北東アジア・識者の寄稿シリーズ (2)
中国はなぜ覇権主義に突き進むのか
中国はなぜ覇権主義に突き進むのか
掲載日:2021年6月2日
敬愛大学経済学部 教授
藪内 正樹
1. 厳しい対中姿勢を確認した日米首脳共同声明
4月16日の菅首相とバイデン大統領による日米首脳共同声明は、中国に対して大変厳しい内容となった。その共同声明は、次のように始まる (※1) 。
次に、「自由で開かれたインド太平洋を形作る日米同盟」と題し、安全保障に関する基本合意を述べている。
上記の記述から、冒頭の「国際秩序への挑戦」とは、主権及び領土に対する威圧であるとし、これに対抗するため、日本は防衛力強化を表明し、米国は核抑止力に言及している。それは、インド太平洋地域が核による威圧に晒されているとの認識を表している。
続く部分で、上記の挑戦や威圧は、中国によるものだと言明した。
以上の通り、共同声明の前半では、多岐にわたる中国の挑戦を抑止することを、日米同盟の課題とした。前半の最後で、北朝鮮の非核化と拉致問題の即時解決、ミャンマー国軍及び警察の暴力停止と被拘束者の解放へのコミットメントも確認したが、大半は中国の抑止であり、自由で開かれたインド太平洋の構築のため日米豪印(クワッド)を通じて協働し、ASEANの一体性と中心性を支持し、日米韓の協力も不可欠とする、中国に対して極めて厳しい内容となっている。
共同声明の後半は、「新たな時代における同盟」と題し、持続可能な、包摂的で、健康で、グリーンな世界経済の復興を日米両国が主導すると宣言した。その内容は、(1) 競争力及びイノベーション、(2) 新型コロナウイルス感染症対策、国際保健・健康安全保障、(3) 気候変動、クリーンエネルギー、グリーン成長・復興としている。そして、(2)、(3)はグローバルな進展を目指すとしたが、(1)はデジタル経済、次世代通信技術、半導体を含む機微なサプライチェーンについて、日米及び他のパートナーと連携するとしていることから、目的は中国の挑戦を抑止することである。
2. 西側諸国に共有された安全保障上の懸念
日米首脳共同声明が明確にした中国への懸念は、より広範な国際社会の共通認識となっている。その一つが、2006年に安倍首相が提唱した、日米豪印による戦略対話(クワッド)である。トランプ政権時代に動き始め、2018年から海上自衛隊と米国にインド軍を加えた合同訓練が行われ、2020年11月には豪州海軍が加わった。日米首脳共同声明も、クワッドを通じて協働していくと述べている。
また、今春以降、英国は空母打撃群を、フランス、ドイツ、オランダはフリゲート艦を、インド太平洋地域へ派遣することを表明している。かつてアジアを植民地化した旧宗主国や、欧州主要国で最も緊密な貿易投資関係を持つドイツまで海軍を派遣することは、第二次世界大戦以来の大きな地政学的変化と言うことができる。ドイツ国防相は「21世紀に入って、国際政治・経済の重心は大西洋からインド・太平洋地域に移りつつある」「この地域を通過する貨物輸送路は、EUにとっても重要だ」と述べている (※2) 。
安全保障分野では、西側諸国は中国への厳しい姿勢で足並みを揃えつつある。インドも非同盟の原則を守りつつ、中国の覇権主義化に応じて米国と接近し、クワッドに参加した。
経済分野では、米中衝突が激化する中、EUは対中関係の強化に積極的だった。2020年末にEU中国包括的投資協定が大筋合意されたことは、米国にとって衝撃となった。EUと米国を分断する中国の外交成果とも言えるが、2021年3月、後述するウイグル人権問題をめぐり、EUが中国当局者への制裁を決め、中国が報復制裁を行ったことから、欧州議会は5月、批准のための審議凍結を、賛成599、反対30、棄権58で決定した。
3. 西側諸国の反発を招いてきた中国外交
安全保障面で中国抑止の厳しい姿勢を西側諸国が共有するに至ったのは、中国が自ら招いた結果としか言いようがない。
4. 習近平政権の性格と共産主義と中華思想による複合覇権主義
中国による国際秩序への挑戦とは、自国中心の国際秩序を打ち立てる試みであり、南シナ海や中印国境での動きも含め、覇権主義に他ならない。中国はなぜ覇権主義に突き進むのか。それは、習近平政権によって加速されたとしても、根本的には、2000年来の中華思想の土台の上にマルクス・レーニン主義を重ねて構築した毛沢東思想と、それを継承した中国共産党の政治理論による必然的な結果である。中国共産党の政治理論は、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表(江沢民)、科学的発展観(胡錦濤)、習近平思想という歴代指導者の理論を並べ、その連続性と発展性によって正当性を主張している。
毛沢東は、春秋戦国以来の歴史と思想に精通し、農民中心の革命方式や軍事理論を構築し、ソ連の全面的支援の下で、清朝以来の統一国家を実現した。フルシチョフ・ソ連第一書記がスターリンを批判し、米国との平和共存路線に転じると、毛沢東はソ連を修正主義と非難し、1960年、中ソ関係は決裂した。1970年代に入り、互いにソ連と敵対する米国と中国は、米国が泥沼化したベトナム戦争から抜け出すため中国の協力を必要としたこともあって接近した。1972年、ニクソン米大統領が北京の毛沢東を訪問し、1978年に米中は国交を樹立した。それからオバマ政権末期までの米国政府は、中国が経済発展すれば価値観を共有するパートナーになると考えて経済発展を支援し、軍事面での協力も行なってきた。また、1976年に毛が没した後、大躍進政策や文化大革命の悲惨な実態が明らかになるまで、毛沢東思想がソ連に失望した世界の左翼を引きつけた時期もあった。
毛の死後、1978年から鄧小平が始めた改革開放によって、中国は飛躍的な経済発展の道を歩み始めた。改革開放、つまり社会主義と市場経済の複合路線は、「社会主義市場経済」あるいは「中国の特色ある社会主義」と呼ばれている。
1991年にソ連が崩壊した際、中国が社会主義圏の盟主になるべきだという党内の意見に対し、鄧小平は、「韜光養晦(とうこうようかい.才能を隠して力を養う)」「有所作為(できる範囲のことをする)」という外交方針を示した。この方針は、力に応じて行動するという意味であり、国際協調路線では全くない。実際、1982年には海軍司令員の劉華清に、2010年までに第1列島線(南シナ海全域)内、2020年までに第2列島線(小笠原、グアム、サイパン、パプアニューギニア)以西で、米海軍の接近を拒否する能力を築くという海軍発展戦略を作成させている。また1992年には、南シナ海全域や尖閣諸島を中国の領土・領海と規定する領海法を制定した。そして、中国のGDPが日本を抜いて米国に次ぐ2位になる見通しが立った2009年、胡錦濤国家主席は北京に集めた外交官を前に、「韜光養晦」の後の「有所作為」に「積極」の2文字を付けて外交の積極化を指示し、翌年には「南シナ海は中国の核心的利益」との発言を行なったのである。
毛沢東が確立した中国共産党の政治思想は、皇帝を中心に文明の高みを築けば天下は全て従う、という中華思想を根底としている。古代には長江文明と黄河文明があったが、統一王朝が成立したのは黄河中流域で、そこを中原と呼ぶようになった。湿潤な南方と違って黄河流域は乾燥し、陸路の移動に便利だったため、周辺の異民族が集まって交易が盛んになった。城内の治安を維持すれば、交易が盛んとなって富が蓄積された。戦国時代を統一した秦の始皇帝は、漢字や度量衡を統一し、法家の律令と中央集権制によって、広大な統一市場を実現したのである。話し言葉と無関係な表意文字も、異民族の交易には好適だった。漢代には、儒学によって社会秩序が制度化され、極めて効率的で安定的な専制統治システムが完成した。それ以降、歴代王朝は、軍事的に優越していた北方遊牧民や半農半猟民族がしばしば征服したが、統治システムと表意文字だけは継承された。つまり、中華文明の本質は、民族や生業とは無関係な、統治システムと表意文字である。個人の死生観と道徳観は、宗族(親戚)の中で完結し、処世は人脈形成、そして政治は始皇帝以来の専制統治システムという、互いに独立した3階層のメカニズムが重なって、中国の国家、社会は成り立っている。その文明では、天下の中心は唯一の専制権力であり、一時的に複数の権力が存在しても、やがて統一されてきた。
国際秩序の基となる国際法は、1648年、三十年戦争に疲弊した欧州で、それ以上の戦争や紛争を回避するため締結されたヴェストファーレン条約から始まった。一方の中華文明では、国際秩序と言えば華夷秩序、力に応じた従属関係しかなかった。既存の国際秩序に対し、力が足りないと思えば従うが、力がついたと思えば従わない理由は、歴史的に華夷秩序の経験しかないからである。
鄧小平理論は、「条件のある者は先に豊かになって良い。豊かになって遅れた者を引き上げれば良い」という「先富論」を掲げ、毛沢東時代は否定されていた個人の欲望を肯定したのである。また、市場を開いて外資を招き入れ、技術・ノウハウ・販路を獲得して経済を発展させ、「世界の工場」「世界の市場」と称される世界第2の経済を築いた (※8) 。
江沢民政権の最後、2002年11月に党規約に盛り込まれた「三つの代表」は、中国共産党を「労働者農民の前衛党」から「(1) 社会生産力の発展の要求、(2) 文化の前進の方向、(3) 最も広範な人民の基本的利益」の三つを代表するものと変更した。この変更を端的に解説すれば、資産階級でも共産党員になれる、または共産党員が資産階級になっても良いという意味であり、党幹部の欲望を肯定したのである。
胡錦濤政権が掲げた「科学的発展観」は、経済成長が生む構造的な歪みを正すため、産業構造、経済と環境、国際関係などの調和を目指すというものだった。しかし、この緩やかな課題設定は大きな成果を産まず、腐敗だけは悪化した。
そして習近平政権は、腐敗による民心の離反を恐れて未曾有の腐敗撲滅を展開すると同時に、その負の圧力を相殺するかのように、中国は建国期、発展期に続く強国期に入ったとして、建国100周年の2049年までに社会主義現代強国を築くと宣言した。そして、これを「中華民族の偉大な復興」という「中国の夢」と称した。「中国の夢」は、2010年に出版された国防大学劉明福教授の同名の書籍から採用されたと考えられており、同書も分析対象としたピルズベリーは『China2049』で、習主席の「中国の夢」は、毛沢東以来の一貫した長期戦略だと結論している。
習近平政権は、毛沢東以来の長期戦略の最終段階に至ったと認識し、その他の周辺環境を客観的に見る視点を失っている。その視野の狭さは、俗人的な能力によるものではなく、2000年来の伝統文化に制約された結果と見るべきだろう。毛沢東が依拠し、習主席も追随している中華思想は、統治システムの優位性によって四方の異民族が物産を持ち寄って交易する結果、文明の高みが生まれ、維持されることによって成立する。しかし、18世紀の産業革命を経て西欧の文明が優勢となり、中華思想は実体経済の根拠を失った。1820年に清の人口は世界の37%を占め、世界経済の33%を占めたという推計がある (※9) 。この数字は、世界最大の経済ではあっても、一人当たり生産額を見れば、世界最高ではなく、世界平均を下回ることを表している。
清朝末期、欧米と日本に主権を侵害される中で遭遇した国際秩序は、中国にとって屈辱だったとしても、根拠が失われた中華思想に固執することは間違いという他はない。鄧小平理論によって経済発展したのも、科学技術と経営学は全て西側から取り入れたためである。そして現在、世界のトップランナーとなった情報通信技術も、米国で研究開発された科学技術の応用である。米国の優位性は、移民社会の多様性と自由主義経済である。自由が創造と革新の素であり、思想や言論、表現を制約すれば、模倣や窃取は行われても、創造と革新は絶える。
100年以上前の「屈辱の清算」を国家戦略の基本とし、根拠を失った世界観に固執することは誤りである。民族や宗教の多様性を否定して均質化を試みることも、人類の文明への挑戦であり、文明の発展を阻害する誤りである。こうした誤りが複合して、中国はこれほど攻撃的に、国際秩序に挑戦しているのである。
※1 日米首脳共同声明「新たな時代における日米グローバル・パートナーシップ」(仮訳)、外務省。
※2 熊谷徹「中国への姿勢を硬化させるドイツ、フリゲート艦派遣は中国への警鐘」、日経ビジネス2021年3月17日付。
※3 ⅱと同じ。
※4 長尾賢「軍事化するインドと中国のパワーゲーム―日本にとっての意味-」2018年。
※5 「豪州で『中国スパイ』疑惑相次ぐ 選挙工作や亡命申請」、日本経済新聞電子版2019年11月26日付。
※6 奥山真司「中国・習近平『ウイグル人に容赦するな』極秘文書流出、衝撃の全貌」、現代ビジネス電子版2019年11月22日付。
※7 「戦慄の『脳死マシーン』再現、中国の移植病院に潜入取材=韓国報道」、ロイター2017年11月24日付。
※8 開放政策で設置された経済特区、経済技術開発区、沿海開放都市は、外資の進出を大いに促進した。これは、戦前の割譲地、租借地、租界が、欧米日の投資によって産業基盤が形成され、民族資本も育ったという事実と重なっている。
※9 Angus Maddison, “Monitoring the world economy 1820-1992”, Development Centre of the Organization for Economic Co-operation and Development, 1995.
執筆者プロフィール
藪内 正樹(やぶうち・まさき)
敬愛大学 経済学部 教授
横浜市生まれ。東京大学原子力工学科を卒業後、1977年日本貿易振興会(ジェトロ、現日本貿易振興機構)入職。香港大学語学研修(80〜82年、普通話)、(財)日中経済協会に出向して既存工場の技術改造協力を担当(82~87年)、ジェトロ北京事務所(87~90年)、大連事務所長(98~01年)、上海事務所長(05~08年)、海外調査部長(08~09年)を歴任。定年退職とともに2014年から現職。主な著書に『ビジネスのための中国経済論』ジェトロ(2014年2月)、主な論文に「電子商取引からデジタル中国へ」敬愛大学経済学論集(2018年7月)など。
敬愛大学経済学部 教授
藪内 正樹
1. 厳しい対中姿勢を確認した日米首脳共同声明
4月16日の菅首相とバイデン大統領による日米首脳共同声明は、中国に対して大変厳しい内容となった。その共同声明は、次のように始まる (※1) 。
●海が日米両国を隔てているが、自由、民主主義、人権、法の支配、国際法、多国間主義、自由で公正な経済秩序を含む普遍的価値及び共通の原則に対するコミットメントが両国を結びつけている。
●自由民主主義国家が協働すれば、自由で開かれたルールに基づく国際秩序への挑戦に対抗しつつ、新型コロナウイルス感染症及び気候変動によるグローバルな脅威に対処できることを証明することを誓う。
次に、「自由で開かれたインド太平洋を形作る日米同盟」と題し、安全保障に関する基本合意を述べている。
●日米両国は、主権及び領土一体性を尊重するとともに、平和的な紛争解決及び威圧への反対にコミットしている。
●日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。
●米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支援を改めて表明した。
上記の記述から、冒頭の「国際秩序への挑戦」とは、主権及び領土に対する威圧であるとし、これに対抗するため、日本は防衛力強化を表明し、米国は核抑止力に言及している。それは、インド太平洋地域が核による威圧に晒されているとの認識を表している。
続く部分で、上記の挑戦や威圧は、中国によるものだと言明した。
●日米両国は、経済的、その他の方法による威圧、ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動への懸念を共有し、中国の不法な海洋権益に関する主張や行動への反対を改めて表明する。
●台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに両岸問題の平和的解決を促す。
●香港と新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念を共有する。
以上の通り、共同声明の前半では、多岐にわたる中国の挑戦を抑止することを、日米同盟の課題とした。前半の最後で、北朝鮮の非核化と拉致問題の即時解決、ミャンマー国軍及び警察の暴力停止と被拘束者の解放へのコミットメントも確認したが、大半は中国の抑止であり、自由で開かれたインド太平洋の構築のため日米豪印(クワッド)を通じて協働し、ASEANの一体性と中心性を支持し、日米韓の協力も不可欠とする、中国に対して極めて厳しい内容となっている。
共同声明の後半は、「新たな時代における同盟」と題し、持続可能な、包摂的で、健康で、グリーンな世界経済の復興を日米両国が主導すると宣言した。その内容は、(1) 競争力及びイノベーション、(2) 新型コロナウイルス感染症対策、国際保健・健康安全保障、(3) 気候変動、クリーンエネルギー、グリーン成長・復興としている。そして、(2)、(3)はグローバルな進展を目指すとしたが、(1)はデジタル経済、次世代通信技術、半導体を含む機微なサプライチェーンについて、日米及び他のパートナーと連携するとしていることから、目的は中国の挑戦を抑止することである。
2. 西側諸国に共有された安全保障上の懸念
日米首脳共同声明が明確にした中国への懸念は、より広範な国際社会の共通認識となっている。その一つが、2006年に安倍首相が提唱した、日米豪印による戦略対話(クワッド)である。トランプ政権時代に動き始め、2018年から海上自衛隊と米国にインド軍を加えた合同訓練が行われ、2020年11月には豪州海軍が加わった。日米首脳共同声明も、クワッドを通じて協働していくと述べている。
また、今春以降、英国は空母打撃群を、フランス、ドイツ、オランダはフリゲート艦を、インド太平洋地域へ派遣することを表明している。かつてアジアを植民地化した旧宗主国や、欧州主要国で最も緊密な貿易投資関係を持つドイツまで海軍を派遣することは、第二次世界大戦以来の大きな地政学的変化と言うことができる。ドイツ国防相は「21世紀に入って、国際政治・経済の重心は大西洋からインド・太平洋地域に移りつつある」「この地域を通過する貨物輸送路は、EUにとっても重要だ」と述べている (※2) 。
安全保障分野では、西側諸国は中国への厳しい姿勢で足並みを揃えつつある。インドも非同盟の原則を守りつつ、中国の覇権主義化に応じて米国と接近し、クワッドに参加した。
経済分野では、米中衝突が激化する中、EUは対中関係の強化に積極的だった。2020年末にEU中国包括的投資協定が大筋合意されたことは、米国にとって衝撃となった。EUと米国を分断する中国の外交成果とも言えるが、2021年3月、後述するウイグル人権問題をめぐり、EUが中国当局者への制裁を決め、中国が報復制裁を行ったことから、欧州議会は5月、批准のための審議凍結を、賛成599、反対30、棄権58で決定した。
3. 西側諸国の反発を招いてきた中国外交
安全保障面で中国抑止の厳しい姿勢を西側諸国が共有するに至ったのは、中国が自ら招いた結果としか言いようがない。
(1) 日本に対しては、尖閣諸島問題がある。明朝の冊封使が、琉球の水先案内人から航路指標の島の名前を聞いて記録しただけでは領土にならない。尖閣諸島を最初に領土に編入したのは1895年の日本であり、日本人の居住、利用、徴税が行われた。戦後は沖縄の一部として1972年5月まで米国が統治して日本に返還された。こうした状態に対する異議は、台湾の領有権主張が1971年6月、中国が同年12月、海底油田の可能性が国際機関によって示唆された後だった。
1972年9月に田中角栄首相が周恩来首相に意見を聞くと「今は議論しない」と言われ、1978年に来日した鄧小平氏は「次世代の知恵に任せよう」と発言。その「次世代の知恵」とは、今にして思えば以下の通りである。1992年に中国は尖閣諸島を領土とする領海法を制定。2010年には、日焼けしていないので民兵ではないかと思わせる漁船長が海上保安庁巡視船へ体当たりし、2012年には尖閣諸島の土地を個人から日本政府が買い上げた途端、中国各地で日系企業や日本車代理店への焼き討ちが発生。近年は、中国の武装船による領海接近・侵犯が恒常化し、日本の施政権を有名無実化する行動が活発化している。
(2) 南シナ海では、2012年にフィリピンの排他的経済水域にある岩礁を中国が占領して埋め立て、領有と排他的経済水域設定を宣言した。フィリピンの異議申し立てを審議した国際常設仲裁裁判所は2016年、占領によって領有権は発生しても、岩礁の埋め立てでは排他的経済水域を生じないとしてフィリピンの主張を認めた。また、中国の「南シナ海全域は中国の歴史的権利」という主張に対しては、国際海洋法条約は陸地に起因して海洋利権が発生すると規定しており、歴史的に漁獲を行ってきた国への配慮は前例があっても、陸地から200海里以上離れた海域の排他的権利は「歴史的」では法的根拠にならないとして却下。すると中国外交部の高官は「裁定は紙屑」と発言した。
この時EUでは、ドイツ、フランスなどが中心となって、中国を批判する裁定を支持する決議を行おうとしたが、ギリシャとハンガリーの反対で実現しなかった。ギリシャは、債務返済のための国有資産を売却中で、2016年1月に中国遠洋運輸集団(COSCO)がピレウス港の資本の51%を所有した関係にある。ハンガリーは、2010年に就任したオルバーン首相が「老いた西欧には中東欧のダイナミックな成長を支援する資金がないが、中国にはある」と述べる親中派。これ以降、ドイツ、フランスなどEU主要国政府は、中国の一帯一路政策はEUの分断につながると警戒している (※3)。
(3) 対米関係では、2013年、習近平主席はオバマ大統領との首脳会談で「南シナ海の岩礁を埋め立てても軍事化しない」と述べた。しかし、翌2014年から1年半の間に7カ所の岩礁を埋め立て、港湾、滑走路、レーダー・通信施設などを建設して軍事化した。習主席のあからさまな言行不一致は、米国が対中政策を見直す大きな転機となった。
米国の見直しは、2015年に出版されたマイケル・ピルズベリー著“The Hundred-year Marathon”(邦訳『China2049』)で決定的になったと言えよう。同書は、ニクソン政権から米国の対中政策の中心にいた著者が、1995年から20年間、CIAと国防総省の指示によって、中国の対米活動の裏面についてインテリジェンス情報、様々な人物への聴き取り、中国の出版物などを調査・分析した報告書の公開版である。「中国が経済発展すれば開かれた自由な国になる」という米国政府の仮説は誤りだったと自己批判し、中国共産党の目標は、中華人民共和国が成立した1949年までの100年間に欧米日本から受けた屈辱を清算し、建国100周年の2049年までに米国から覇権を奪取することだと結論している。この出版と南シナ海の埋め立て・軍事化以降、米国議会は超党派で対中外交を硬化させた。
(4) インドは、北東部と北西部で中国との国境紛争が続いている他、インド洋地域への中国の進出に対応することも課題となっている。中国は、原油輸入量の増大に伴い、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ミャンマーで港湾建設を進め、海上航路とパイプラインによる原油輸送ルートの確保を安全保障戦略の重点としている。その戦略に基づき、中国は各国との政治経済関係を強化しており、インドは地域での影響力を維持するため、海軍増強を含めた相応の対応を迫られ、日米豪との連携を強化している (※4) 。
2020年6月、インド北東部ラダック地方で双方に死者を出す衝突が起こり、インドでは官民を挙げて中国ボイコットが起きている。また同じ6月、中国はブータンの中部や西部ドクラム地域での領土主張に加え、新たに東部のサクテン野生生物保護区について、紛争地域だとの主張を始めた。同保護区はインドと国境を接しているが、中国とは接していない。
(5) 豪州は、2015年9月に成立したターンブル政権が中国との関係を緊密化していた。2018年2月にクライブ・ハミルトン著“Silent Invasion: China's Influence in Australia”が出版され、中国の諜報網や中国企業、留学生などを駆使して豪州の民主主義を利用した浸透工作を詳細に暴露。同年8月、マルコム・ターンブル氏は与党自由党の党首を解任され、スコット・モリソン氏が党首となって新政権が発足。2019年5月の総選挙勝利で足場が固まると、その年の11月には2つの中国スパイのニュースが報道された (※5) 。一つは、香港や台湾で工作していた中国スパイが豪州に亡命申請したこと。もう一つは、工作員と見られる中国人実業家から資金提供と5月の総選挙に出馬するよう依頼されたことを当局に相談した中国系の高級車ディーラーが、3月にホテルで遺体となって発見されたことだった。
2020年4月には、モリソン政権が新型コロナウイルスの発生と流行の経緯について第三者による独立調査を行うよう主張し、G20首脳に支持を求める文書を送った。すると中国は、豪州からの牛肉、石炭、大麦、ワインに対し、輸入制限や相殺関税を課すなどの措置を講じたと報じられている。
(6) 香港の高度な自治を50年維持する「一国二制度」の英中合意は、2020年6月、北京で「香港国家安全維持法」を制定したことにより、一方的に破棄された。中国は「主権は中国にあり、内政問題」と反論したが、国際合意を破棄して言論出版を弾圧し、選挙制度を変更したことは、国際社会の厳しい批判を呼んでいる。
(7) ウイグル人権問題は、高齢者や大学教授などの知識人まで含む大量のウイグル人が、職業教育訓練センターと称する施設に収容され、さまざまな人権弾圧を受けているという証言が、次から次へ出てくる状況となっている。2019年11月には、ウイグル政策に関する404頁の内部文書を、ニューヨークタイムズなどが報道した。習近平政権に批判を持った中国共産党幹部から提供されたとされる文書は、2014年に起きたテロ事件を契機に、習近平主席が胡錦濤政権の民族融和策を転換し、職業教育訓練センターの設置を命じたとしている。「悔い改めと自白を促せ」「中国標準語への矯正を優先する」などの運営方針から収容者家族への対応方法などが含まれ、「ソ連の統治は甘かった」と発言し、大量の労働力を収容した結果、経済の停滞が現地の党官僚の反発を招いていることにも触れられている (※6) 。
国際社会の批判に対し、中国は内政問題あるいはデマだと主張しているが、人権抑圧に対する批判は、2012年に国連で決議された「人間の安全保障」に基づく国際社会の普遍的価値観に基づいており、内政問題で済まされる事ではない。しかも、ウイグルの前にチベットがある。また、内モンゴル自治区ではモンゴル語で行われていた国語、政治、歴史の授業を、2020年9月から中国語に変更する決定がなされ、現地で大規模な反対運動が起き、世界中のモンゴル人の憤激を呼んでいる。
この他、中国で2000年頃から急成長している臓器移植について、国際社会の懸念が高まっている。国際移植学会は、2008年に「移植の恩恵は、世界中の貧しく弱い立場にある人たちに危害をもたらす非倫理的行為や搾取的な行為に依存してはならない」とするイスタンブール宣言、2018年には「各国の政府と医療従事者は、自国民が外国で移植を受ける移植ツーリズムに関与することを予防・阻止すべき」と決議した。さらに、中国政府が説明する自発的な臓器提供者の人数では、年間6.5万?10万件と推定される手術数と、数日から数カ月で適合臓器が提供される実態が説明できない。そうした専門家の見解や関係者の証言から、深刻な人権蹂躙との非難も上がっている (※7) 。
4. 習近平政権の性格と共産主義と中華思想による複合覇権主義
中国による国際秩序への挑戦とは、自国中心の国際秩序を打ち立てる試みであり、南シナ海や中印国境での動きも含め、覇権主義に他ならない。中国はなぜ覇権主義に突き進むのか。それは、習近平政権によって加速されたとしても、根本的には、2000年来の中華思想の土台の上にマルクス・レーニン主義を重ねて構築した毛沢東思想と、それを継承した中国共産党の政治理論による必然的な結果である。中国共産党の政治理論は、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表(江沢民)、科学的発展観(胡錦濤)、習近平思想という歴代指導者の理論を並べ、その連続性と発展性によって正当性を主張している。
毛沢東は、春秋戦国以来の歴史と思想に精通し、農民中心の革命方式や軍事理論を構築し、ソ連の全面的支援の下で、清朝以来の統一国家を実現した。フルシチョフ・ソ連第一書記がスターリンを批判し、米国との平和共存路線に転じると、毛沢東はソ連を修正主義と非難し、1960年、中ソ関係は決裂した。1970年代に入り、互いにソ連と敵対する米国と中国は、米国が泥沼化したベトナム戦争から抜け出すため中国の協力を必要としたこともあって接近した。1972年、ニクソン米大統領が北京の毛沢東を訪問し、1978年に米中は国交を樹立した。それからオバマ政権末期までの米国政府は、中国が経済発展すれば価値観を共有するパートナーになると考えて経済発展を支援し、軍事面での協力も行なってきた。また、1976年に毛が没した後、大躍進政策や文化大革命の悲惨な実態が明らかになるまで、毛沢東思想がソ連に失望した世界の左翼を引きつけた時期もあった。
毛の死後、1978年から鄧小平が始めた改革開放によって、中国は飛躍的な経済発展の道を歩み始めた。改革開放、つまり社会主義と市場経済の複合路線は、「社会主義市場経済」あるいは「中国の特色ある社会主義」と呼ばれている。
1991年にソ連が崩壊した際、中国が社会主義圏の盟主になるべきだという党内の意見に対し、鄧小平は、「韜光養晦(とうこうようかい.才能を隠して力を養う)」「有所作為(できる範囲のことをする)」という外交方針を示した。この方針は、力に応じて行動するという意味であり、国際協調路線では全くない。実際、1982年には海軍司令員の劉華清に、2010年までに第1列島線(南シナ海全域)内、2020年までに第2列島線(小笠原、グアム、サイパン、パプアニューギニア)以西で、米海軍の接近を拒否する能力を築くという海軍発展戦略を作成させている。また1992年には、南シナ海全域や尖閣諸島を中国の領土・領海と規定する領海法を制定した。そして、中国のGDPが日本を抜いて米国に次ぐ2位になる見通しが立った2009年、胡錦濤国家主席は北京に集めた外交官を前に、「韜光養晦」の後の「有所作為」に「積極」の2文字を付けて外交の積極化を指示し、翌年には「南シナ海は中国の核心的利益」との発言を行なったのである。
毛沢東が確立した中国共産党の政治思想は、皇帝を中心に文明の高みを築けば天下は全て従う、という中華思想を根底としている。古代には長江文明と黄河文明があったが、統一王朝が成立したのは黄河中流域で、そこを中原と呼ぶようになった。湿潤な南方と違って黄河流域は乾燥し、陸路の移動に便利だったため、周辺の異民族が集まって交易が盛んになった。城内の治安を維持すれば、交易が盛んとなって富が蓄積された。戦国時代を統一した秦の始皇帝は、漢字や度量衡を統一し、法家の律令と中央集権制によって、広大な統一市場を実現したのである。話し言葉と無関係な表意文字も、異民族の交易には好適だった。漢代には、儒学によって社会秩序が制度化され、極めて効率的で安定的な専制統治システムが完成した。それ以降、歴代王朝は、軍事的に優越していた北方遊牧民や半農半猟民族がしばしば征服したが、統治システムと表意文字だけは継承された。つまり、中華文明の本質は、民族や生業とは無関係な、統治システムと表意文字である。個人の死生観と道徳観は、宗族(親戚)の中で完結し、処世は人脈形成、そして政治は始皇帝以来の専制統治システムという、互いに独立した3階層のメカニズムが重なって、中国の国家、社会は成り立っている。その文明では、天下の中心は唯一の専制権力であり、一時的に複数の権力が存在しても、やがて統一されてきた。
国際秩序の基となる国際法は、1648年、三十年戦争に疲弊した欧州で、それ以上の戦争や紛争を回避するため締結されたヴェストファーレン条約から始まった。一方の中華文明では、国際秩序と言えば華夷秩序、力に応じた従属関係しかなかった。既存の国際秩序に対し、力が足りないと思えば従うが、力がついたと思えば従わない理由は、歴史的に華夷秩序の経験しかないからである。
鄧小平理論は、「条件のある者は先に豊かになって良い。豊かになって遅れた者を引き上げれば良い」という「先富論」を掲げ、毛沢東時代は否定されていた個人の欲望を肯定したのである。また、市場を開いて外資を招き入れ、技術・ノウハウ・販路を獲得して経済を発展させ、「世界の工場」「世界の市場」と称される世界第2の経済を築いた (※8) 。
江沢民政権の最後、2002年11月に党規約に盛り込まれた「三つの代表」は、中国共産党を「労働者農民の前衛党」から「(1) 社会生産力の発展の要求、(2) 文化の前進の方向、(3) 最も広範な人民の基本的利益」の三つを代表するものと変更した。この変更を端的に解説すれば、資産階級でも共産党員になれる、または共産党員が資産階級になっても良いという意味であり、党幹部の欲望を肯定したのである。
胡錦濤政権が掲げた「科学的発展観」は、経済成長が生む構造的な歪みを正すため、産業構造、経済と環境、国際関係などの調和を目指すというものだった。しかし、この緩やかな課題設定は大きな成果を産まず、腐敗だけは悪化した。
そして習近平政権は、腐敗による民心の離反を恐れて未曾有の腐敗撲滅を展開すると同時に、その負の圧力を相殺するかのように、中国は建国期、発展期に続く強国期に入ったとして、建国100周年の2049年までに社会主義現代強国を築くと宣言した。そして、これを「中華民族の偉大な復興」という「中国の夢」と称した。「中国の夢」は、2010年に出版された国防大学劉明福教授の同名の書籍から採用されたと考えられており、同書も分析対象としたピルズベリーは『China2049』で、習主席の「中国の夢」は、毛沢東以来の一貫した長期戦略だと結論している。
習近平政権は、毛沢東以来の長期戦略の最終段階に至ったと認識し、その他の周辺環境を客観的に見る視点を失っている。その視野の狭さは、俗人的な能力によるものではなく、2000年来の伝統文化に制約された結果と見るべきだろう。毛沢東が依拠し、習主席も追随している中華思想は、統治システムの優位性によって四方の異民族が物産を持ち寄って交易する結果、文明の高みが生まれ、維持されることによって成立する。しかし、18世紀の産業革命を経て西欧の文明が優勢となり、中華思想は実体経済の根拠を失った。1820年に清の人口は世界の37%を占め、世界経済の33%を占めたという推計がある (※9) 。この数字は、世界最大の経済ではあっても、一人当たり生産額を見れば、世界最高ではなく、世界平均を下回ることを表している。
清朝末期、欧米と日本に主権を侵害される中で遭遇した国際秩序は、中国にとって屈辱だったとしても、根拠が失われた中華思想に固執することは間違いという他はない。鄧小平理論によって経済発展したのも、科学技術と経営学は全て西側から取り入れたためである。そして現在、世界のトップランナーとなった情報通信技術も、米国で研究開発された科学技術の応用である。米国の優位性は、移民社会の多様性と自由主義経済である。自由が創造と革新の素であり、思想や言論、表現を制約すれば、模倣や窃取は行われても、創造と革新は絶える。
100年以上前の「屈辱の清算」を国家戦略の基本とし、根拠を失った世界観に固執することは誤りである。民族や宗教の多様性を否定して均質化を試みることも、人類の文明への挑戦であり、文明の発展を阻害する誤りである。こうした誤りが複合して、中国はこれほど攻撃的に、国際秩序に挑戦しているのである。
※1 日米首脳共同声明「新たな時代における日米グローバル・パートナーシップ」(仮訳)、外務省。
※2 熊谷徹「中国への姿勢を硬化させるドイツ、フリゲート艦派遣は中国への警鐘」、日経ビジネス2021年3月17日付。
※3 ⅱと同じ。
※4 長尾賢「軍事化するインドと中国のパワーゲーム―日本にとっての意味-」2018年。
※5 「豪州で『中国スパイ』疑惑相次ぐ 選挙工作や亡命申請」、日本経済新聞電子版2019年11月26日付。
※6 奥山真司「中国・習近平『ウイグル人に容赦するな』極秘文書流出、衝撃の全貌」、現代ビジネス電子版2019年11月22日付。
※7 「戦慄の『脳死マシーン』再現、中国の移植病院に潜入取材=韓国報道」、ロイター2017年11月24日付。
※8 開放政策で設置された経済特区、経済技術開発区、沿海開放都市は、外資の進出を大いに促進した。これは、戦前の割譲地、租借地、租界が、欧米日の投資によって産業基盤が形成され、民族資本も育ったという事実と重なっている。
※9 Angus Maddison, “Monitoring the world economy 1820-1992”, Development Centre of the Organization for Economic Co-operation and Development, 1995.
執筆者プロフィール
藪内 正樹(やぶうち・まさき)
敬愛大学 経済学部 教授
横浜市生まれ。東京大学原子力工学科を卒業後、1977年日本貿易振興会(ジェトロ、現日本貿易振興機構)入職。香港大学語学研修(80〜82年、普通話)、(財)日中経済協会に出向して既存工場の技術改造協力を担当(82~87年)、ジェトロ北京事務所(87~90年)、大連事務所長(98~01年)、上海事務所長(05~08年)、海外調査部長(08~09年)を歴任。定年退職とともに2014年から現職。主な著書に『ビジネスのための中国経済論』ジェトロ(2014年2月)、主な論文に「電子商取引からデジタル中国へ」敬愛大学経済学論集(2018年7月)など。