(17) 新型コロナウイルス禍と中国の今後
掲載日:2020年6月23日
東京大学公共政策大学院 教授
高原 明生
政治体制への信頼の揺らぎ
中国では、新型コロナウイルス封じ込めの初動が遅れたことにより、自由な情報の流通を許さない体制への不満が高まる兆しが表れた。特にインパクトが大きかったのは、武漢市の李文亮医師が2月に死去したことである。李氏は、早くも12月末に新型肺炎の広がりに警鐘を鳴らしていた。だが、不正確な情報をネットに流したとして公安当局から訓戒処分を受け、黙らされた医師たちの一人であった。自ら感染し、病床でメディアの取材に応じた李氏は、「健全な社会には一つの声だけがあるべきではない」と語り、その数日後に亡くなった。
この警句に対置されるのは次の言葉である。「党中央は大脳であり中枢であって、必ず一尊を定め、最後の鶴の一声が全体のトーンを規定する権威を持たねばならない」。これは2018年7月、同年春の憲法改正により国家主席の任期制限を撤廃した習近平氏が、それに対する批判を一蹴するように放った「鶴の一声」にほかならない。李文亮医師を追悼するネット上の花束や言葉は、中国のSNSに充満した。それは、いわばコロナウイルス禍との戦いの第1ラウンドにおける習近平政権の敗北を意味していた。
失点を挽回するべく、続く「第2ラウンド」で政権は二つの強力な措置を繰り出した。すなわち、都市封鎖に象徴される強権的な感染抑圧策と、「強力な領導」で「戦役=戦疫」を指揮する習近平のイメージの一大宣伝キャンペーンである。疫病抑圧は、当局が期待したほどの速度では進まなかった。3月上旬に開催予定だった全国人民代表大会 (全人代) と政治協商会議は結局、ほぼ2か月半遅れの5月下旬に開かれた。しかし、コロナウイルスは次第に海外に広がり、特に欧米の民主主義国では、当局の対応が不十分だったこともあって中国に輪をかけた悲惨な状況が出現した。すると、集権的な体制の下、習近平の強力なリーダーシップのおかげでウイルス制圧に成功したというナラティヴが中国社会に次第に浸透した。いわば第2ラウンドでは習近平政権が優勢を占めたと言えよう。
問題は、ウイルスの抑圧と経済の回復を同時に実現できるかが問われる「第3ラウンド」である。1月から3月までのGDP成長率は、公式発表でもマイナス6.8%という記録的な経済の落ち込みを示していた。
経済発展についての自信の揺らぎ
全人代ではGDPの目標成長率が発表されなかった。李克強首相によれば、特に雇用、民生、そして企業など市場主体の保障が実現できればプラス成長になるだろうという。だが、雇用機会の確保は特に厳しい状況にある。すでに都市では失業率が公式にも目標値の6%に達している。雇用創出の目標は900万だが、これから卒業する大学生だけで874万人いる。李首相は足かせとなる不合理な規制を打破し、70年代末、農村から青年たちが都市に戻ってきた時のように都市で露店などを開かせることにも言及した。6月初めに山東省煙台市の屋台を視察した際には、「屋台経済、小規模店舗経済は重要な雇用の源であり、中国の生命力だ……我々は皆さんを支持する」と語って従業員を激励した。
ところがその数日後、北京市党委員会機関紙の『北京日報』は、屋台は首都にはふさわしくないという評論記事を掲載した。それに続けて中央テレビ局も、どの都市でもやたらに屋台を許可していいものではなく、管理が大切だとする論説を発表し、一部の地方で早くもヒートアップし始めた「露店経済」にブレーキをかけた。雇用対策の重要性が明らかであるにもかかわらず、なぜこのような横槍が入ったのか。実は数年前、北京市では蔡奇党委員会書記の号令の下、都市景観の改善や管理強化を名目として強引に露店や小商店を撤去し、働いていた農民工を北京から追い出したことがあった。蔡奇がどういう人物かと言えば、かつて福建省および浙江省で勤務し、中央委員でもないのに北京市長、さらには同市党委員会書記に抜擢された習近平直系の幹部である。蔡奇は、2017年の党大会で中央委員に選出され、すぐ政治局委員に選ばれるという極めて稀な出世を遂げた。
しかし、屋台であれ何であれ、たとえ何らかの仕事があったとしても、大きな所得格差が存在する上、職や給料が保障されているわけでもない。李首相によれば、中国には平均月収が千元 (約1万5500円) 前後しかない中低所得者が6億人いる。他方で、賃金の遅配、欠配がコロナウイルスの影響でさらに深刻化し、今や毎日、中国のあちこちで労働者の抗議活動が起きている。すでに昨年の段階で、スポンサー企業の経営不振により、いくつかのプロサッカー三部リーグの選手たちが未払い賃金の支給を要求していたが、今年には二部リーグのあるチームの解散が伝えられた。その一方では、たとえば自動車の販売台数について言うと、4月に前年同月比4.4%増、5月には14.5%増と順調な回復ぶりが示された。だが、社会の安定を維持するためには成長とともに分配が大きな課題となる。
李克強首相によれば、中央政府は本年の予算で不要不急の支出を半分以上削減し、基層政府の運営のために (恐らく主にはそこで働く公務員の給与の支払いを確保するために) 、そして中小企業や民生のためにその分を回すという。しかし、そのような使い途に資金を実際に振り向けるのは中央政府ではなく、中央政府からの財政移転を受ける地方政府だ。地方が本当に人々の生活のために使うのか、それとも、これまでのように無理な投資案件に資金をまわし、結果的に債務を増やすことになるのか。日本などと同様、予算獲得競争における建設部門、すなわちゼネコンの政治力は強い。その圧力や誘惑に耐え、中央の政策に沿った資金配分を行えるのか否か。地方政府の財政規律の強化が社会安定の一つの鍵となる。
強気の外交、安保政策は揺らがず
全人代で発表になった今年の予算によると、歳入は前年比マイナス5.3%である。外交のための支出は11.8%のマイナスだ。ところが、国防予算は6.6%増が計上された。全人代の解放軍武警代表団のスポークスマンによれば、国防費の決定に当たっては「経済の帳簿」も見るが、より重要なのは「安全保障の帳簿」だと言う。建設部門と並び、軍の予算獲得上の競争力は強く、中国はバターより大砲を選んだことになる。それを正当化するため、同スポークスマンは米国や台湾の動向を挙げ、天下は太平ならずと語った。
しかし他の国から見れば、活動を活発化させているのは中国の側である。東シナ海や南シナ海で海軍や海警の行動が目立つほか、5月上旬以来、ラダック地方では実際にインド軍との衝突が起きている。その要因は、予算獲得のほか、人々の眼を国内から外に転じさせることや、コロナウイルスにもへこたれていないことの示威、あるいは元々の計画の着実な実行など、様々だと思われる。だが何であれ、そうした行動の結果として対外的な摩擦が生じ、解放軍が他の費目に比して突出した予算増を獲得している側面があることは否定できない。
5月20日、台湾では再選された蔡英文総統の就任式が挙行された。その2日後に開幕した全人代で李克強首相が読み上げた政府活動報告には、例年であれば「平和統一の促進」と語られる箇所から、「平和」の二文字が落ちていた。前出の解放軍武警代表団スポークスマンは、民進党政権が分裂の道を進んでいることを「安全保障の帳簿」上の要因に挙げていた。蔡総統の就任式にはポンペオ米国国務長官がメッセージを寄せたほか、6月上旬には台湾の防空識別圏を米中の軍用機が相次いで飛行した。
外交部門は結果的に予算を大幅に減らしたが、コロナウイルスの流行が中国から広がったことによるイメージダウンを挽回しようと必死の努力を行っている。それは、コロナウイルス対策のための医療用具等を寄贈する「マスク外交」にとどまらない。中国の対応への称賛を要求したり、ウイルスの発生や広がりを許した中国への批判に激しく反論したり、経済制裁を科したりする「戦狼外交」が目立っている。戦闘的な外交姿勢に関しては、中国内部でも議論があるようだ。だが習近平は、「韜光養晦」 (とうこうようかい。才能を隠し、力を蓄える) に代えて「奮発有為」 (勇んで事をなす) を外交方針となし、「中華民族のエネルギーは余りに長く抑圧されてきた。爆発させて偉大な中国の夢を実現せねばならない」と語ったことがある。その下で、激しい外交姿勢のゆえに処分された外交官は管見の限り誰もいない。
以上を要するに、今回のコロナウイルス禍以後の中国については次の点を指摘することができる。第一に、経済回復も含め、コロナウイルス対策の成否が政権の正統性にかかわることを中国共産党指導部は理解しており、いわば厳しい戦いを強いられている。全人代開幕式が開かれた人民大会堂には、指導部の複雑な思いを象徴する情景が出現した。政治局常務委員など、ひな壇の前2列に座った幹部のみ、マスクをはずして登場し、会場内のその他の出席者は全員、マスクを着用した。つまり、指導部は対コロナウイルス闘争の勝利を誇りたかったのだが、全員にマスクをはずさせる自信はなかったのだ。
社会の安定、ひいては政権の安定を左右する鍵の一つは経済である。経済を担当する李克強首相は、あたかも前の胡錦濤、温家宝政権を彷彿させるような人間本位のアプローチを取ろうとしている。それに対し、これまでの都市政策や投資の継続に既得権益を有する勢力は必ずしも賛同していないように見受けられる。また一般的には、中国の健全な発展にとって一貫してアキレス腱となってきたのは地方の財政規律の欠如である。非常時に際し、中央のコントロールは果たして貫徹されるのか否か。これが経済社会の安定にとって重要なポイントとなる。さらに、一部のセクターでは景気回復の兆しがみられるが、それがかねてより問題となっている格差を一層拡大する可能性も懸念材料の一つである。成長と分配のバランスが、政策論争の大事な焦点となる。
経済開発という政権の正統性の柱が揺らぐと、指導部はナショナリズムというもう一本の柱がいよいよ重要だと認識する可能性が高い。外交官は習近平の強気な姿勢を忖度し、軍人は活動の実績を積み、危機感を醸し出して予算を確保する。遠方の国々との外交上の論争、そして近隣諸国との安全保障上の摩擦が止む気配はない。しかし世界を見渡せば、揺らいでいるのは中国だけではない。特に米国ではコロナウイルスの大流行が格差や差別問題に火を点け、また対中批判やWTOからの脱退宣言など米国版の「戦狼外交」も展開されている。日本の政策を考える上では、総合的で、バランスのとれた、かつ長期的な観点からの冷静な議論が必要だ。また、米中を含め、世界の今後を憂うる各国の有識者との意思疎通も極めて重要である。
東京大学公共政策大学院 教授
高原 明生
政治体制への信頼の揺らぎ
中国では、新型コロナウイルス封じ込めの初動が遅れたことにより、自由な情報の流通を許さない体制への不満が高まる兆しが表れた。特にインパクトが大きかったのは、武漢市の李文亮医師が2月に死去したことである。李氏は、早くも12月末に新型肺炎の広がりに警鐘を鳴らしていた。だが、不正確な情報をネットに流したとして公安当局から訓戒処分を受け、黙らされた医師たちの一人であった。自ら感染し、病床でメディアの取材に応じた李氏は、「健全な社会には一つの声だけがあるべきではない」と語り、その数日後に亡くなった。
この警句に対置されるのは次の言葉である。「党中央は大脳であり中枢であって、必ず一尊を定め、最後の鶴の一声が全体のトーンを規定する権威を持たねばならない」。これは2018年7月、同年春の憲法改正により国家主席の任期制限を撤廃した習近平氏が、それに対する批判を一蹴するように放った「鶴の一声」にほかならない。李文亮医師を追悼するネット上の花束や言葉は、中国のSNSに充満した。それは、いわばコロナウイルス禍との戦いの第1ラウンドにおける習近平政権の敗北を意味していた。
失点を挽回するべく、続く「第2ラウンド」で政権は二つの強力な措置を繰り出した。すなわち、都市封鎖に象徴される強権的な感染抑圧策と、「強力な領導」で「戦役=戦疫」を指揮する習近平のイメージの一大宣伝キャンペーンである。疫病抑圧は、当局が期待したほどの速度では進まなかった。3月上旬に開催予定だった全国人民代表大会 (全人代) と政治協商会議は結局、ほぼ2か月半遅れの5月下旬に開かれた。しかし、コロナウイルスは次第に海外に広がり、特に欧米の民主主義国では、当局の対応が不十分だったこともあって中国に輪をかけた悲惨な状況が出現した。すると、集権的な体制の下、習近平の強力なリーダーシップのおかげでウイルス制圧に成功したというナラティヴが中国社会に次第に浸透した。いわば第2ラウンドでは習近平政権が優勢を占めたと言えよう。
問題は、ウイルスの抑圧と経済の回復を同時に実現できるかが問われる「第3ラウンド」である。1月から3月までのGDP成長率は、公式発表でもマイナス6.8%という記録的な経済の落ち込みを示していた。
経済発展についての自信の揺らぎ
全人代ではGDPの目標成長率が発表されなかった。李克強首相によれば、特に雇用、民生、そして企業など市場主体の保障が実現できればプラス成長になるだろうという。だが、雇用機会の確保は特に厳しい状況にある。すでに都市では失業率が公式にも目標値の6%に達している。雇用創出の目標は900万だが、これから卒業する大学生だけで874万人いる。李首相は足かせとなる不合理な規制を打破し、70年代末、農村から青年たちが都市に戻ってきた時のように都市で露店などを開かせることにも言及した。6月初めに山東省煙台市の屋台を視察した際には、「屋台経済、小規模店舗経済は重要な雇用の源であり、中国の生命力だ……我々は皆さんを支持する」と語って従業員を激励した。
ところがその数日後、北京市党委員会機関紙の『北京日報』は、屋台は首都にはふさわしくないという評論記事を掲載した。それに続けて中央テレビ局も、どの都市でもやたらに屋台を許可していいものではなく、管理が大切だとする論説を発表し、一部の地方で早くもヒートアップし始めた「露店経済」にブレーキをかけた。雇用対策の重要性が明らかであるにもかかわらず、なぜこのような横槍が入ったのか。実は数年前、北京市では蔡奇党委員会書記の号令の下、都市景観の改善や管理強化を名目として強引に露店や小商店を撤去し、働いていた農民工を北京から追い出したことがあった。蔡奇がどういう人物かと言えば、かつて福建省および浙江省で勤務し、中央委員でもないのに北京市長、さらには同市党委員会書記に抜擢された習近平直系の幹部である。蔡奇は、2017年の党大会で中央委員に選出され、すぐ政治局委員に選ばれるという極めて稀な出世を遂げた。
しかし、屋台であれ何であれ、たとえ何らかの仕事があったとしても、大きな所得格差が存在する上、職や給料が保障されているわけでもない。李首相によれば、中国には平均月収が千元 (約1万5500円) 前後しかない中低所得者が6億人いる。他方で、賃金の遅配、欠配がコロナウイルスの影響でさらに深刻化し、今や毎日、中国のあちこちで労働者の抗議活動が起きている。すでに昨年の段階で、スポンサー企業の経営不振により、いくつかのプロサッカー三部リーグの選手たちが未払い賃金の支給を要求していたが、今年には二部リーグのあるチームの解散が伝えられた。その一方では、たとえば自動車の販売台数について言うと、4月に前年同月比4.4%増、5月には14.5%増と順調な回復ぶりが示された。だが、社会の安定を維持するためには成長とともに分配が大きな課題となる。
李克強首相によれば、中央政府は本年の予算で不要不急の支出を半分以上削減し、基層政府の運営のために (恐らく主にはそこで働く公務員の給与の支払いを確保するために) 、そして中小企業や民生のためにその分を回すという。しかし、そのような使い途に資金を実際に振り向けるのは中央政府ではなく、中央政府からの財政移転を受ける地方政府だ。地方が本当に人々の生活のために使うのか、それとも、これまでのように無理な投資案件に資金をまわし、結果的に債務を増やすことになるのか。日本などと同様、予算獲得競争における建設部門、すなわちゼネコンの政治力は強い。その圧力や誘惑に耐え、中央の政策に沿った資金配分を行えるのか否か。地方政府の財政規律の強化が社会安定の一つの鍵となる。
強気の外交、安保政策は揺らがず
全人代で発表になった今年の予算によると、歳入は前年比マイナス5.3%である。外交のための支出は11.8%のマイナスだ。ところが、国防予算は6.6%増が計上された。全人代の解放軍武警代表団のスポークスマンによれば、国防費の決定に当たっては「経済の帳簿」も見るが、より重要なのは「安全保障の帳簿」だと言う。建設部門と並び、軍の予算獲得上の競争力は強く、中国はバターより大砲を選んだことになる。それを正当化するため、同スポークスマンは米国や台湾の動向を挙げ、天下は太平ならずと語った。
しかし他の国から見れば、活動を活発化させているのは中国の側である。東シナ海や南シナ海で海軍や海警の行動が目立つほか、5月上旬以来、ラダック地方では実際にインド軍との衝突が起きている。その要因は、予算獲得のほか、人々の眼を国内から外に転じさせることや、コロナウイルスにもへこたれていないことの示威、あるいは元々の計画の着実な実行など、様々だと思われる。だが何であれ、そうした行動の結果として対外的な摩擦が生じ、解放軍が他の費目に比して突出した予算増を獲得している側面があることは否定できない。
5月20日、台湾では再選された蔡英文総統の就任式が挙行された。その2日後に開幕した全人代で李克強首相が読み上げた政府活動報告には、例年であれば「平和統一の促進」と語られる箇所から、「平和」の二文字が落ちていた。前出の解放軍武警代表団スポークスマンは、民進党政権が分裂の道を進んでいることを「安全保障の帳簿」上の要因に挙げていた。蔡総統の就任式にはポンペオ米国国務長官がメッセージを寄せたほか、6月上旬には台湾の防空識別圏を米中の軍用機が相次いで飛行した。
外交部門は結果的に予算を大幅に減らしたが、コロナウイルスの流行が中国から広がったことによるイメージダウンを挽回しようと必死の努力を行っている。それは、コロナウイルス対策のための医療用具等を寄贈する「マスク外交」にとどまらない。中国の対応への称賛を要求したり、ウイルスの発生や広がりを許した中国への批判に激しく反論したり、経済制裁を科したりする「戦狼外交」が目立っている。戦闘的な外交姿勢に関しては、中国内部でも議論があるようだ。だが習近平は、「韜光養晦」 (とうこうようかい。才能を隠し、力を蓄える) に代えて「奮発有為」 (勇んで事をなす) を外交方針となし、「中華民族のエネルギーは余りに長く抑圧されてきた。爆発させて偉大な中国の夢を実現せねばならない」と語ったことがある。その下で、激しい外交姿勢のゆえに処分された外交官は管見の限り誰もいない。
以上を要するに、今回のコロナウイルス禍以後の中国については次の点を指摘することができる。第一に、経済回復も含め、コロナウイルス対策の成否が政権の正統性にかかわることを中国共産党指導部は理解しており、いわば厳しい戦いを強いられている。全人代開幕式が開かれた人民大会堂には、指導部の複雑な思いを象徴する情景が出現した。政治局常務委員など、ひな壇の前2列に座った幹部のみ、マスクをはずして登場し、会場内のその他の出席者は全員、マスクを着用した。つまり、指導部は対コロナウイルス闘争の勝利を誇りたかったのだが、全員にマスクをはずさせる自信はなかったのだ。
社会の安定、ひいては政権の安定を左右する鍵の一つは経済である。経済を担当する李克強首相は、あたかも前の胡錦濤、温家宝政権を彷彿させるような人間本位のアプローチを取ろうとしている。それに対し、これまでの都市政策や投資の継続に既得権益を有する勢力は必ずしも賛同していないように見受けられる。また一般的には、中国の健全な発展にとって一貫してアキレス腱となってきたのは地方の財政規律の欠如である。非常時に際し、中央のコントロールは果たして貫徹されるのか否か。これが経済社会の安定にとって重要なポイントとなる。さらに、一部のセクターでは景気回復の兆しがみられるが、それがかねてより問題となっている格差を一層拡大する可能性も懸念材料の一つである。成長と分配のバランスが、政策論争の大事な焦点となる。
経済開発という政権の正統性の柱が揺らぐと、指導部はナショナリズムというもう一本の柱がいよいよ重要だと認識する可能性が高い。外交官は習近平の強気な姿勢を忖度し、軍人は活動の実績を積み、危機感を醸し出して予算を確保する。遠方の国々との外交上の論争、そして近隣諸国との安全保障上の摩擦が止む気配はない。しかし世界を見渡せば、揺らいでいるのは中国だけではない。特に米国ではコロナウイルスの大流行が格差や差別問題に火を点け、また対中批判やWTOからの脱退宣言など米国版の「戦狼外交」も展開されている。日本の政策を考える上では、総合的で、バランスのとれた、かつ長期的な観点からの冷静な議論が必要だ。また、米中を含め、世界の今後を憂うる各国の有識者との意思疎通も極めて重要である。