIA)の創設への参加など、WTO体制に対する近年のエンゲージメントはアメリカ以上に高い。加えて、中国は国有企業問題、補助金問題などの問題を抱えつつも、各種の国際公共財の提供において積極的に国際社会に貢献もしている。アメリカにとっては、この点も既存システムを揺り動かす大きな不安定要因になっており、中国への批判姿勢を益々強めることにつながっている。
国有企業問題について、中国にフォーカスすれば国際競争を歪曲する中国問題の1つに見えるが、国有企業という組織形態、所有形態は中国のみならず、多くの国家において現在も維持されており、我が国にも多数存在する。国有企業の問題点の一つとして、情報開示が不十分であり、透明性に欠けるとの指摘がされるところ、国有企業のみならず、ビッグテックにおいてもBEPS(Base Erosion and Profit Shifting/税源浸食と利益移転)の問題が指摘されており、21世紀において「透明性の確保」は、重要なファクターであると言えよう。
3. 補助金/SOE関連規律(WTO協定)
WTO協定の補助金ルールでは、補助金の出し手としての「公的機関」に何が含まれるのかという点が、長年にわたり紛争上の争点になってきた。現在の上級委による判例法は、所有に基づく基準ではなく、機能に基づく基準に則り、公的機関性を事実認定しなければならない。この点については、中国を念頭に補助金規制の立証ハードルが高くなるという理由により批判的評価が少なくない。しかし理論的には「機能」基準に基づき規制対象となる補助金で括りだした方が適切との考え方も当然ありうるだろう。
4. 国有企業(SOE)関連規律(CPTPP)
前述の通り、CPTPPは例外領域が非常に大きい協定である。ルールを記述する技術としては進化しているとの評価が可能であり、規律対象となるSOEの範囲に関しては、(1)「主として商業に従事」すること、(2)「株式の50%を直接保有」、「議決権の過半数を支配」、又は、「取締役会等の構成員の過半数を任命する権限」、(3)「指定独占企業」(TPP協定発効後に指定されるもののみが対象)などが規定されており、一見SOE規制を強化しているようにも見えるが、膨大な適用除外領域および各国の留保表など、締結国にとって都合の悪い点は色々なところで排除されており、実際の実効性という意味ではまだら模様と言えよう。
5. 中国問題とどう向き合うべきか
先般開催された第20回共産党大会でも明らかになった通り、習近平氏の独裁体制は当面盤石であり、社会主義市場経済体制、あるいは国家の市場への介入という路線は今後も維持されるだろう。欧米諸国は、一帯一路などの中国の長期的国家戦略によるグローバル化を所与のものとして、これとどうやって折り合いをつけるかという観点から政策立案をすべきであり、多極化する世界のグローバルガバナンスという観点からは、単に中国封じ込めということでは物事は動かない。
国際ルール形成においてソフトローが増加している現状を踏まえ、通商法専門家の中には「明確なルールを導入すべし」との提言を行う者もあるが(Mavroidis and Sapir)、これは国際社会の価値の多極化や、折り合いがつかない領域などが拡大していることを反映した現象と言える。「明確なルールの導入」については、「言うは易し、行うは難し」であり、むしろ重要なのは多様な国家体制との共存を本気で考え、インターフェースルールの工夫をすべきである。
最後に、‘level playing field’について補足しておきたい。これは多義的に使われる都合の良い概念であり、正当化を偽装する意図の下に使われる場合もある。よって、これを使用する政策文書や論文を見る際は、どのような文脈で使われているかを検証する姿勢を持つべきであるという点について申し添えたい。