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コロナの先の世界(21) 新型コロナ後の国際貿易 新潟県立大学 学長 京都大学 名誉教授 若杉 隆平 【2020/07/29】

コロナの先の世界

(21) 新型コロナ後の国際貿易

掲載日:2020年7月29日

新潟県立大学 学長
京都大学 名誉教授
若杉 隆平

2つの感染ショック

 2020年初に発生した新型コロナウィルスの感染は、中国から瞬く間に東アジア、欧州、北米、そして南アジア、中東、中南米、アフリカ等地球上のあらゆる国と地域に拡大し、財・サービスの生産活動の停滞、消費需要の急激な落ち込み、労働市場での大量の失業など世界経済に深刻な影響をもたらしている。

 新型コロナウィルスの感染拡大は2つの波となって世界各国・地域の経済に連鎖的ショックを与えた。一つは、新型コロナウィルスが各国・地域に次々と感染し、その災禍のため、あるいは感染から身を守るために、生産や消費が大幅に停滞したことである。もう一つは、ウィルス感染がない場合でも、感染国・地域の経済的ショックが国際貿易を通して他国・地域に連鎖したことである。2020年2月には、中国からの部品供給に依存する日本や韓国の自動車メーカーは、中国工場での自動車部品の生産・供給が滞ったために自動車生産を大幅に減らした。また、iPhoneの生産を受託する中国工場の生産が停止したことにより、日本・韓国・台湾のスマホ部品メーカーへの需要が大幅に落ち込むとともに、スマホは世界的な供給減となった。

 今日の貿易の拡大は国際的な生産分業体制 (サプライ・チェーン) の発展を伴っており、生産工程を繋ぐ貿易は世界貿易全体の3分の2を占めている。コロナショックにより、2020年の世界貿易は最大でマイナス30%の落ち込み、世界経済はマイナス4.9%の落ち込みが予測されているが、こうした未曾有の経済危機は「ウィルスの感染」と「経済の感染」の相乗効果による。 (図1参照)

グローバル・バリュー・チェーンの変容

 世界各国・地域が、国際分業によって付加価値生産を分担するグローバル・バリュー・チェーン (GVC) に一様に参入するわけではない。北京師範大学のXin Li等による共同研究成果『グローバル・バリューチェーン・レポート (2019年版) 』は、GVCは欧州、東アジア、北米の3つのネットワークから成り立つこと、ネットワークを構成する国・地域が変化していることを指摘している。図2の上段では、2000年において、欧州ではドイツがハブとなり、英国、フランス、イタリア、スペイン、トルコ、オランダ、チェコ等との連鎖が形成され、東アジアでは日本がハブとなり、中国、台湾、韓国、ASEAN等との連鎖、北米ではアメリカがハブとなり、カナダ、メキシコ等との連鎖を形成していたことを示している。下段では、2017年になると、欧州、北米のネットワークに変容は見られないが、東アジアでは、日本に替わって中国がハブとなり、欧州・北米のネットワークとの連鎖を強めていることが示されている。

 OECD・Trade in Value Added Dataによれば、米国、ドイツ、中国、日本が主な付加価値供給国であるが、その中でも、中国の付加価値生産が顕著に増加したことを観察することができる。中国の豊富な労働力、旺盛な需要、高い投資水準による生産規模の拡大に加え、WTO加盟によって自由貿易体制の下で世界市場への自由なアクセスが可能となったことに拠る。こうした中国の付加価値生産の増大は、電子機器や繊維製品の分野で特に顕著であり、世界の多くの国がサプライチェーンを通じて中国の生産工程と連鎖を深めた。

GVCの分散

 新型コロナウィルスの感染防止による中国・武漢あるいは中国各地での生産停止が、瞬く間に世界各地で生産の深刻な停滞をもたらすことになった背景には、世界の多くの企業が、世界の工場となった中国工場への依存度を高めてきたことがあげられる。つまり、中国における豊富な労働力、集積の経済性、需要の大きさ、通信・輸送コストの低下、WTO加盟を契機とする市場経済化により、中国市場への魅力が高まったからである。他方、災害や他国・地域からの経済ショックの感染によって部品調達・生産・供給ルートがダメージを受けるとき、災禍に見舞われない国・地域と広く取引関係を持つことが、危機の回避や被災からの回復を早める手段となることは、多くの経験から明らかにされている。

 もし、GVCにおける付加価値生産の分布が偏り、感染症のリスク分布と乖離しているならば、中国に集中したGVCを分散させることはリスクを回避する上で有効である。新型コロナウィルスの感染拡大によって生じたGVC寸断のコストが、GVCの分散に伴う費用を上回ることが明らかであれば、新型コロナウィルスの感染はGVCを分散するビッグプッシュとなろう。その結果、これまでGVCに参加していなかった小国・地域が中国に替わってGVCに参入するかも知れない。

GVCの集約

 新型コロナウィルス感染の特徴は、感染禍が特定の国・地域ではなく広く世界全体に及んでおり、人と人の接触を抑制すること以外には感染を制御し、身を守ることができないことにある。もし世界各国・地域が一様に感染に見舞われるとすれば、GVCを分散してもリスクを軽減することにはならないし、かえって新たなリスクを抱え込むかも知れない。

 ワクチンや治療薬の開発が見つからない状態では、人と人の接触を伴わない新たな生産、消費の様式を生み出さない限り経済の回復を見込めないが、こうしたことは危機と同時にイノベーションの機会ともなる。実際、ビジネス、教育、医療など広範囲の分野で対面からオンラインへのコミュニケーションが始まり、工場や対人サービスの提供にAI、ロボットが投入され、オートメーション化が促されつつある。新型コロナ感染が人を介したサービス供給のコストを高めれば、人と資本 (機械) との新たな組合せを実現するイノベーションを生むだろう。資本による労働力の代替が進めば、これまで豊富な労働力により拡大してきたGVCは見直され、生産性の高い生産工程は拡大し、そうでない生産工程は淘汰される。また、人の国際移動コストの上昇と同様、国際間の生産工程を接続する貿易費用は上昇するだろう。こうした場合には、GVCは集約化し、生産工程の一部は国内回帰に向かうだろう。

重要な自由無差別な貿易政策とイノベーション

 新型コロナウィルスの感染は、GVCの下ではカントリーリスクへの対応が重要であることを改めて示している。中国における新型コロナウィルスの感染情報が速やかに国際社会で共有されていれば、これほどの深刻な国際的感染拡大に至らずに済んだとの指摘がある。新型インフルエンザやSARSを経験しながらも感染症の情報共有や制御に関するWHOや国際協調の枠組みは機能していない。GVCに参加する企業のリスクを最小化し、経済危機を回避するためには、全ての政府に疾病の発生や感染、医療体制に関する情報を高い透明性のもとに開示することが求められる。

 国際分業を促す貿易政策が今ほど重要な時期はない。WTOによれば、2020年4月時点で新型コロナウィルスの感染拡大に伴って、マスク、防護服、手袋を始めとする医療資材・衛生用品に関して250品目を上回る輸出規制措置を実施する国地域が見られる。しかし、輸出制限などの自国中心主義の貿易政策は供給増加の妨げになる。また、需要の急増する医療資材には、マスク、防護服のような労働集約財と、人工呼吸器、ECMO等の知識集約財があり、比較優位に基づく国際分業が供給拡大の鍵となる。感染症は負の国際公共財である以上、他国の窮乏化を顧みずに自国のために輸出を制限することは、他国の感染症防止を困難にし、感染の国際的な拡散を通じて、そのツケは自国に戻ってくる。一国の利益のみを追求する政策は、自国にとってさえ最適な政策とならない。

 特定企業への生産補助金、国有企業を通じた国家による市場への関与、報復的関税はいうまでもないが、生産工程を自国や特定国に誘導することを目的とする補助金政策も自由無差別な貿易に逆行し、GVCに歪みをもたらす。新型コロナウィルスの感染防止の上で必要とされる政策は、貿易歪曲的効果をもたらす政策でなく、人の介在をAI、ロボット、オートメーション、オンラインによって代替する、イノベーションを生み出すための政策である。

 最後に、ワクチン・医薬品の供給と知的財産権の保護のあり方を取り上げたい。新型コロナウィルスのワクチン、治療薬が開発され、やがては供給されることになろうが、発明された医薬品の知的財産権が保護されれば、世界の国・地域に広く大量に廉価で供給することは難しい。ワクチンや治療薬は世界の感染 (負の外部効果) を防止する機能を有しており、国際公共財と捉えるべきである。こうした医薬品における先進国の発明・開発者の権利保護と低所得国への供給確保のあり方を国際協力の観点から検討する必要がある。

図1 コロナ後の世界経済と財貿易

図2 サプライ・チェーン・ネットワーク(付加価値額基準)

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