(10) EUは危機を機会に変えられるか
掲載日:2020年6月2日
公益社団法人 日本経済研究センター 研究主幹
刀祢館 久雄
新型コロナウイルスは中国に次いで欧州が流行の中心地となり、欧州全体で米国を上回る死者を出すなど、深刻な影響が広がった。当初は欧州連合(EU)としての対応が限られ、自国優先の措置が先行したが、その後はEUレベルでの動きも進み、曲折を経ながらもイタリアなどの経済復興に向けた基金構想が具体化しつつある。
復興基金への資金分担問題でカギを握ったのは、欧州統合の歴史をしばしばけん引してきたドイツとフランスが政策協調に動いたことだった。この点はEUのゆくえにポジティブな要素となる。しかし、難路はまだまだ続く。EUが基金の具体化や今後のウイルス対応でやり方を誤れば、欧州市民の間で「結局頼れるのは自国政府だけ」という国家回帰志向やEUへの失望感が強まるだろう。
繰り返し起きてきたEU危機
筆者は、コロナ危機が欧州統合の根底を突き崩すことにはならないと考えている。EUという共同体と単一市場を維持し、加盟国としてその一部でいることのメリットは多くの国にとってマイナス面をしのぐ。EU崩壊論といった過度の悲観論は現実を見誤るだろう。だが同時に、EUでは繰り返し新たな危機に見舞われる状況が既に15年にわたって続いており、そこから回復しきれないまま今回のコロナショックに襲われたという現実にも目を向ける必要がある。
第2波、第3波のコロナ大流行の恐れはもとより、南欧各国の財政支出に伴う債務危機や銀行危機とユーロ不安定化への懸念、傷ついた社会と経済の再生、ポピュリズムブーム再燃のリスクなど、コロナの影響に揺れる状況はこの先何年も続きかねない。
EUが今回の危機を的確にコントロールできるかどうかは、欧州の安定と経済を左右するだけでなく、米中の対立がますます先鋭化する世界にあって、欧州が国際秩序の安定に役割を果たせるかどうかを分ける重要な要素になるだろう。EUが重点政策として掲げるグリーン・ニューディールとデジタル化が頓挫するのか加速するのかという点でも、日本と世界に影響が及ぶ。この15年の危機モードがさらに大幅に長期化して停滞色が深まるのか、それともコロナ危機を最短の期間で収束させ、危機を機会に変えながら次のステップに踏み出すことができるのか、EUは重大な岐路に立っている。
遅れた初期対応
最初に爆発的な感染が起きたイタリアに対し、欧州各国の当初の態度は自国優先で冷たい印象をもたらした。ドイツはマスクなど医療関連品の輸出を制限し、フランスも在庫・生産管理に走ったと報じられた。
EUは感染症のような公衆衛生の分野でやれることに権限の面で限りがある。とくにパンデミックのような緊急事態となると、人の移動をめぐる国境の管理も含め自国の安全確保が優先されるのはやむを得ない面がある。それにしてもEU、各国ともに初期段階でもっと何かできなかったのかという後味の悪さを残してしまった。
イタリア政府の強い批判を受け、EUのフォン・デア・ライエン欧州委員長は欧州議会での演説で謝罪する事態に追い込まれた。批判を放置すれば南欧諸国などでナショナリズムが拡大し、反EUの機運が盛り上がりかねないという危機感があったのだろう。
経済支援策めぐり南北対立に
その後コロナ対策への取り組みを強めたEUだが、今後のEUにとって重要なテーマとして見ておきたいのは、イタリアやスペインなど経済の基盤が弱く甚大な感染被害が発生した南欧諸国などへの経済支援のあり方だ。それはEUの構造的弱点である加盟国間の経済格差にどう対応するのか、少なくとも危機が発生したときには財政面でもっと寛大な支援をすべきではないのかという、以前から存在する論争に強いスポットライトをあてることになった。この問題の扱い方次第でEUの将来は左右されるといってよい。
単一通貨ユーロを導入し、ユーロ圏の金融政策を一元化したEUだが、財政は基本的にそれぞれの国家が管理している。ひとつの国であれば、一部地域で危機が起きたり著しい経済格差が生じたりした場合、中央から補助金を交付するなど財政を移転させて救済することが可能だ。しかしEUの共通予算は規模が小さく、加盟国への本格的な財政支援はできない。
ギリシャに端を発する2010年からのユーロ危機を受けて、EUはこの弱点を補うため「欧州安定メカニズム(ESM)」という救済基金を設けた。財政難に陥った国には助けになるが、支援と引き換えに欧州委員会から財政状況を監視されることになっている。一方、お金の使い方をEUに監督されたくない、厳しい緊縮はもうこりごり、という空気がイタリアでは根強い。今回のコロナ危機でEUに資金支援を求めるにあたり、イタリアは緩やかな条件にするよう強く求めたとされる。
復興基金へ独仏が連携
危機対応の緊急融資に加え、アフター・コロナの本格的な経済再建には巨額の資金が必要となる。そこでEUを二分する議論になったのが、コロナ債とも呼ばれるユーロ共同債の導入構想だ。ユーロ圏各国が共同で資金調達し、南欧などの経済再建に使う案で、イタリア、スペイン、フランスなど9カ国がEUへの書簡で実現を呼び掛けた。これに財政負担に慎重なドイツやオランダなど北部諸国が反対して鋭く対立し、EU内での南北問題の様相を呈した。
議論が膠着する中、事態を動かしたのは、久しく目立った連携プレーを見せていなかったメルケル独首相とマクロン仏大統領のコンビだった。EUの北と南それぞれの代表格である独仏の首脳は、5000億ユーロの復興基金を設けることを共同で提案した。ポイントは、南欧諸国などへの支援を融資でなく返済不要の補助金として実施することにある。コロナ債とは異なるものの、EUとして借金をして加盟国に配分することから、北部諸国が反対していた債務の分担につながる考え方といえる。ドイツが方針を転換し歩み寄ったことで妥協が成立したようだ。
独仏提案を織り込むかたちで欧州委員会は5月27日、7500億ユーロの復興基金を設立する計画を発表した。3分の2を補助金、残りを融資枠とする内容だ。しかし、これで決まりかといえば、そうではない。財政規律を重視し「倹約4カ国」と呼ばれるオランダ、オーストリア、デンマーク、スウェーデンがなお、補助金による支給に反対する立場を崩していないからだ。6月中旬のEU首脳会議での合意をめざすが、すんなり決着できるかわからない。
なお遠い財政統合
この問題がEUの将来に絡むのは、市場統合、通貨統合と進んできた経済統合でなお欠けているピースである財政統合をどうするかという議論につながるからだ。ユーロ危機の再燃を防ぎ通貨を安定させるには、金融政策だけでなく財政政策もEUレベルでの管理を強めたほうがよい。しかし、それには北の豊かな加盟国が首を縦に振らないという図式が続いている。
今回の復興基金は一時的なものにとどめる見通しだが、それでも慎重派は警戒を崩さない。メルケル首相が妥協したのも財政統合を容認する意味ではなく、危機下なのに原則論に固執すれば南北の対立が決定的になり、イタリアなどでナショナリズムやアンチEU論が勢いを増すことを恐れたためだろう。
統合の転換点は2005年
ここで改めてEUの現在地点を確認しておきたい。近年のEUの危機といえば、2010年からのユーロ危機、15年の中東からの大量の難民流入、さらに16年の英国のEU離脱決定と各国におけるポピュリズム勢力躍進と、この10年に次々起きたという印象が強い。しかし、EUが大きな転換点を迎えたのはそれより前の05年とみるべきだ。統合の拡大と深化の流れが歴史的なピークをつけ、一転して大きな挫折を経験したのがこの年だったからだ。
EUは市場統合の成功に続いて1999年に通貨統合を断行し、04年には旧ソ連圏などから10カ国を一斉に加盟させる東方拡大を果たした。勢いに乗って「欧州憲法条約」という新しい基本条約の制定をもくろんだが、その条約案は05年にフランスとオランダで実施された国民投票で相次ぎ否決されてしまった。欧州の民意は、統合がどんどん進んでEUの権限が増大していくことに不安を感じ始めていたのだ。それは統合に後退を迫るものではなかったが、先に進むことに対して慎重な対応を求めるものとなった。
もうひとつEUの変容を顕著に示したのは、04年の中・東欧諸国加盟である。移動の自由の原則にもとづきEU加盟後、豊かな西欧諸国に東の労働者が移住し始めた。とくに経済が好調だった英国は、最長7年間移民を制限できる権利を行使せず気前よく受け入れた。それが英国への太い移民の流れをつくり、やがて軋轢を生むことになる。16年の英国民投票でEU離脱派が声高に唱えた移民規制論は、12年前に中・東欧諸国がEUに加盟したことが起点だった。さらに、ポーランドやハンガリーがいま強権的な政治でEUとの対立を辞さないなど、大所帯になったEUはとりまとめる難易度も確実に高まった。
環境とデジタルを二枚看板に
相次ぐ危機について見てきたが、EUが4億5000万人の巨大な市場を背景に、自分たちのルールを域外の企業にも守らせる規制パワーとして着々と力をつけてきた面も見逃せない。仮にEUが工業製品に使用する物質に新たな規制を導入すれば、EU市場に製品を輸出する外国企業はそれに従わない限り締め出されてしまう。19年12月に発足したフォン・デア・ライエン委員長をトップとする欧州委員会の新体制は、グリーン(環境)とデジタルを重点分野として掲げた。これらを経済成長につなげるとともに、グローバルなルール形成で主導権を握ろうとしている。環境対策が十分でないとみなした国の製品に関税を課す「国境炭素税」という構想をあたためているのはその例だ。
その矢先に発生したコロナ危機で、EUの取り組みが思惑通りに進むのか不透明になった。しかし欧州委員会は二枚看板の推進に意欲的だ。今回の復興基金などの発表にあたり、フォン・デア・ライエン委員長は「復興計画は回復の支援だけでなく将来への投資によって困難を機会に変える」として、環境とデジタルの分野を引き続き重視する考えを示した。デジタル技術はコロナ危機下の世界で活用が進んでいる。アフター・コロナにおいても伸びる余地はかなり大きいはずだ。
深めたいEUとの連携
EUは危機が深まったときに注目されることが多いが、経済や環境分野でのルール形成における影響力は米国に引けを取らない。そこには欧州の利益確保への思惑もあるとはいえ、トランプ政権になって米国が多国間の枠組みを軽んじる中で、グローバルなルールや国際機関の役割を重視するEUは貴重な存在である。
EUがコロナ危機から早期に回復し、自由と民主主義にもとづく国際秩序を支える役目を堅固に果たすことは、日本にとっても意味が大きい。EUの側も、同じ価値観を共有できる日本への期待は高いといわれる。アフター・コロナの世界で米中の確執が一段と高まっていく見通しであるならなおのこと、日本はグローバルな課題の解決に向けてEUとの連携を深めていく必要がある。
公益社団法人 日本経済研究センター 研究主幹
刀祢館 久雄
新型コロナウイルスは中国に次いで欧州が流行の中心地となり、欧州全体で米国を上回る死者を出すなど、深刻な影響が広がった。当初は欧州連合(EU)としての対応が限られ、自国優先の措置が先行したが、その後はEUレベルでの動きも進み、曲折を経ながらもイタリアなどの経済復興に向けた基金構想が具体化しつつある。
復興基金への資金分担問題でカギを握ったのは、欧州統合の歴史をしばしばけん引してきたドイツとフランスが政策協調に動いたことだった。この点はEUのゆくえにポジティブな要素となる。しかし、難路はまだまだ続く。EUが基金の具体化や今後のウイルス対応でやり方を誤れば、欧州市民の間で「結局頼れるのは自国政府だけ」という国家回帰志向やEUへの失望感が強まるだろう。
繰り返し起きてきたEU危機
筆者は、コロナ危機が欧州統合の根底を突き崩すことにはならないと考えている。EUという共同体と単一市場を維持し、加盟国としてその一部でいることのメリットは多くの国にとってマイナス面をしのぐ。EU崩壊論といった過度の悲観論は現実を見誤るだろう。だが同時に、EUでは繰り返し新たな危機に見舞われる状況が既に15年にわたって続いており、そこから回復しきれないまま今回のコロナショックに襲われたという現実にも目を向ける必要がある。
第2波、第3波のコロナ大流行の恐れはもとより、南欧各国の財政支出に伴う債務危機や銀行危機とユーロ不安定化への懸念、傷ついた社会と経済の再生、ポピュリズムブーム再燃のリスクなど、コロナの影響に揺れる状況はこの先何年も続きかねない。
EUが今回の危機を的確にコントロールできるかどうかは、欧州の安定と経済を左右するだけでなく、米中の対立がますます先鋭化する世界にあって、欧州が国際秩序の安定に役割を果たせるかどうかを分ける重要な要素になるだろう。EUが重点政策として掲げるグリーン・ニューディールとデジタル化が頓挫するのか加速するのかという点でも、日本と世界に影響が及ぶ。この15年の危機モードがさらに大幅に長期化して停滞色が深まるのか、それともコロナ危機を最短の期間で収束させ、危機を機会に変えながら次のステップに踏み出すことができるのか、EUは重大な岐路に立っている。
遅れた初期対応
最初に爆発的な感染が起きたイタリアに対し、欧州各国の当初の態度は自国優先で冷たい印象をもたらした。ドイツはマスクなど医療関連品の輸出を制限し、フランスも在庫・生産管理に走ったと報じられた。
EUは感染症のような公衆衛生の分野でやれることに権限の面で限りがある。とくにパンデミックのような緊急事態となると、人の移動をめぐる国境の管理も含め自国の安全確保が優先されるのはやむを得ない面がある。それにしてもEU、各国ともに初期段階でもっと何かできなかったのかという後味の悪さを残してしまった。
イタリア政府の強い批判を受け、EUのフォン・デア・ライエン欧州委員長は欧州議会での演説で謝罪する事態に追い込まれた。批判を放置すれば南欧諸国などでナショナリズムが拡大し、反EUの機運が盛り上がりかねないという危機感があったのだろう。
経済支援策めぐり南北対立に
その後コロナ対策への取り組みを強めたEUだが、今後のEUにとって重要なテーマとして見ておきたいのは、イタリアやスペインなど経済の基盤が弱く甚大な感染被害が発生した南欧諸国などへの経済支援のあり方だ。それはEUの構造的弱点である加盟国間の経済格差にどう対応するのか、少なくとも危機が発生したときには財政面でもっと寛大な支援をすべきではないのかという、以前から存在する論争に強いスポットライトをあてることになった。この問題の扱い方次第でEUの将来は左右されるといってよい。
単一通貨ユーロを導入し、ユーロ圏の金融政策を一元化したEUだが、財政は基本的にそれぞれの国家が管理している。ひとつの国であれば、一部地域で危機が起きたり著しい経済格差が生じたりした場合、中央から補助金を交付するなど財政を移転させて救済することが可能だ。しかしEUの共通予算は規模が小さく、加盟国への本格的な財政支援はできない。
ギリシャに端を発する2010年からのユーロ危機を受けて、EUはこの弱点を補うため「欧州安定メカニズム(ESM)」という救済基金を設けた。財政難に陥った国には助けになるが、支援と引き換えに欧州委員会から財政状況を監視されることになっている。一方、お金の使い方をEUに監督されたくない、厳しい緊縮はもうこりごり、という空気がイタリアでは根強い。今回のコロナ危機でEUに資金支援を求めるにあたり、イタリアは緩やかな条件にするよう強く求めたとされる。
復興基金へ独仏が連携
危機対応の緊急融資に加え、アフター・コロナの本格的な経済再建には巨額の資金が必要となる。そこでEUを二分する議論になったのが、コロナ債とも呼ばれるユーロ共同債の導入構想だ。ユーロ圏各国が共同で資金調達し、南欧などの経済再建に使う案で、イタリア、スペイン、フランスなど9カ国がEUへの書簡で実現を呼び掛けた。これに財政負担に慎重なドイツやオランダなど北部諸国が反対して鋭く対立し、EU内での南北問題の様相を呈した。
議論が膠着する中、事態を動かしたのは、久しく目立った連携プレーを見せていなかったメルケル独首相とマクロン仏大統領のコンビだった。EUの北と南それぞれの代表格である独仏の首脳は、5000億ユーロの復興基金を設けることを共同で提案した。ポイントは、南欧諸国などへの支援を融資でなく返済不要の補助金として実施することにある。コロナ債とは異なるものの、EUとして借金をして加盟国に配分することから、北部諸国が反対していた債務の分担につながる考え方といえる。ドイツが方針を転換し歩み寄ったことで妥協が成立したようだ。
独仏提案を織り込むかたちで欧州委員会は5月27日、7500億ユーロの復興基金を設立する計画を発表した。3分の2を補助金、残りを融資枠とする内容だ。しかし、これで決まりかといえば、そうではない。財政規律を重視し「倹約4カ国」と呼ばれるオランダ、オーストリア、デンマーク、スウェーデンがなお、補助金による支給に反対する立場を崩していないからだ。6月中旬のEU首脳会議での合意をめざすが、すんなり決着できるかわからない。
なお遠い財政統合
この問題がEUの将来に絡むのは、市場統合、通貨統合と進んできた経済統合でなお欠けているピースである財政統合をどうするかという議論につながるからだ。ユーロ危機の再燃を防ぎ通貨を安定させるには、金融政策だけでなく財政政策もEUレベルでの管理を強めたほうがよい。しかし、それには北の豊かな加盟国が首を縦に振らないという図式が続いている。
今回の復興基金は一時的なものにとどめる見通しだが、それでも慎重派は警戒を崩さない。メルケル首相が妥協したのも財政統合を容認する意味ではなく、危機下なのに原則論に固執すれば南北の対立が決定的になり、イタリアなどでナショナリズムやアンチEU論が勢いを増すことを恐れたためだろう。
統合の転換点は2005年
ここで改めてEUの現在地点を確認しておきたい。近年のEUの危機といえば、2010年からのユーロ危機、15年の中東からの大量の難民流入、さらに16年の英国のEU離脱決定と各国におけるポピュリズム勢力躍進と、この10年に次々起きたという印象が強い。しかし、EUが大きな転換点を迎えたのはそれより前の05年とみるべきだ。統合の拡大と深化の流れが歴史的なピークをつけ、一転して大きな挫折を経験したのがこの年だったからだ。
EUは市場統合の成功に続いて1999年に通貨統合を断行し、04年には旧ソ連圏などから10カ国を一斉に加盟させる東方拡大を果たした。勢いに乗って「欧州憲法条約」という新しい基本条約の制定をもくろんだが、その条約案は05年にフランスとオランダで実施された国民投票で相次ぎ否決されてしまった。欧州の民意は、統合がどんどん進んでEUの権限が増大していくことに不安を感じ始めていたのだ。それは統合に後退を迫るものではなかったが、先に進むことに対して慎重な対応を求めるものとなった。
もうひとつEUの変容を顕著に示したのは、04年の中・東欧諸国加盟である。移動の自由の原則にもとづきEU加盟後、豊かな西欧諸国に東の労働者が移住し始めた。とくに経済が好調だった英国は、最長7年間移民を制限できる権利を行使せず気前よく受け入れた。それが英国への太い移民の流れをつくり、やがて軋轢を生むことになる。16年の英国民投票でEU離脱派が声高に唱えた移民規制論は、12年前に中・東欧諸国がEUに加盟したことが起点だった。さらに、ポーランドやハンガリーがいま強権的な政治でEUとの対立を辞さないなど、大所帯になったEUはとりまとめる難易度も確実に高まった。
環境とデジタルを二枚看板に
相次ぐ危機について見てきたが、EUが4億5000万人の巨大な市場を背景に、自分たちのルールを域外の企業にも守らせる規制パワーとして着々と力をつけてきた面も見逃せない。仮にEUが工業製品に使用する物質に新たな規制を導入すれば、EU市場に製品を輸出する外国企業はそれに従わない限り締め出されてしまう。19年12月に発足したフォン・デア・ライエン委員長をトップとする欧州委員会の新体制は、グリーン(環境)とデジタルを重点分野として掲げた。これらを経済成長につなげるとともに、グローバルなルール形成で主導権を握ろうとしている。環境対策が十分でないとみなした国の製品に関税を課す「国境炭素税」という構想をあたためているのはその例だ。
その矢先に発生したコロナ危機で、EUの取り組みが思惑通りに進むのか不透明になった。しかし欧州委員会は二枚看板の推進に意欲的だ。今回の復興基金などの発表にあたり、フォン・デア・ライエン委員長は「復興計画は回復の支援だけでなく将来への投資によって困難を機会に変える」として、環境とデジタルの分野を引き続き重視する考えを示した。デジタル技術はコロナ危機下の世界で活用が進んでいる。アフター・コロナにおいても伸びる余地はかなり大きいはずだ。
深めたいEUとの連携
EUは危機が深まったときに注目されることが多いが、経済や環境分野でのルール形成における影響力は米国に引けを取らない。そこには欧州の利益確保への思惑もあるとはいえ、トランプ政権になって米国が多国間の枠組みを軽んじる中で、グローバルなルールや国際機関の役割を重視するEUは貴重な存在である。
EUがコロナ危機から早期に回復し、自由と民主主義にもとづく国際秩序を支える役目を堅固に果たすことは、日本にとっても意味が大きい。EUの側も、同じ価値観を共有できる日本への期待は高いといわれる。アフター・コロナの世界で米中の確執が一段と高まっていく見通しであるならなおのこと、日本はグローバルな課題の解決に向けてEUとの連携を深めていく必要がある。