(7) 軍民が総力で挑む対ロシア情報戦
掲載日:2022年6月17日
英国王立防衛安全保障研究所(RUSI) 日本特別代表
秋元 千明
先日、ポーランドの首都、ワルシャワで開かれたNATO軍司令部と欧州シンクタンクの会合に参加する機会を得た。この会合はウクライナ戦争の現況についてNATO軍司令部の情報担当者から説明を受け、戦況の分析と今後の展開について専門家同士が意見を交わすものだった。
そこで強く印象を受けたのは、西側諸国は軍と民間が協力して、様々な形で戦争に関与しているという現実であった。
情報という武器の提供
確かにウクライナ戦争を表面的にみれば、西側諸国は武器の提供をウクライナに対して行っているだけで、直接的な介入はしていないように見える。
しかし、果たして本当にそうなのだろうか。確かに義勇兵を除けばウクライナ領内でロシア軍と戦っている西側の兵士はいない。ただし、介入していないということは関与していないということを意味しない。
ロシアが侵攻した時、ウクライナではすでに米国、英国、カナダの特殊部隊が活動していたことはあまり知られていない。彼らは、ロシアが2014年にクリミアを併合して以来、ウクライナ軍を西側の近代的な軍隊に変えるため、兵士の教育、訓練にあたってきた。
しかも、その訓練のカリキュラムは単なる戦術や武器使用といった軍事面だけではなく、心理作戦や電子戦、情報戦など現代戦において重要な領域までカバーしている。特に情報戦については、米国、英国は情報機関のスタッフをウクライナに派遣し、ウクライナ情報当局と協力関係を構築してきた。
彼らはロシアがウクライナに侵攻する直前までウクライナ国内で活動していたが、侵攻後、完全になりを潜めた。ただし、彼らは今でもウクライナ国内でウクライナを支援するために極秘に活動しているのである。
それなら彼らは今、なにをしているのか。実はウクライナ軍の参謀本部や情報局でNATOや西側諸国との連絡官として活動している。
具体的に指摘すると、ウクライナ軍に作戦面でのアドバイスを与えることや、ロシア軍に関する西側情報の提供、通信の妨害と傍受、心理作戦としての情報の発信、ゼレンスキー大統領らウクライナ首脳部の安全確保、西側から供与された兵器の搬入の支援などである。
例えば、ウクライナ軍がロシア軍の戦車や装甲車両を対戦車ミサイルで次々と撃破していく光景がSNSやニュース映像でよく紹介されるが、あれは決してウクライナ軍が偶然遭遇したロシア軍の部隊をやみくもに攻撃しているわけではない。
ロシア軍機を対空ミサイルで撃墜した時も、黒海のロシア軍艦を対艦ミサイルで撃沈した時も同様である。その裏側で情報を提供しているのは常に西側である。
実はウクライナとの国境に近いポーランド上空や黒海上空の国際空域にはNATO軍や米軍のAWACS(空中警戒管制機)や偵察機が常に飛行している。また、黒海の国際水域にもNATO諸国の情報収集艦が遠巻きに展開し、常にロシア軍の動向に目を光らせている。こうして得た情報はウクライナ国内にいる西側の連絡官にリアルタイムで送られ、連絡官はこうした情報を取捨選択しながらウクライナ側に提供している。
そして、その情報をもとにウクライナ軍は対象となる地域にドローンや偵察兵を展開させて目標を確認し、攻撃を行うのである。
最近、ロシア軍の戦車がウクライナ軍の榴弾砲によって破壊される映像が公開されていた。西側が提供した位置情報をもとに、ウクライナ軍がドローンや兵士を現地に送り、目標にレーザーを照射してレーザー誘導の砲弾を命中させている光景だった。
また、ロシア軍の将官級の将校が現地で次々と戦死しているが、これも同様である。通信の傍受によってロシア軍将校の動きを察知し、その情報をロシア軍の車両の動きに関する情報と合わせて分析する。その上で、ロシア軍将校の位置を特定し、現地に狙撃兵を送り、遠方から狙い撃ちする作戦である。
つまり、ウクライナ軍がロシア軍に対して正確なピンポイント攻撃を行える背景には、西側が様々な軍事情報を提供している事実がある。
このようにウクライナ軍による軍事作戦をみるだけでも、米国、英国を中心に情報という武器を使った西側の関与が見えないところでかなり大規模に行われていることが推察できる。
シンクタンクが仕切る情報戦
ウクライナという狭い領域から離れて、国際社会という空間に目を転じると、西側によるウクライナ支援のための情報作戦はとてつもない規模で行われていることに改めて驚かされる。
ウクライナ戦争では、ロシアが侵攻を開始する前から、それを察知した米英の情報機関が中心となって、機密情報を西側メディアなどにリークし、それによってロシアの計画を狂わせようとする情報戦が行われていたことはよく知られている。
実はその中心的な役割を果たしているのが民間のシンクタンクである。
英国のRUSI(英国王立防衛安全保障研究所)と米国のISW(戦争研究所)がその一翼を担っている。筆者はRUSIの上級スタッフという立場上、ここで詳しく述べることは避けるが、例えば、英国政府の情報部門は定期的にシンクタンクの専門家を集めて非公式にブリーフィングを行っている。その時に提供された情報はもちろんシンクタンクの研究報告に反映されるが、同時にメディアにもリークされる。政府が直接リークするのではなく、シンクタンクを介して行わることが多い。専門家というフィルターを通して情報を公開したほうが、社会的にも信頼され、情報の拡散効果も大きいという判断からである。
具体的な例でいうと、ロシアが侵攻を開始する前、世界の多くのメディアや研究者は「ロシアの侵攻などあり得ない」という見解を発信していた。
そうした中で、RUSIだけは2月15日、侵攻開始の9日前、「ウクライナ破壊の陰謀」と題した報告書をネット上に掲載し(図1)、ロシアがウクライナ全土の征服を目指した全面侵攻を始めるという分析を明らかにした。報告書は、ロシアはウクライナ北部、東部、南部から侵攻を開始するとして、地図を添付してロシアの侵攻ルートまで詳細に明らかにした(図2)。
それらはすべて実際の侵攻ルートとほぼ重なり、RUSIの正確な分析が高い評価を得た。
米国では、それまで一般的には名前すら知られていなかったISWがほぼ毎日、実際の戦況や今後の見通しを分析し、ネット上に発信している。これを受けて、世界のほとんどのメディアが、ISWの戦況分析をもとにウクライナ戦争の進捗を報道している。本来は一つのシンクタンクでしかないISWの報告はまるで米国防総省が毎日行っているブリーフィングのように正確であり、実際、その情報をベースにメディアは国防総省の記者会見に臨んでいる。
このように、ウクライナ戦争では、その戦況の分析など様々な情報をわかりやすく伝えるため、専門家集団のシンクタンクが当局とメディアの間に入って、情報発信の架け橋の役割を果たしている点が注目される。
支援する民間情報産業
情報発信という意味でもう一つ注目されるのは、オープンソース(公開情報)をもとに情報を分析し、ロシア政府が発信する偽情報やプロパガンダを打ち破ろうとする動きがあることだ。
ウクライナ戦争では、ウクライナ軍の各部隊や政府など様々な部局がTwitterやFacebook、TelegramといったSNSを通じて、戦況など様々な情報を公開している。その量は膨大であり、とても一般人が個別に拾い切れるものではない。また、どの情報も戦争が自軍に有利に進んでいることを強調しているので割り引いて受け止める必要がある。したがって、専門家の集団が情報の信頼度を精査し、確度の高い情報に絞ってわかりやすく発信することが必要になる。
そこで登場したのが、ネット上の民間情報機関とまで言われる「ベリング・キャット(Belling Cat)」である。
ベリング・キャットはロシア軍がウクライナ近郊の町、ブチャで行った民間人に対する殺戮行為を告発するため、多くの公開映像を徹底的に分析した。
4月上旬、ロシア軍が撤退した後、ウクライナ軍がブチャに入ると、多くの民間人の遺体が街頭で見つかった。キャリーカートを引き摺って家族で移動途中に銃撃された人、自転車に乗っているところを撃たれた人、なかには自宅から路上に引きずり出されて、後ろ手に縛られたまま頭部を撃ち抜かれた人までいた。こうした事実をブチャに入った西側報道機関は単に映像だけではなく、多くの住民に直接インタビューし、証言を得て報道している。
これに対して、ロシア政府は「殺戮行為はウクライナ政府がでっち上げた偽情報で、映像も遺体も偽物だ」と主張して反論した。偽情報の発信をお家芸とするロシアに「フェイクニュース」と批判されること自体、笑止と言えるが、それでもベリング・キャットは公開情報をもとにロシアに徹底的に反論した。
この事件について、ロシアは「ロシア軍がブチャにいた際は市民は自由に移動できた。遺体はロシアが撤退したあと置かれ、しかも生きている人間が遺体のふりをして横たわっているだけだ」などと主張し、実際に遺体が動いたとされる動画まで公開した。
これに対して、ベリング・キャットはロシア側の報道やSNSに掲載された映像の時間データをもとに、遺体はロシア軍がブチャにいた際にすでに街頭にあったことを論証した。また、ロシアが「遺体が動いた」と主張する動画について、ベリング・キャットは「動画を撮影した際、カメラの前の車のフロントガラスについた水滴の移動や車のサイドミラーのゆがみによってそう見えるだけにすぎない」と反論し、解像度や色彩などを補正した動画を公開して、ロシアの主張に根拠がないことを論証してみせたのである。
ベリング・キャットが公開情報による情報分析(OSINT)を専門としているのに対して、信号情報(SIGINT)を専門に扱うサイトも登場した。西側の情報機関で活動した経験のあるスタッフが運営してところが多い。
それがシャドウ・ブレイク(ShadowBreak Intl.)やプロジェクトオウル(ProjectOwl)、ウクライナ・ラジオ・ウォッチャーズ(UkranianRadioWatchers)、NSRIC(Numbers Stations Research and Information Center)などである。
これらのサイトにはウクライナ軍やアマチュア無線家などが傍受したと思われる多くのロシア軍の通信が音声として掲載されている。
「早く燃料を持ってこい」「火に囲まれている」「救援の航空機を早くよこせ」などの会話が収録されていて、全体として、ロシア軍の兵站補給のお粗末さや、ロシア兵の士気の低さをうかがわせる情報が多い。
そして、なにより、なぜロシア軍はこの時代に、軍用のデジタル通信ではなく、誰でも簡単に傍受できる暗号化されていない一般のアナログ通信を使って交信しているのかという素朴な疑問に突き当たる。
NATO情報筋によれば、その原因はロシア軍の軍事用デジタルトランシーバーに不具合が多く、すべての部隊に配備することができなかったこと、ロシア軍がウクライナの通信施設を完全に破壊してしまったため、ERAと呼ばれるロシアの軍事衛星を介したインターネット回線が利用できなくなってしまったことが主な理由であるという。
一般的に言って軍事作戦では、敵の通信網や電力供給網、道路輸送網など重要な社会インフラは温存し、逆に利用することによって作戦を円滑に進めることが必要である。なんでも無差別に破壊した結果、ロシア軍は自縄自縛に陥ったのである。
そのため、前線のロシア軍部隊の将校は上層部への報告に、ウクライナの通信会社のSIMカード付き携帯電話を使ったり、部隊間の通信には一般の通販サイトで売られている安価な民生用の中国製トランシーバを使っているという。これでは通信の内容がウクライナ側に筒抜けになってあたり前である。
ただ、最近はロシア軍も代替のデジタル通信機を拡充しているため、通信の傍受は以前ほど簡単ではいらしい。
さらに、戦闘でロシア軍とウクライナ軍にそれぞれどの程度の被害が出ているのかについて詳細に分析、発信しているのは、軍事情報サイトのオリックス(Oryx)である。
オリックスは西側諸国の政府の発表や研究機関の分析に加えて、ウクライナ戦争の現場からSNSなどを通じて発信された様々な画像や動画を分析し、ウクライナ軍とロシア軍が戦闘で損害を受けた装備を算出して掲載している。
その内容は、戦車から航空機まで大型装備をすべて網羅している。
例えば2022年6月7日の時点で破壊された戦車はロシアが761両、ウクライナが191両と算出している。ただ、すべての損害が画像情報としてSNSなどに掲載されているわけではないし、ロシア側の損害が好んで多く掲載されている傾向もあるだろう。しかし、実数が正確か否かは問題ではなく、傾向をつかむことが重要である。明らかにロシア側の損害のほうが多く、ロシア軍が苦戦を強いられていることがオリックスのサイトから読み取ることができる。
そして、これらの情報にウクライナ国民の誰でも自由にアクセスできるよう協力しているのが米国の民間衛星企業、スペースX社である。
スペースX社は軌道上に多くのスターリンク衛星を配置し、衛星回線を運用している。そして、その回線をウクライナ政府に提供し、軍事作戦のための通信手段として衛星を自由に使うことを認めている。また、戦闘で民間の通信インフラが破壊された地域では、代わりとなる電話やネット回線として、一般市民にもスターリンク衛星を使えるように便宜を図っている。
このようにウクライナ戦争においては、ロシアは「ウクライナ政府はNATOが支援するネオナチ政権だ」などと根拠のないプロパガンダを流布して、ウクライナ侵略を正当化しようとしている。
これに対して、ウクライナと西側諸国は軍と民間が協力して、総力で正確な情報を大量に発信して、ロシアの情報戦に対抗しようとしている。
ウクライナ戦争は事実と虚偽、正義と不正義が真正面から衝突する近現代では非常に珍しいわかりやすい構図の戦争のように思える。
執筆者プロフィール
秋元 千明(あきもと ちあき)
英国王立防衛安全保障研究所 (RUSI) 日本特別代表
早稲田大学卒業後、NHK入局。以来、30年以上にわたって、軍事・安全保障専門の国際記者、解説委員を務める。冷戦時代は東西軍備管理問題、冷戦後は湾岸戦争、ユーゴスラビア紛争、北朝鮮核問題、同時多発テロ、イラク戦争などを専門的に取材した。一方、RUSIでは1992年に客員研究員、2009年に日本人初のアソシエイトフェローに指名された。2012年、RUSI Japan (アジア本部)の設立に伴いNHKを退職し、アジア本部所長に就任。2019年からRUSI日本特別代表。現在、大阪大学大学院招聘教授、拓殖大学大学院非常勤講師も務めている。著書として「復活!日英同盟」(CCCメディアハウス)「戦略の地政学」(ウェッジ)等。
英国王立防衛安全保障研究所(RUSI) 日本特別代表
秋元 千明
先日、ポーランドの首都、ワルシャワで開かれたNATO軍司令部と欧州シンクタンクの会合に参加する機会を得た。この会合はウクライナ戦争の現況についてNATO軍司令部の情報担当者から説明を受け、戦況の分析と今後の展開について専門家同士が意見を交わすものだった。
そこで強く印象を受けたのは、西側諸国は軍と民間が協力して、様々な形で戦争に関与しているという現実であった。
情報という武器の提供
確かにウクライナ戦争を表面的にみれば、西側諸国は武器の提供をウクライナに対して行っているだけで、直接的な介入はしていないように見える。
しかし、果たして本当にそうなのだろうか。確かに義勇兵を除けばウクライナ領内でロシア軍と戦っている西側の兵士はいない。ただし、介入していないということは関与していないということを意味しない。
ロシアが侵攻した時、ウクライナではすでに米国、英国、カナダの特殊部隊が活動していたことはあまり知られていない。彼らは、ロシアが2014年にクリミアを併合して以来、ウクライナ軍を西側の近代的な軍隊に変えるため、兵士の教育、訓練にあたってきた。
しかも、その訓練のカリキュラムは単なる戦術や武器使用といった軍事面だけではなく、心理作戦や電子戦、情報戦など現代戦において重要な領域までカバーしている。特に情報戦については、米国、英国は情報機関のスタッフをウクライナに派遣し、ウクライナ情報当局と協力関係を構築してきた。
彼らはロシアがウクライナに侵攻する直前までウクライナ国内で活動していたが、侵攻後、完全になりを潜めた。ただし、彼らは今でもウクライナ国内でウクライナを支援するために極秘に活動しているのである。
それなら彼らは今、なにをしているのか。実はウクライナ軍の参謀本部や情報局でNATOや西側諸国との連絡官として活動している。
具体的に指摘すると、ウクライナ軍に作戦面でのアドバイスを与えることや、ロシア軍に関する西側情報の提供、通信の妨害と傍受、心理作戦としての情報の発信、ゼレンスキー大統領らウクライナ首脳部の安全確保、西側から供与された兵器の搬入の支援などである。
例えば、ウクライナ軍がロシア軍の戦車や装甲車両を対戦車ミサイルで次々と撃破していく光景がSNSやニュース映像でよく紹介されるが、あれは決してウクライナ軍が偶然遭遇したロシア軍の部隊をやみくもに攻撃しているわけではない。
ロシア軍機を対空ミサイルで撃墜した時も、黒海のロシア軍艦を対艦ミサイルで撃沈した時も同様である。その裏側で情報を提供しているのは常に西側である。
実はウクライナとの国境に近いポーランド上空や黒海上空の国際空域にはNATO軍や米軍のAWACS(空中警戒管制機)や偵察機が常に飛行している。また、黒海の国際水域にもNATO諸国の情報収集艦が遠巻きに展開し、常にロシア軍の動向に目を光らせている。こうして得た情報はウクライナ国内にいる西側の連絡官にリアルタイムで送られ、連絡官はこうした情報を取捨選択しながらウクライナ側に提供している。
そして、その情報をもとにウクライナ軍は対象となる地域にドローンや偵察兵を展開させて目標を確認し、攻撃を行うのである。
最近、ロシア軍の戦車がウクライナ軍の榴弾砲によって破壊される映像が公開されていた。西側が提供した位置情報をもとに、ウクライナ軍がドローンや兵士を現地に送り、目標にレーザーを照射してレーザー誘導の砲弾を命中させている光景だった。
また、ロシア軍の将官級の将校が現地で次々と戦死しているが、これも同様である。通信の傍受によってロシア軍将校の動きを察知し、その情報をロシア軍の車両の動きに関する情報と合わせて分析する。その上で、ロシア軍将校の位置を特定し、現地に狙撃兵を送り、遠方から狙い撃ちする作戦である。
つまり、ウクライナ軍がロシア軍に対して正確なピンポイント攻撃を行える背景には、西側が様々な軍事情報を提供している事実がある。
このようにウクライナ軍による軍事作戦をみるだけでも、米国、英国を中心に情報という武器を使った西側の関与が見えないところでかなり大規模に行われていることが推察できる。
シンクタンクが仕切る情報戦
ウクライナという狭い領域から離れて、国際社会という空間に目を転じると、西側によるウクライナ支援のための情報作戦はとてつもない規模で行われていることに改めて驚かされる。
ウクライナ戦争では、ロシアが侵攻を開始する前から、それを察知した米英の情報機関が中心となって、機密情報を西側メディアなどにリークし、それによってロシアの計画を狂わせようとする情報戦が行われていたことはよく知られている。
実はその中心的な役割を果たしているのが民間のシンクタンクである。
英国のRUSI(英国王立防衛安全保障研究所)と米国のISW(戦争研究所)がその一翼を担っている。筆者はRUSIの上級スタッフという立場上、ここで詳しく述べることは避けるが、例えば、英国政府の情報部門は定期的にシンクタンクの専門家を集めて非公式にブリーフィングを行っている。その時に提供された情報はもちろんシンクタンクの研究報告に反映されるが、同時にメディアにもリークされる。政府が直接リークするのではなく、シンクタンクを介して行わることが多い。専門家というフィルターを通して情報を公開したほうが、社会的にも信頼され、情報の拡散効果も大きいという判断からである。
具体的な例でいうと、ロシアが侵攻を開始する前、世界の多くのメディアや研究者は「ロシアの侵攻などあり得ない」という見解を発信していた。
そうした中で、RUSIだけは2月15日、侵攻開始の9日前、「ウクライナ破壊の陰謀」と題した報告書をネット上に掲載し(図1)、ロシアがウクライナ全土の征服を目指した全面侵攻を始めるという分析を明らかにした。報告書は、ロシアはウクライナ北部、東部、南部から侵攻を開始するとして、地図を添付してロシアの侵攻ルートまで詳細に明らかにした(図2)。
それらはすべて実際の侵攻ルートとほぼ重なり、RUSIの正確な分析が高い評価を得た。
米国では、それまで一般的には名前すら知られていなかったISWがほぼ毎日、実際の戦況や今後の見通しを分析し、ネット上に発信している。これを受けて、世界のほとんどのメディアが、ISWの戦況分析をもとにウクライナ戦争の進捗を報道している。本来は一つのシンクタンクでしかないISWの報告はまるで米国防総省が毎日行っているブリーフィングのように正確であり、実際、その情報をベースにメディアは国防総省の記者会見に臨んでいる。
このように、ウクライナ戦争では、その戦況の分析など様々な情報をわかりやすく伝えるため、専門家集団のシンクタンクが当局とメディアの間に入って、情報発信の架け橋の役割を果たしている点が注目される。
支援する民間情報産業
情報発信という意味でもう一つ注目されるのは、オープンソース(公開情報)をもとに情報を分析し、ロシア政府が発信する偽情報やプロパガンダを打ち破ろうとする動きがあることだ。
ウクライナ戦争では、ウクライナ軍の各部隊や政府など様々な部局がTwitterやFacebook、TelegramといったSNSを通じて、戦況など様々な情報を公開している。その量は膨大であり、とても一般人が個別に拾い切れるものではない。また、どの情報も戦争が自軍に有利に進んでいることを強調しているので割り引いて受け止める必要がある。したがって、専門家の集団が情報の信頼度を精査し、確度の高い情報に絞ってわかりやすく発信することが必要になる。
そこで登場したのが、ネット上の民間情報機関とまで言われる「ベリング・キャット(Belling Cat)」である。
ベリング・キャットはロシア軍がウクライナ近郊の町、ブチャで行った民間人に対する殺戮行為を告発するため、多くの公開映像を徹底的に分析した。
4月上旬、ロシア軍が撤退した後、ウクライナ軍がブチャに入ると、多くの民間人の遺体が街頭で見つかった。キャリーカートを引き摺って家族で移動途中に銃撃された人、自転車に乗っているところを撃たれた人、なかには自宅から路上に引きずり出されて、後ろ手に縛られたまま頭部を撃ち抜かれた人までいた。こうした事実をブチャに入った西側報道機関は単に映像だけではなく、多くの住民に直接インタビューし、証言を得て報道している。
これに対して、ロシア政府は「殺戮行為はウクライナ政府がでっち上げた偽情報で、映像も遺体も偽物だ」と主張して反論した。偽情報の発信をお家芸とするロシアに「フェイクニュース」と批判されること自体、笑止と言えるが、それでもベリング・キャットは公開情報をもとにロシアに徹底的に反論した。
この事件について、ロシアは「ロシア軍がブチャにいた際は市民は自由に移動できた。遺体はロシアが撤退したあと置かれ、しかも生きている人間が遺体のふりをして横たわっているだけだ」などと主張し、実際に遺体が動いたとされる動画まで公開した。
これに対して、ベリング・キャットはロシア側の報道やSNSに掲載された映像の時間データをもとに、遺体はロシア軍がブチャにいた際にすでに街頭にあったことを論証した。また、ロシアが「遺体が動いた」と主張する動画について、ベリング・キャットは「動画を撮影した際、カメラの前の車のフロントガラスについた水滴の移動や車のサイドミラーのゆがみによってそう見えるだけにすぎない」と反論し、解像度や色彩などを補正した動画を公開して、ロシアの主張に根拠がないことを論証してみせたのである。
ベリング・キャットが公開情報による情報分析(OSINT)を専門としているのに対して、信号情報(SIGINT)を専門に扱うサイトも登場した。西側の情報機関で活動した経験のあるスタッフが運営してところが多い。
それがシャドウ・ブレイク(ShadowBreak Intl.)やプロジェクトオウル(ProjectOwl)、ウクライナ・ラジオ・ウォッチャーズ(UkranianRadioWatchers)、NSRIC(Numbers Stations Research and Information Center)などである。
これらのサイトにはウクライナ軍やアマチュア無線家などが傍受したと思われる多くのロシア軍の通信が音声として掲載されている。
「早く燃料を持ってこい」「火に囲まれている」「救援の航空機を早くよこせ」などの会話が収録されていて、全体として、ロシア軍の兵站補給のお粗末さや、ロシア兵の士気の低さをうかがわせる情報が多い。
そして、なにより、なぜロシア軍はこの時代に、軍用のデジタル通信ではなく、誰でも簡単に傍受できる暗号化されていない一般のアナログ通信を使って交信しているのかという素朴な疑問に突き当たる。
NATO情報筋によれば、その原因はロシア軍の軍事用デジタルトランシーバーに不具合が多く、すべての部隊に配備することができなかったこと、ロシア軍がウクライナの通信施設を完全に破壊してしまったため、ERAと呼ばれるロシアの軍事衛星を介したインターネット回線が利用できなくなってしまったことが主な理由であるという。
一般的に言って軍事作戦では、敵の通信網や電力供給網、道路輸送網など重要な社会インフラは温存し、逆に利用することによって作戦を円滑に進めることが必要である。なんでも無差別に破壊した結果、ロシア軍は自縄自縛に陥ったのである。
そのため、前線のロシア軍部隊の将校は上層部への報告に、ウクライナの通信会社のSIMカード付き携帯電話を使ったり、部隊間の通信には一般の通販サイトで売られている安価な民生用の中国製トランシーバを使っているという。これでは通信の内容がウクライナ側に筒抜けになってあたり前である。
ただ、最近はロシア軍も代替のデジタル通信機を拡充しているため、通信の傍受は以前ほど簡単ではいらしい。
さらに、戦闘でロシア軍とウクライナ軍にそれぞれどの程度の被害が出ているのかについて詳細に分析、発信しているのは、軍事情報サイトのオリックス(Oryx)である。
オリックスは西側諸国の政府の発表や研究機関の分析に加えて、ウクライナ戦争の現場からSNSなどを通じて発信された様々な画像や動画を分析し、ウクライナ軍とロシア軍が戦闘で損害を受けた装備を算出して掲載している。
その内容は、戦車から航空機まで大型装備をすべて網羅している。
例えば2022年6月7日の時点で破壊された戦車はロシアが761両、ウクライナが191両と算出している。ただ、すべての損害が画像情報としてSNSなどに掲載されているわけではないし、ロシア側の損害が好んで多く掲載されている傾向もあるだろう。しかし、実数が正確か否かは問題ではなく、傾向をつかむことが重要である。明らかにロシア側の損害のほうが多く、ロシア軍が苦戦を強いられていることがオリックスのサイトから読み取ることができる。
そして、これらの情報にウクライナ国民の誰でも自由にアクセスできるよう協力しているのが米国の民間衛星企業、スペースX社である。
スペースX社は軌道上に多くのスターリンク衛星を配置し、衛星回線を運用している。そして、その回線をウクライナ政府に提供し、軍事作戦のための通信手段として衛星を自由に使うことを認めている。また、戦闘で民間の通信インフラが破壊された地域では、代わりとなる電話やネット回線として、一般市民にもスターリンク衛星を使えるように便宜を図っている。
このようにウクライナ戦争においては、ロシアは「ウクライナ政府はNATOが支援するネオナチ政権だ」などと根拠のないプロパガンダを流布して、ウクライナ侵略を正当化しようとしている。
これに対して、ウクライナと西側諸国は軍と民間が協力して、総力で正確な情報を大量に発信して、ロシアの情報戦に対抗しようとしている。
ウクライナ戦争は事実と虚偽、正義と不正義が真正面から衝突する近現代では非常に珍しいわかりやすい構図の戦争のように思える。
執筆者プロフィール
秋元 千明(あきもと ちあき)
英国王立防衛安全保障研究所 (RUSI) 日本特別代表
早稲田大学卒業後、NHK入局。以来、30年以上にわたって、軍事・安全保障専門の国際記者、解説委員を務める。冷戦時代は東西軍備管理問題、冷戦後は湾岸戦争、ユーゴスラビア紛争、北朝鮮核問題、同時多発テロ、イラク戦争などを専門的に取材した。一方、RUSIでは1992年に客員研究員、2009年に日本人初のアソシエイトフェローに指名された。2012年、RUSI Japan (アジア本部)の設立に伴いNHKを退職し、アジア本部所長に就任。2019年からRUSI日本特別代表。現在、大阪大学大学院招聘教授、拓殖大学大学院非常勤講師も務めている。著書として「復活!日英同盟」(CCCメディアハウス)「戦略の地政学」(ウェッジ)等。