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コロナの先の世界(20) コロナ危機であらわになったプーチン・ロシアの国家体質 一般社団法人ロシアNIS貿易会 ロシアNIS経済研究所 所長 服部 倫卓 【2020/07/21】

コロナの先の世界

(20) コロナ危機であらわになったプーチン・ロシアの国家体質

掲載日:2020年7月21日

一般社団法人ロシアNIS貿易会 ロシアNIS経済研究所 所長
服部 倫卓

ロシアの2024年問題

 ロシアでウラジーミル・プーチン氏が最初に大統領に就任したのは2000年5月であり、4年の任期を2期務めて、2008年5月にいったんその座を退いた。しかし、息のかかったメドヴェージェフ氏に大統領の座を譲り、自らは首相職に就いていた2008年5月~2012年5月も、実質的にはプーチンが最高権力者だったというのが一般的な見方である。2012年3月の選挙に勝利したプーチンは、同年5月に3期目の政権をスタートさせた (憲法改正により、任期は6年となっていた) 。そして、2018年3月の選挙にも勝利し、2018年5月に6年間の新たな任期をスタートさせたわけである。

 ロシア憲法の規定によれば、大統領は連続2期までとされており、本来であればプーチンは2024年5月に大統領のポストを明け渡さなければならなかった。しかし、ロシアをはじめとする旧ソ連諸国においては、最高権力者が制度に従うというよりも、むしろ最高権力者の治世に合わせて制度の方を変更していくということが生じがちである。くしくも、ロシアの隣国カザフスタンにおいては、ソ連時代から共和国のトップとして君臨していたナザルバエフ氏が2019年に大統領の座から退き、事実上の「院政」を敷くという動きがあった。

 果たしてプーチンは2024年に向け、どのような身の振り方をするのか? これが、ロシア政治の最大の注目点であった。ただし、2024年までにはまだ時間があるので、プーチンが動くにしても、もうしばらく先になるのではないか。昨年頃までは、ロシア・ウォッチャーの間でも、漠然とそのように見られていた。

 しかし、実際にはロシア政治は2020年に入り風雲急を告げることになる。年明け早々の1月15日、プーチン大統領は年次教書演説を行い、憲法改正を提案した。また、不人気だったメドヴェージェフ内閣を退陣させ、新たにミシュスチン内閣を発足させた。新内閣は、「ナショナルプロジェクト」という政策枠組みを通じて、ロシアの積年の社会・経済的課題の解決に邁進する構えを見せた。

 当初、プーチンの改憲提案は、自らの任期が切れる2024年以降も何らかの形で権力を保持し、「院政」を敷くための布石との見方が有力だった。ところが、その後、憲法改正案に新たな条項が加わる。3月10日に連邦議会の下院でテレシコヴァという議員 (1963年に人類史上初めて女性として宇宙飛行を行った国民的英雄) が提案したもので、既存の大統領経験者についてはこれまでの任期をカウントしない (つまりプーチン大統領がまっさらな状態で次期大統領に出馬することが可能になる) というものだった。

 かくして、プーチンに院政を許すどころか、プーチン政権をそのまま延長することを可能にする憲法改正案が、国民投票にかけられることになったのである。国民投票の実施日は、当初4月22日に設定された。この日は社会主義ロシア革命の立役者レーニン生誕から150年という記念日であり、偉人の生誕150周年を愛国的なムードの高揚に利用して、圧倒的な多数で改憲への賛意を取り付けたいという思惑が見て取れた。

 さらに、5月9日には対独戦勝75周年記念式典という大イベントも控えていた。「我が国 (当時のソ連) は甚大な犠牲を払いながらナチス・ドイツを打倒し、人類を魔の手から救った」というのは、ロシアの国家イデオロギーの根幹であり、例年5月9日の戦勝記念日には晴れがましい式典が開かれる。特に、2020年は戦勝75周年に当たることから、とりわけ盛大な式典を開催する予定であった。戦勝75周年による愛国主義の高まりの中で、改憲への圧倒的な賛意を取り付け、体制をより一層盤石なものにするというのが、プーチン政権の戦略であった。

コロナで生じた誤算

 しかし、ロシアでも新型コロナウイルスの感染が拡大し、それが政治日程を乱していくことになる。

 ロシアのコロナ対策は、迅速なものだった。ロシアは中国との国境をいち早く閉鎖し、中国との定期航空便の大部分も早々に停止している。中国はロシアの戦略的パートナーながら、ロシアの危機対応には中国への遠慮などはなかった。ロシアは、中国武漢発の第一波は、最小限の被害で乗り切ったと言える。

 しかし、3月7~9日の三連休を利用してイタリアやフランスなどに旅行に出かけた人々が帰国し、ロシアに感染力の強いウイルスを持ち帰ってしまったと考えられている。その結果、ロシアでは3月以降、感染者数が急増していく。5月に入ると、首都モスクワを中心に、連日1万人以上の感染者が確認され、一時ロシアは米国に次いで世界で2番目に感染者が多い国となってしまった。

 その間も、プーチン政権は大胆なコロナ対策を講じていた。特に、3月28日から5月11日までを休日に指定し、公的機関、生産の中断が難しい企業、医療機関・薬局、生活必需品の商店および生活に必須のサービス業を除いて、基本的に企業を休業させたのは (ただし、その間の被雇用者の給与は保証するとされた) 、思い切った措置であった。

 ところが、現実にはその特別休業の施行を合図とするかのように、感染は急拡大していったのである。新型コロナウイルスのパンデミックでは、国による対応の巧拙が浮き彫りとなった。ただ、感染者数や死亡者数は、必ずしも国による対応ではなく、客観的な条件で決まったと見るべきであろう。公平に評価して、プーチン政権は感染拡大の防止に妥協なく取り組んだと言えるが、ウイルスを封じ込めるには至らなかった。

 結局、プーチンは政権の浮沈を左右しかねない政治日程で、変更を余儀なくされたのである。3月25日には国民投票の延期が、4月16日には対独戦勝75周年式典の延期が発表された。後日、対独戦勝75周年の軍事パレードは6月24日に、国民投票は7月1日に決まった。国民投票は、軍事パレードからちょうど1週間後に設定されたことになる。

何のための軍事パレードか?

 対独戦勝75周年軍事パレードを翌日に控えた6月23日、プーチン大統領は国民向けの動画メッセージを発表。ここまでのコロナとの戦いを総括し、企業と国民を支援するための方策について語った上で、新しい憲法の規定こそ社会・経済政策の改善を担保するものだと主張し、国民に支持を訴えた。

 対独戦勝75周年軍事パレードは6月24日、モスクワの赤の広場で、晴れ渡った青空の下、荘厳に挙行された。外国の部隊を含め、1万4,000人の軍人がパレードに参加したという。ただ、軍事パレードの動画を眺めていて、筆者は、「一体、この人たちは何のために行進させられているのだろうか?」という疑問を禁じえなかった。

 もちろん、式典には戦没者を追悼するという意味もある。前線で若い命を散らした兵士たちや、ナチス・ドイツの殺戮の犠牲になった人々には、哀悼の意を表してしかるべきだろう。しかし、過去に亡くなった人たちを追悼するために、今日の人々の命を少しでも危険にさらす必要があるのだろうか? さらに言えば、この軍事パレードは、今現在コロナ危機で苦しい思いをしている企業や市民、これからのロシアを担っていくような若い世代にとって、何かの足しになるのだろうか?

 やはり、コロナ感染が収束しない中でも、モスクワでの軍事パレードが強行されたのは、ロシアが勝者であり正義であるということを喧伝し、ひいてはプーチン政権の権威を内外に誇示するためだったと、考えざるをえないのだ。

 7月1日の国民投票を翌日に控えた6月30日には、トヴェリ州のルジョフという街で巨大なソ連兵像が完成し、除幕式が行われた。プーチン大統領はその巨大像を背景に国民向けの演説を行い、ここでも国民投票での改憲への支持を改めて訴えた。これまで同様、プーチンは自分の任期のことには触れず、国民の福祉・幸福のための改憲と強調した。

国民投票の結果

 今回の国民投票では、新型コロナウイルス感染対策で、投票所の混雑を回避するため、6月25日から30日までの事前投票期間が設けられた。投票参加者の多くがこの事前投票を利用し、7月1日に投票を行った有権者はむしろ少数派だった。また、モスクワ市とニジェゴロド州ではインターネットを利用した電子投票も導入された。

 投票の結果、中央選管による公式発表によれば、有権者の68.0%が投票に参加し、賛成票が77.9%、反対票が21.3%だった。すなわち、有権者の53.0%が賛成票を投じたことになる。かくして、憲法改正は国民の賛意を得たこととなり、改正憲法は早くも7月4日に発効した。

 地域別の投票パターンは、大掴みに言うと、ヨーロッパ・ロシア部では賛成票が多く、シベリア・極東・極北などの辺境地域では支持が少ないというものだった。ただし、ヨーロッパ部の中で首都モスクワ市は完全な例外であり、改憲への支持はきわめて低調であった。リベラルな市民の多いモスクワでは、権威主義的なプーチン体制への反発が強い。その上、今般のコロナ危機でも感染が爆発し、不自由な生活を長く強いられたことが、政権への不満増大に繋がったのだろう。

 反体制勢力、リベラル派は、国民投票で体制側による大掛かりな不正や票の改竄があったと批判している。ロシアではこれまでも同様の指摘はあったが、今回の投票における不正の規模は前例のないものであり、投票は完全な茶番だったと、彼らは主張する。

 ちなみに、政権から独立した存在と評価されているレヴァダ・センターという調査機関が6月27~28日に実施したロシア全国調査がある。それによれば、回答者の22%が「すでに事前投票を済ませた」、50%が「これから投票に参加する予定」、25%が「投票に参加しない」と答えた (3%が分からない・無回答) 。また、「すでに事前投票を済ませた」という人の68%が「憲法改正に賛成した」、「これから投票に参加する予定」という人の54%が「憲法改正に賛成する」と答えている。こうした調査結果から、筆者としては、今回の投票では体制側による大掛かりな動員が行われ、投票・開票に不正があった疑いは濃いものの、それでも投票参加者の過半数が賛成票を投じたことは事実ではないかと推察する。年金生活者、軍・治安関係者、企業城下町の労働者といった基礎票が効いているのだろう。

 憲法の新規定により、既存大統領の任期をカウントしないことになったので、プーチンはいわば「新人」として2024年の大統領選に出馬できることになった。そこから2期務めれば、最長で2036年まで大統領を続けることも可能になったわけである。

広がった権力と国民の溝

 ロシアでコロナウイルスの感染者が急増したのは、プーチン政権の対応が甘かったからではないだろう。プーチン政権は、政治日程を優先するあまり、4月22日の国民投票、5月9日の対独戦勝75周年記念式典を強行するようなことはしなかった。6月24日に軍事パレードが見切り発車で行われたのは看過できないものの、リスクを冒したのはそれくらいだった。

 しかし、2014年に発生したウクライナ危機を背景に、ロシアと欧米が経済制裁を応酬し合う状況が続いており、その皺寄せでロシアでは低成長がすっかり常態化している。そこに降りかかったのが、今般のコロナ危機だった。仕事や所得を失ったり、長い自宅待機を強いられたりして、ロシア国民のフラストレーションは高まっている。

 国民投票に向けて、プーチンは「ロシア社会の課題を解決するための改憲」という論点を強調した。しかし、そのどさくさに紛れるような形で、しかも国民がコロナ禍に喘ぐ中で、プーチンの大統領任期が初期化されてしまったことに、少なからぬ国民が釈然としない思いを抱いている。

 確かに、今回の国民投票で、プーチン政権は投票者の過半数の賛成票は獲得できたのかもしれない。しかし、それはなりふり構わない強引な手段で票をかき集め、どうにか見栄えのする数字を作り上げたにすぎない。むしろ、権力と国民の溝が、これまでにも増して広がったという印象が強い。

 今やプーチン政権の明確な支持層は、年金生活者、軍・治安関係者、そして企業城下町の労働者などに限られる。プーチン体制が、そうした古いロシアを再生産して政権を維持していくのだとしたら、あまりにも不毛だ。本来であれば、首都モスクワをはじめとする大都市の市民、若者、ハイスキル人材などが、国の成長を担うはずである。そうした社会層が政権に不信感を募らせるような状況で、果たしてロシアは発展していけるのか、はなはだ心許ない。

強権ではウイルスに勝てない

 新型コロナウイルスのパンデミックを受け、政治体制と、政府による危機管理・対策の関係性が、議論の的となっている。「強権的な体制の方が、感染防止や危機対応の上で有利」といった言説も広がっている。確かに、ロシアでプーチン政権のとった対策は迅速かつ大胆なもので、一見すると日本のような煮え切らない対応よりも優位であるようにも思える。

 しかし、感染対策には、政府による対応だけでなく、企業や市民による自発的な行動も不可欠であり、その際に国家と社会の信頼関係が死活的に重要である。ロシアでは、コロナ危機と、それと並行して進展した改憲プロセスとによって、国家と社会の乖離は拡大しており、そのような国に真の優位性があるかは疑問である。

 「強権的な国の方が危機管理に有利」というのは、幻想にすぎない。しかし、「政治権力は、危機を利用して、自らの一層の権力強化を図る」というのは、ほぼ真理と言っていい。実際、旧ソ連圏においては、本稿で見たロシアだけでなく、中央アジア諸国などでも、コロナ危機と軌を一にして国家体制の強権化が進む現象が見られた。日本にとっても、まったく無縁の問題ではない。

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