(8) ポストコロナ時代に向けた産業界の視座
—国際協調体制の新たな構築—
—国際協調体制の新たな構築—
掲載日:2020年5月29日
一般社団法人 日本経済団体連合会 21世紀政策研究所 事務局長
太田 誠
はじめに
産業界は、完全にコロナ問題への対応にシフトしており、従来の戦略は、すべてコロナ問題との関連でフォーマットの改訂がなされている。また、企業は、事業の立て直し、雇用維持のための方策を展開しているが、ポストコロナあるいはウィズコロナを念頭に新たな事業を模索している。経団連でも必要な対策を緊急提言としてとりまとめ政府・与党に働きかけるほか日本の主要メディアやFTなど海外の主要メディアに対して発信してきた。経団連は、危機をむしろ契機と捉えSoceity5.0 for SDGsに向けたデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進したいと考えている。
企業による事業活動の再開は、この間の経済指標が如実に示すように国家の存亡にかかわる重大な課題といえる。そして、企業の事業活動は、数カ国にまたがるサプライチェーンで構築されていることから、経済の復興には国際秩序の安定と自由貿易体制の維持、日本の国際社会におけるプレゼンスの高さが大前提となる。産業界は、予てより米中対立に翻弄されてきた。そして今度は、コロナ問題が、この米中対立をさらに複雑にし、脆弱化している国際協調体制を追い詰め産業界の活動基盤を足元から崩そうとしている。そのため、経団連では、ポストコロナ時代を見据えた新たな国際協調体制を模索しその構築に尽力したいと考えている。本稿では、この問題に焦点を絞り産業界の視座を論ずる。(※1)
1. 国際機構の円滑な運営は産業界の重要関心事
企業にとって国際協調体制は円滑な事業活動のための重要インフラのひとつである。この観点から、産業界は20年にわたり経済連携協定と世界貿易機関(WTO)の枠組みを両立させる形で産業界なりのロジックを構成してきた。
コロナ問題は、WTOに加え世界保健機関(WHO)の問題を提起し国際機構に対する重大な懸念を浮き彫りにするとともに、国際協調体制にさらなる打撃を与えている。事業活動には、人やモノの円滑な流れの維持が不可欠であり、「二つのボウエキ(貿易と防疫)」を通じた国際協調を司る国際機構の正常化は産業界にとって最大の関心事である。米国にしろ、中国にしろ、特定の国家が当該国際機構を支配しているといった非難の応酬がなされるような事態は回避したいというのが産業界のポジションである。
しかし、国際機構は、関係国間の協調と対立の構造の中で運営されている。そして、各国政府間の協調には自ら限界があるため、国際機構の“公正で適切な”運営も本質的には困難であることが、今回、WHOについても明らかになった。政策責任者が必ずしも完全な情報と合理的な判断に基づいて物事を決めているわけではないことは、アリソンの分析(※2)を俟たずとも政策決定過程の現場では日々体験され認識されている。そして、加盟国と事務当局との間では、取得する情報量、課題に対する関心度に埋め難い格差があることも事実である。(※3)そうなると、国際機構のあり方や決定に影響を及ぼすには、他の加盟国と協力しながら事務当局との関係をどうつけるかが課題となる。
したがって、WHO改革は、WHOの公式の議論の現場に加え、他の加盟国、特に途上国との協調のあり方を根本的に緊密化させる中で進める必要がある。産業界も途上国との民間経済外交の枠組みを活用して貢献できるのではないかと考える。
2. 国際社会における日本のプレゼンスを示すために
公衆衛生分野での国家間協力は、もはや安全保障上の問題であり、企業の事業活動を円滑に進める上での大前提である。今後、WHO改革や国際協調体制の新たな構築といった分野で日本は組織的・戦略的に主導権を発揮し国際社会におけるプレゼンスを高めるべきであり、産業界も企業が持つリソースを背景とした協力方策を検討する必要がある。
国際社会との関係では、日本のコロナ対策を、より強制力のある諸外国の措置と比較した際、その有効性がどう評価されるかが問題になる。日本は、諸外国の懸念を払拭し、日本が清潔で安全な国であるというこれまでの評価を改めて取り返しアピールする必要がある。
また、日本経済の回復に欠かせないのが地域活性化であるが、その一翼を担ってきたのが訪日外国人旅行客である。航空業、宿泊業、飲食業を含む観光業界や小売業がこの3カ月間で急激に疲弊していることからこの回復は喫緊の課題である。一刻も早く、日本の安全性を確保し、ビジネス、観光を問わず訪問先としての日本の魅力を改めて国際社会にアピールすることが不可欠である。産業界では、予てより国際観光立国の観点から韓国、中国、ロシアとの観光協力のスキームを構築してきた。産業界は、このスキームも活用して日本が国民、政府、自治体、産業界が一体となって成果を上げたことを諸外国政府・産業界やメディアに説明していく。
韓国を代表する国際政治学者で日韓両国の政財界に大きな影響力を持つ友人が私に語ったところでは、東日本大震災の翌日、日本に滞在していた娘さんを迎えに来て羽田空港での静粛で整然とした日本人の姿勢を目の当たりにして深い感銘を受けたという。彼の話は、私たちが当たり前と思っている行動や考え方が、日本に関心を持ってくれている諸外国の友人たちの間では、極めて特殊な日本の強みとして映る傾向があることを思い出させてくれる。
産業界は、政府のクールジャパンの旗印のもと、独自のネットワークを活用しながら「おもてなし」やアニメを世界に広める努力をしてきた。また、環境戦略の関連では、「もったいない」がその概念の適切な英訳が困難であるとのことでそのまま世界に通用する日本発の共通概念となった。さらに、日本は、環境対策の技術を用いて対中協力を展開してきた。このように、日本独自の技術や概念を世界に発信しその主流を占めた成功事例には事欠かないのであり、今後は、これを活用し公衆衛生の分野で世界をリードする必要がある。
3. 国際協調体制の構築に向けた産業界の視座
(1)「公衆衛生大国 日本」に向けて
世界に類を見ない日本人の衛生観念やそれに基づいた製品・サービスの提供といった分野は日本が最も得意とする分野である。しかし、産業界として大きな懸念を抱くのは、公衆衛生という日本の「お家芸」ともいうべき領域において欧州などが主導して国際基準を形成してしまうことである。ISO、気候変動や環境対策、データ利活用などの国際基準をめぐる概念形成では、最も先進的な取り組みで国際貢献している日本が中心的なポジションをとれず劣勢に追い込まれている。
日本が国際協調体制の構築を議論するとき、欧米との価値観の共有を前提にしているが、そもそも、これら諸国と価値観を共有していると断言できるのか。米国が国際社会から距離を置き始める中、日本はEUとの協力が有望視されるが、普遍的価値に裏打ちされたEUの提案は、実質的には欧州企業の競争力強化を目標とするものと考えざるを得ない。環境対策を前面に打ち立てたサーキュラーエコノミーをめぐるEUの対応はその典型である。こうした普遍的価値と独自の基準の打ち出しに長けたEUの動きが公衆衛生の領域で積極化するとEU主導で域内企業に有利な基準が策定され、この基準を満たさないとEU域内でビジネスができない、あるいは外国人旅行客の訪問先や事業活動の拠点から外される可能性も懸念される。かつて日本がハブ港湾・空港で悩まされたジャパンパッシングの再来も懸念され、企業同士のビジネスも覚束なくなるといった事態にもなりかねない。
日本人は、教育を通じて衛生観念を培っている。「公衆衛生大国」としての自覚のもと、この分野での国際協調体制の構築を日本主導で進めるべきであり、産業界も協力していきたい。
(2)「司令塔」の構築と求められる機能
こうした課題への取り組みでは、パンデミックに備える日本の基本方針を戦略的に策定・実施する「司令塔」の構築が重要になる。この「司令塔」に求められる機能について産業界の視座から指摘しておきたい。
将来にわたって有効な感染症対策を講ずるには、パンデミックとの闘いから得られた教訓をデータとして蓄積し未知のウィルスとの遭遇という事態の展開をシミュレーションし首相に直接進言し首相の意を受けて指揮できる体制を整備する必要がある。そのため、人工知能、データ解析などの専門家層を厚くするとともに、各種データを適切な形で円滑に流通させる制度・規制改革を断行すべきである。さらに、医学・感染症の専門家の知見を大局的な見地から政策に位置付けるため、リベラルアーツ(国際政治、歴史、思想)の専門家の参画を求める必要がある。
現在、産業界では、理系人材と文系人材の総合的な活用、リベラルアーツの導入について議論が行われている。未知の脅威への対応では、事態の展開の先が読めない。そうした中で誰が何をどのタイミングで決定したらよいのかを見極めるための総合的な能力の結集を図る必要がある。ここにリベラルアーツを政策に適用する可能性が出てくる。
(3)「モデル」への対応
日本企業の動きは、特に、途上国での事業活動について韓国、中国の迅速性や大胆さとの比較において議論されてきた。現在では「中国型発展モデル」との関係で議論される。中国のコロナ対応は、やはりその速度と徹底した管理体制の構築により効率性を発揮したと考えられる。また戦略性も感じられる。一方、自由主義にもとづく協力体制や決定システムは、この間、有効性に疑問符が打たれてきた上にコロナ対策で一挙に機能を減退させている。
しかし、脆弱性を露呈したとはいえ、米中双方とも自由主義を正面から否定しているわけでもない。また、オーガンスキーが示唆するように“最先端の発展モデル”を将来の原型と考えることも自らを思考停止に陥らせてしまう。(※4)それでは、「中国型」との関係において自由主義、民主主義の理念と手続きの将来をどう考えるか。日本企業は方向性の選択という岐路に立たされている。
おわりに
コロナ問題では、中国、韓国など近隣諸国との信頼関係、特に有事の際の肚を割った情報交換の重要性が改めて明らかになった。外交は政府の専管事項であるが、政府間交渉を間接的に支援するバイプロセスとしての機能が民間経済外交にはある。各種研究調査機関のネットワークも意思疎通の経路である。
その意味で注目されるのは、国際経済連携推進センターが進める諸外国・地域との関係緊密化である。近隣諸国との関係でいえば、同センターが主宰し筆者も参加している韓国とのネットワーク構築は、韓国との信頼関係を極めてユニークな視点から構築しており民間経済外交の好例となろう。今後、日本が公衆衛生の領域で国際的にアピールしていく際にも重要な役割を果たすものと期待される。
1918年のパンデミックとの闘いを研究した歴史家クロスビーは、今から50年ほど前に、当時の医療従事者や政府の対応を極めて明晰に分析し、その姿を「大船団が強烈な潮流の上を横切ろうとする光景を丘の上から眺めるようなものだ」と表現する。(※5)船長はじめ船員は持ち場をしっかり守りまっすぐに進もうとするが、丘の上から見下ろす人(後世の人)は、針路から外れていく船の姿を見ることになる。そして、これが未知のウィルスに対抗する人間の姿だというのである。だからこそ、私たちは、官民の叡智を結集して来るべき時に備えなければならないのである。
一般社団法人 日本経済団体連合会 21世紀政策研究所 事務局長
太田 誠
はじめに
産業界は、完全にコロナ問題への対応にシフトしており、従来の戦略は、すべてコロナ問題との関連でフォーマットの改訂がなされている。また、企業は、事業の立て直し、雇用維持のための方策を展開しているが、ポストコロナあるいはウィズコロナを念頭に新たな事業を模索している。経団連でも必要な対策を緊急提言としてとりまとめ政府・与党に働きかけるほか日本の主要メディアやFTなど海外の主要メディアに対して発信してきた。経団連は、危機をむしろ契機と捉えSoceity5.0 for SDGsに向けたデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進したいと考えている。
企業による事業活動の再開は、この間の経済指標が如実に示すように国家の存亡にかかわる重大な課題といえる。そして、企業の事業活動は、数カ国にまたがるサプライチェーンで構築されていることから、経済の復興には国際秩序の安定と自由貿易体制の維持、日本の国際社会におけるプレゼンスの高さが大前提となる。産業界は、予てより米中対立に翻弄されてきた。そして今度は、コロナ問題が、この米中対立をさらに複雑にし、脆弱化している国際協調体制を追い詰め産業界の活動基盤を足元から崩そうとしている。そのため、経団連では、ポストコロナ時代を見据えた新たな国際協調体制を模索しその構築に尽力したいと考えている。本稿では、この問題に焦点を絞り産業界の視座を論ずる。(※1)
1. 国際機構の円滑な運営は産業界の重要関心事
企業にとって国際協調体制は円滑な事業活動のための重要インフラのひとつである。この観点から、産業界は20年にわたり経済連携協定と世界貿易機関(WTO)の枠組みを両立させる形で産業界なりのロジックを構成してきた。
コロナ問題は、WTOに加え世界保健機関(WHO)の問題を提起し国際機構に対する重大な懸念を浮き彫りにするとともに、国際協調体制にさらなる打撃を与えている。事業活動には、人やモノの円滑な流れの維持が不可欠であり、「二つのボウエキ(貿易と防疫)」を通じた国際協調を司る国際機構の正常化は産業界にとって最大の関心事である。米国にしろ、中国にしろ、特定の国家が当該国際機構を支配しているといった非難の応酬がなされるような事態は回避したいというのが産業界のポジションである。
しかし、国際機構は、関係国間の協調と対立の構造の中で運営されている。そして、各国政府間の協調には自ら限界があるため、国際機構の“公正で適切な”運営も本質的には困難であることが、今回、WHOについても明らかになった。政策責任者が必ずしも完全な情報と合理的な判断に基づいて物事を決めているわけではないことは、アリソンの分析(※2)を俟たずとも政策決定過程の現場では日々体験され認識されている。そして、加盟国と事務当局との間では、取得する情報量、課題に対する関心度に埋め難い格差があることも事実である。(※3)そうなると、国際機構のあり方や決定に影響を及ぼすには、他の加盟国と協力しながら事務当局との関係をどうつけるかが課題となる。
したがって、WHO改革は、WHOの公式の議論の現場に加え、他の加盟国、特に途上国との協調のあり方を根本的に緊密化させる中で進める必要がある。産業界も途上国との民間経済外交の枠組みを活用して貢献できるのではないかと考える。
2. 国際社会における日本のプレゼンスを示すために
公衆衛生分野での国家間協力は、もはや安全保障上の問題であり、企業の事業活動を円滑に進める上での大前提である。今後、WHO改革や国際協調体制の新たな構築といった分野で日本は組織的・戦略的に主導権を発揮し国際社会におけるプレゼンスを高めるべきであり、産業界も企業が持つリソースを背景とした協力方策を検討する必要がある。
国際社会との関係では、日本のコロナ対策を、より強制力のある諸外国の措置と比較した際、その有効性がどう評価されるかが問題になる。日本は、諸外国の懸念を払拭し、日本が清潔で安全な国であるというこれまでの評価を改めて取り返しアピールする必要がある。
また、日本経済の回復に欠かせないのが地域活性化であるが、その一翼を担ってきたのが訪日外国人旅行客である。航空業、宿泊業、飲食業を含む観光業界や小売業がこの3カ月間で急激に疲弊していることからこの回復は喫緊の課題である。一刻も早く、日本の安全性を確保し、ビジネス、観光を問わず訪問先としての日本の魅力を改めて国際社会にアピールすることが不可欠である。産業界では、予てより国際観光立国の観点から韓国、中国、ロシアとの観光協力のスキームを構築してきた。産業界は、このスキームも活用して日本が国民、政府、自治体、産業界が一体となって成果を上げたことを諸外国政府・産業界やメディアに説明していく。
韓国を代表する国際政治学者で日韓両国の政財界に大きな影響力を持つ友人が私に語ったところでは、東日本大震災の翌日、日本に滞在していた娘さんを迎えに来て羽田空港での静粛で整然とした日本人の姿勢を目の当たりにして深い感銘を受けたという。彼の話は、私たちが当たり前と思っている行動や考え方が、日本に関心を持ってくれている諸外国の友人たちの間では、極めて特殊な日本の強みとして映る傾向があることを思い出させてくれる。
産業界は、政府のクールジャパンの旗印のもと、独自のネットワークを活用しながら「おもてなし」やアニメを世界に広める努力をしてきた。また、環境戦略の関連では、「もったいない」がその概念の適切な英訳が困難であるとのことでそのまま世界に通用する日本発の共通概念となった。さらに、日本は、環境対策の技術を用いて対中協力を展開してきた。このように、日本独自の技術や概念を世界に発信しその主流を占めた成功事例には事欠かないのであり、今後は、これを活用し公衆衛生の分野で世界をリードする必要がある。
3. 国際協調体制の構築に向けた産業界の視座
(1)「公衆衛生大国 日本」に向けて
世界に類を見ない日本人の衛生観念やそれに基づいた製品・サービスの提供といった分野は日本が最も得意とする分野である。しかし、産業界として大きな懸念を抱くのは、公衆衛生という日本の「お家芸」ともいうべき領域において欧州などが主導して国際基準を形成してしまうことである。ISO、気候変動や環境対策、データ利活用などの国際基準をめぐる概念形成では、最も先進的な取り組みで国際貢献している日本が中心的なポジションをとれず劣勢に追い込まれている。
日本が国際協調体制の構築を議論するとき、欧米との価値観の共有を前提にしているが、そもそも、これら諸国と価値観を共有していると断言できるのか。米国が国際社会から距離を置き始める中、日本はEUとの協力が有望視されるが、普遍的価値に裏打ちされたEUの提案は、実質的には欧州企業の競争力強化を目標とするものと考えざるを得ない。環境対策を前面に打ち立てたサーキュラーエコノミーをめぐるEUの対応はその典型である。こうした普遍的価値と独自の基準の打ち出しに長けたEUの動きが公衆衛生の領域で積極化するとEU主導で域内企業に有利な基準が策定され、この基準を満たさないとEU域内でビジネスができない、あるいは外国人旅行客の訪問先や事業活動の拠点から外される可能性も懸念される。かつて日本がハブ港湾・空港で悩まされたジャパンパッシングの再来も懸念され、企業同士のビジネスも覚束なくなるといった事態にもなりかねない。
日本人は、教育を通じて衛生観念を培っている。「公衆衛生大国」としての自覚のもと、この分野での国際協調体制の構築を日本主導で進めるべきであり、産業界も協力していきたい。
(2)「司令塔」の構築と求められる機能
こうした課題への取り組みでは、パンデミックに備える日本の基本方針を戦略的に策定・実施する「司令塔」の構築が重要になる。この「司令塔」に求められる機能について産業界の視座から指摘しておきたい。
将来にわたって有効な感染症対策を講ずるには、パンデミックとの闘いから得られた教訓をデータとして蓄積し未知のウィルスとの遭遇という事態の展開をシミュレーションし首相に直接進言し首相の意を受けて指揮できる体制を整備する必要がある。そのため、人工知能、データ解析などの専門家層を厚くするとともに、各種データを適切な形で円滑に流通させる制度・規制改革を断行すべきである。さらに、医学・感染症の専門家の知見を大局的な見地から政策に位置付けるため、リベラルアーツ(国際政治、歴史、思想)の専門家の参画を求める必要がある。
現在、産業界では、理系人材と文系人材の総合的な活用、リベラルアーツの導入について議論が行われている。未知の脅威への対応では、事態の展開の先が読めない。そうした中で誰が何をどのタイミングで決定したらよいのかを見極めるための総合的な能力の結集を図る必要がある。ここにリベラルアーツを政策に適用する可能性が出てくる。
(3)「モデル」への対応
日本企業の動きは、特に、途上国での事業活動について韓国、中国の迅速性や大胆さとの比較において議論されてきた。現在では「中国型発展モデル」との関係で議論される。中国のコロナ対応は、やはりその速度と徹底した管理体制の構築により効率性を発揮したと考えられる。また戦略性も感じられる。一方、自由主義にもとづく協力体制や決定システムは、この間、有効性に疑問符が打たれてきた上にコロナ対策で一挙に機能を減退させている。
しかし、脆弱性を露呈したとはいえ、米中双方とも自由主義を正面から否定しているわけでもない。また、オーガンスキーが示唆するように“最先端の発展モデル”を将来の原型と考えることも自らを思考停止に陥らせてしまう。(※4)それでは、「中国型」との関係において自由主義、民主主義の理念と手続きの将来をどう考えるか。日本企業は方向性の選択という岐路に立たされている。
おわりに
コロナ問題では、中国、韓国など近隣諸国との信頼関係、特に有事の際の肚を割った情報交換の重要性が改めて明らかになった。外交は政府の専管事項であるが、政府間交渉を間接的に支援するバイプロセスとしての機能が民間経済外交にはある。各種研究調査機関のネットワークも意思疎通の経路である。
その意味で注目されるのは、国際経済連携推進センターが進める諸外国・地域との関係緊密化である。近隣諸国との関係でいえば、同センターが主宰し筆者も参加している韓国とのネットワーク構築は、韓国との信頼関係を極めてユニークな視点から構築しており民間経済外交の好例となろう。今後、日本が公衆衛生の領域で国際的にアピールしていく際にも重要な役割を果たすものと期待される。
1918年のパンデミックとの闘いを研究した歴史家クロスビーは、今から50年ほど前に、当時の医療従事者や政府の対応を極めて明晰に分析し、その姿を「大船団が強烈な潮流の上を横切ろうとする光景を丘の上から眺めるようなものだ」と表現する。(※5)船長はじめ船員は持ち場をしっかり守りまっすぐに進もうとするが、丘の上から見下ろす人(後世の人)は、針路から外れていく船の姿を見ることになる。そして、これが未知のウィルスに対抗する人間の姿だというのである。だからこそ、私たちは、官民の叡智を結集して来るべき時に備えなければならないのである。
※1 21世紀政策研究所は、産業界とアカデミアとの接点領域にあって両者による知見の融合を試みている。本稿は、こうした活動にもとづいているが、筆者の私見であり所属機関の見解ではない。
※2 アリソンは、政策決定過程を合理的決定者、組織過程、官僚政治の3つのモデルで分析した(アリソン『決定の本質』中央公論社1977年)。産業界は日々の活動の中で常に組織過程モデルの有効性を実感している。
※3 ミヘルスは、「寡頭制の鉄則」としてこれを説明する(ミヘルス『現代民主主義における政党の社会学』木鐸社1990年)。この論点についても政策決定過程の中で常に体験できる。
※4 オーガンスキー『政治発展の諸段階』福村叢書1968年 3頁
※5 クロスビー『史上最悪のインフルエンザ』みすず書房2020年 382頁